赤葡萄は秋の始まりを迎えて、ますます熟し色づいている。
数多ある本丸の中でも、ことさら赤い葡萄が見事に実をつける本丸であるために、その本丸は赤葡萄の本丸と呼ばれるようになった。
全体として練度が高い刀剣男士が揃っている本丸であるが、特に異彩を放つのは小狐丸と三日月宗近の二振りだ。
小狐丸は鍛刀で顕現し、その二十四秒後に三日月宗近も追いかけるように顕現した。なにかしらの縁があってなのか、二振りはさほど時間をかけることなく番見習いとなった。見習いなのは、小狐丸が狐の幽世から現世へと渡る際に、財産を全て没収されて宴を開く余裕がないためである。当の三日月は「そんなこと気にしないでいいのだがなあ」と呑気にしていた。
百鬼夜行という大きな凶事も終わり、小狐丸と三日月は戦場に駆り出されることなく、ゆっくりと過ごしていた。三日月の膝に小狐丸が頭を預け、目を閉じている。三日月は小狐丸の髪を細い指で梳いていた。
「あにさま、あにさま」
「なんじゃ」
眠ってはいないのだろうが目を開けないまま、小狐丸はいらえを返した。
「最近は平和だなあ」
「そうじゃな」
未だ歴史修正主義者とその尖兵たる時間遡行軍との戦いは続いているのだが、それは当然のことだから多忙として挙げるに値しない。それどころか、戦いが終わる瞬間など訪れずとも、良いのではないかと小狐丸は考えてしまう。
三日月は現世の刀だ。
小狐丸は幻世の刀だ。
うっすらと、だが確かに引かれた境界線は小狐丸と三日月の在るべき場所を別つ。いま、
こうして共にいられることが非日常による奇跡だ。
三日月もそのことは承知しているのだろう。だが、何も言わない。黙って小狐丸の髪を梳き続けている。
それはまるで縋るように。
救いの糸に指を絡めるように。
何があろうとも、小狐丸は手放さないと、無言の宣言をしていた。
だから、小狐丸も自慢の毛艶を三日月の好きにさせている。他の刀剣男士でも触れることぐらいは許すが、指を絡めなどはさせはしない。そして一つ付け加えるのならば、小狐丸が自身の髪に触れることを許しても、三日月が許さないといった事例はすでに多々あった。
「三日月」
「ん?」
おそらく、年に合わない無邪気さで首を傾けている三日月の様子が小狐丸の閉ざされている目に浮かぶ。幾年ごときでは追いつかない世を経てもなお、小狐丸にとって三日月は弟であり、愛しい番だった。
だから、言えない。
私を待たなくてもよいとなど、言えないのだ。
周囲からは三日月が小狐丸に大層執心しているように映るのだろう。だが、小狐丸だって三日月が愛おしい。千年ぶりにまみえることができたときの感慨は言葉にできないほどだ。
だけれど、境界線がまたも二振りを引き裂く。太刀の小狐丸はこの世にはないとされるために、三日月と寄り添うことは許されない。
呼びかけたまま小狐丸は何も言わない。その鼻を、ちょんと三日月がつまんだ。少しの間息ができなくなり、反射で目を開ける。
「何をしておる」
「ちょっとした気まぐれだ」
笑う三日月は不思議なほど千年前と変わっていなくて、小狐丸も起き上がり、眉を寄せて笑った。
「あにさま。いいんだ」
「なにがじゃ」
「言って、いいんだ。俺はあにさまの思いであれば、なんであろうと受け止める。だから、あにさまだって好きにしていいんだ。俺についてのことならば」
小狐丸は黙る。見下ろした三日月の瞳には常と変わらず月が浮かんでいた。その嘘偽りすら許す月から目を逸らし、小狐丸は言う。
「私は、お主と共にありたかった」
「ああ」
「だけれど、それは叶わぬことなのだろう。ならばせめて、お主の心一つだけは、永久に私のものであってもらいたい。移ろいも、浮つくことも許せぬ。なぜなら」
「狐の番は唯一だから。だろう?」
先に口にされた言葉に小狐丸は緩く微笑んで、頷いた。
なんて我侭なのだろう。身勝手なのだろう。それでも、三日月だけがまた現世に在り続けるとしても、他の刀や物との幸福など願えそうになかった。
三日月宗近は私の番だ。
ぽん、と三日月が小狐丸に寄りかかる。小狐丸の胸板に頬をすり寄せながら上目遣いで言ってくる。
「だったら早く、俺が番だとみなに宣言しておくれ」
「うむ……あともう少し、給金が貯まったらな」
「ふふ。あにさまはいつもそうだ」
三日月はからころと笑った。
87.境界線
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