86.海の道

 何度やり直しても、人は満足する結果になど至らない。
 一つを手に入れても二つを失ったと嘆き、悲しみ、神を恨む。その未来へ導いた大神はといえば、そんなことなど知ったことかとより良い未来とやらを探して、また地平線を駆けていく。
 だったら、私はどうしたらよかったのか。
 見目麗しき少女、佐久夜姫子はひたりひたりと砂浜を歩いていく。裸足の裏から伝わってくる砂のほのかな温かさとざらついた感触はまだ姫子が生きていることを教えてくれた。
 だけれど、それももうすぐ終わるのだ。
 目の前に広がるのは青というよりも空を映した色の海。温かみのある碧が光を無くした瞳に届く。水平線は遙か彼方で手を伸ばしても届きそうもない。
 砂浜と海辺の境にまで進み、姫子は海に足を踏み入れる。ぬるくもつめたくもなかった。この体は温度を感じることすら忘れてしまったのかもしれない。
 それでもよかった。もう、終わらせてしまいたい。幸せも、生きる意味も全て失ってしまったのだから。昔はまだその意味を探していた気もするけれど、いまはもうどうでもよい。
 姫子は海へと足を進めていく。もっと深く。深く。簡単には地上へと戻れない場所へと沈んでいきたい。
 そうして、目を閉じる。
「さくちゃん!」
 声が響いた。
 誰一人、自分をそのような呼び方で呼ぶことなどなかった。親しみと愛情の込められた声に沈んでいた体が浮き上がる。違う。長く厚い前髪で顔を隠した少女が、姫子を引きずって砂浜へと上がっていった。湿った体に砂が付着していく。ざらりとした感触は心地よいとは言えないが、生きている、という気はした。
 姫子を砂浜へと運び上げた少女は、両手を砂浜に着いて、何度も深い呼吸をしている。ぜえはあと胸を上下させる様子は疲れているだけではなく、安堵も感じ取れた。
「あの……あなたは」
 おずおずと姫子が問いかけると、少女は一瞬、ひどく傷ついた顔をした。それから笑う。
「私は、石長姫子! さくちゃんのお姉ちゃんです!」
「え、でも……」
「いいの」
 姫子の疑問を、もう一人の姫子はきっぱりと断じた。いまはそんなことを考えなくてもよい。事実をありのまま受け止めるように言われて、姫子は口をつぐんでしまう。
 だが、同時に、目の前の石長姫子という少女は確かに自分の姉のような気もしていた。自分の代わりに生まれるべきだった、明るい姉。目の前の少女はまさに姫子の願った彼女そのままだ。
 姫子はもう一人の姫子がしているように砂浜に膝を抱える。だが、顔は俯いたままだ。
 涼やかな風を顔に浴びながら、もう一人の姫子は言う。
「さくちゃんも、疲れちゃったの?」
「……うん」
 何を、とは問われなかった。だけれど疲れてしまって、もうこの命を閉ざしてしまいたかったから、そうだと答えた。
 父の回復を神に乞うたはずだというのに、いつの間にか大神とやらの意思に絡め取られて、多くの願ひを狂わせてしまった。罪深い。それ以上に、怒りがある。
 何をしても、何の道を与えても、願った存在は「こんなはずではなかった」と嘆き、悲しみ、憤る。そうして最後は大神を恨む。大神の手先である姫子を恨む。
 そうして自分を恨む願った相手を姫子はまた恨んだ。
 私たちの苦しみも知らず、天に向かって唾を吐ける身分のなんとご立派なことか。
 そうして、姫子は大神の手によって動くことを止めることを決意した。そのための手段としてできることは自分の手で命を終わらせることだけだった。
 だから、姫子は入水しようとした。それも隣に座る自分の姉だという少女に止められてしまったが。
 姫子はちらりと隣に座る少女を見る。顔はよくわからない。ただ、このような状況に遭ってさえ、笑みを浮かべている口元が印象的だった。
 視線に気付いたもう一人の姫子が首を小さく傾げる。姫子の言葉を待っているようだったが、何を言えばよいのかはわからず、俯いてしまう。
「あのね。私も、何度も疲れちゃったんだ」
 姫子は俯いたまま、もう一人の姫子の話を聞く。
「大神の言う通りに選ぶんだけど、何にも上手くいかないの。夢を叶えた人も、全力を出せた人もいるのに。誰も、私に感謝をしてくれなかった。それどころか恨まれるから、そのことに絶望して、もういいやって首を吊ったの」
「それで……?」
「途中で紐が千切れちゃった! 私って、そんなに重かったのかなあ」
 もう一人の姫子は納得いかないといった様子で、唇を尖らせる。その様子が面白くて、姫子はようやく口元を綻ばせることができた。
「それでね、私は結局分かったんだ」
 ――歴史は改竄を許さない。
 遠い地平線の遠い言葉だ。どこで聞いたのかもわからない。だけれど、確かに耳にした。
「だから、結局私たちがしていたことは悪いことだったのかもしれない。父のために、多くの願ひを歪めてしまった。それで、こんなに苦しんでしまうことになったのかも……。だけど、私たちだってこの暗い道をがんばって、進んでいったら、もっといい未来にたどり着けるかもしれないから」
 だから、生きよう。
 もう一人の姫子は姫子に言った。
 だけれど、素直に頷けない。姫子は小さく言葉を洩らす。
「そんなこと、あるのかな」
「あるよ。そう信じないとさ、やっていけないじゃん?」
 やっていけない。
 その言葉の響きが面白くて、姫子は頷いた。
「そうだね。お姉ちゃん」
 いまは辛い。それは変わらない。
 だけれど、未来はわからないから。苦しいまま命を終わらせることはできない。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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