愛は残酷を形成する

 黄色い藤が夜になっても揺れる本丸であるために、他の本丸から黄藤の本丸と呼ばれている本丸があった。
 その本丸の審神者はいつものへらんとした読めない人物で、鷹揚と言えば聞こえは良く、呼ぼうと思えば気ままとも言えた。
 だからこそ、生まれた。
 刀剣男士の鋼と記憶を掛けあわせた、人工刀剣男士である宵が誕生する隙を与えられたのだった。
 その宵の父父である、小狐丸と三日月は困っていた。三振りの部屋で、初の出陣衣装をまとった小狐丸は腕を組み、同じく初の出陣衣装の三日月は正座した膝の上に手を置いてうつむいている。
 宵はといえば、一人で首をかしげていた。手には鞠を持っている。
 普段は小さな我が子である宵を猫かわいがりしている二振りだが、いまは違った。宵が疎ましいわけでもない。
 ただ、いまの小狐丸と三日月は互いに「いちゃいちゃしたい」という願望を抱いていた。しかし、宵の目の前で口吸いや触れ合いをすることは躊躇われて、沈黙するしかなかった。
 宵に説明しても理解はできないであろう。してもらいたくもなかった。まだ、欲得はなれた純粋な子でいて欲しい。けれどもいちゃいちゃしたい。
 その無限の連鎖に囚われてしまった。
「ととさま」
 呼ばれて、小狐丸が顔を上げる。
「はい」
「かかさま」
 今度は三日月が視線を向けた。
「ん?」
「へん」
 宵はきっぱりと言い切った。
「ととさま、かかさま。どこかへん」
 宵は鞠を持ったまま立ち上がると、部屋を出て行く。小狐丸は慌てて追いかけた。目を離せない子どもというほど幼くはないのだが、目を離せない危うさは常にある子どもであるのが、宵なのだ。
 それなのに宵は、てこてこと想像以上に早く歩いていく。廊下の角を曲がったところで、とん、としりもちをつくのが見えた。
「宵!」
 小狐丸は声を上げて駆け寄る。宵の前には、内番姿の大慶直胤がいた。大きな袖を膝に当てて、かがんで宵を見つめている。
 小狐丸が手を出すよりも先に、大慶はぽやんとしている宵を持ち上げた。
「これが噂の刀剣男士の模造品? 出来はいいねー」
 悪意も敵意もない言葉だが、「模造品」という事実を放っておけずに小狐丸は口を開きかける。だが、先に大慶が言った。
「ねえねえ。狐の刀さん。この子、少し貸して?」
「え」
「俺たちと同じじゃないけど、似た存在。興味があるー! 刀工を元にされて励起された刀剣男士である俺たちと、根源は似通っていそうだからね」
 大慶の言う通り、原点は刀剣ではないという点において、水心子正秀、源清麿、大慶直胤と宵は近しい存在と言えた。
 だけれど、顕現したばかりのまだ関わりの少ない相手に我が子である宵を預けてもよいものか。小狐丸は葛藤する。
「うん。宵は、たいといく」
 小狐丸が答えを出すよりも早く、宵は自身の行き先を述べた。瞳をのぞき込むが、赤色の目の真意はいつもわからない。溺れそうなほどに深遠だ。
 小狐丸は強引に宵を連れ戻すことを諦める。一度することを決めた宵は頑固だから、てこでも動こうとしないのだ。
「では、今夜だけ。よろしくお願いいたします」
「まっかせといて」
 宵を床に下ろして、親指を立てる大慶に、やはり不安を抱かずにはいられない小狐丸だった。

 源清麿と水心子正秀がそろそろ眠るためにと自室に布団を敷いていたところで、どこかに行っていた大慶直胤が帰ってきた。
 左手は宵と手を繋ぎながら。
 清麿は予想外の来訪者が現れたことに驚きつつも、にっこりと大慶に向かって微笑みかける。
「返してきなさい」
 江戸三作としてまとめられることの多い三振りだが、その友情関係は絶妙な均衡の上で成立している。生真面目で努力家の水心子正秀に、温和かつ冷静な源清麿、そして軽妙であり好奇心の強い大慶直胤の性質を淀ませることなく常に流動させなくてはならない。波を起こす大慶の突飛な発案をたしなめることが多いのは、清麿だった。
 今回も同様だ。まさか、友人が刀剣男士未満を連れてくるとは清麿も思いもしなかった。
 大慶はそれでも宵の手を放さずに、どうして三振りの部屋まで連れてくることになったのか、その経緯を話していく。水心子も清麿も耳を傾けた。
「それで、ここにさらってきたというわけだね」
「うん。興味ない?」
 さらっとその辺りで肯定してはいけないのでは、と話を聞いていた水心子は思ったようだった。
「ここにいて、大丈夫なのだろうか」
 三振りの視線を向けられた宵といえば、鞠を転がしていた。初めて来た部屋だからか、投げることはしない。鞠をころころ、手を放して遠くに行きそうになると留める、という遊びを一振りでしていた。
 その手が止まる。
 宵は水心子と清麿を見上げた。
「水。宵が、こわい?」
「怖くなどない」
 偽りではない。宵の存在に戸惑っているだけなのだろう。
「うん。宵も、水もまろも、たいもこわくない」
 鞠を両手で持ち直しながら、座ったまま見上げてくる赤い瞳に偽りはなかった。
 小さな騒動を持ち込んでしまったことに、宵なりに気を遣ってくれたのだろう。そのことが伝わってきて、清麿はこれ以上、宵を部屋から遠ざける気が削がれてしてしまった。
「来てしまったものは仕方ない。僕らで、しっかりと守ってあげよう」
「清麿は、大慶に当たりがきつくないか?」
 大切な親友におずおずと言われ、清麿は笑顔のまま眉間に皺を作る。水心子の発言は心外だった。
「だよねー」
 自身の奔放さを理解しているだろうに、乗っかってくる大慶も厄介だ。わざわざ乗るな、と清麿は言いたくなった。
 それでも、抗議は諦める。水心子がいる前で淡泊に大慶を追い詰める自分を清麿は見せたくなかった。代わりに宵の座る座布団と、もう一つの布団を用意する。
 宵は座布団の上に座った。まだ鞠を手放さないでいたが、三振りを見上げると、聞いてくる。
「水たちも、刀のうまれではないの?」
「ああ。刀剣男士ではあるが、我らの基礎となる情報は刀を造りし者たちだ」
「じゃあ、宵は。なんだとおもう?」
 清麿は直感的に察した。
 宵は長らく、どこかの刀に聞いてみたかったのだろう。刀剣男士の情報を持ちながら、それでも純粋な刀剣男士としての在り方とは異なっている。自分が何者であるのかを、聞いてみたかった。
 だけれどそれは、父父である小狐丸や三日月宗近には尋ねられなかった。愛故に、真実が隠されていることに、宵は既に気付いている。だからこそ暴けない。
 残酷なことをしたものだ。それでも、小狐丸と三日月宗近は互いの愛の交わりを残したかったのだろう。特に、小狐丸は幻刀であるため、一層だ。戦乱における一瞬の愛で終わらせたくはなかったという考えは、理解できる。
 三振りは黙ったまま、宵の質問に答えを巡らせていた。
 宵は鞠を転がす。とはいっても、手の届く範囲までだ。それ以上は鞠を自由にさせない。
 考え込んでいる三振りに、想像していたよりも難問を投げかけてしまったことに気付いたのか、宵は目を合わせない。鞠に視線を向けたまま、酷なほど呑気な声で言う。
「ととさまとかかさまの鋼から作られた、宵とはなんだろうね」
「愛、じゃないの?」
 大慶の言葉に宵は顔を上げた。帰ってきた答えに驚いている。
 立ったままでいた大慶は、宵の前にあぐらをかく。目線が合うことはないが、大慶は視線を下げて宵に目を合わせた。
 宵は、言う。たどたどしくなれない調子で紡いでいく。
「あい?」
「うん。愛。刀剣男士が成長するのに必要な、形のない新しい資材。目には見えないもの。不動行光とかも、織田信長から主への愛で変わったんでしょー? だから。宵も小狐丸や三日月のなにかを変えるものなんじゃいかって思うわけ」
 大慶はなるべく噛み砕いて説明したようだが、宵は鞠を抱えたまま眉間に皺を寄せている。まだ、刀剣男士未満としても二年、人の子で換算しても十にも満たない宵には難しい説明だったようだ。
「たいの話はむつかしい」
 正直な生徒の感想に大慶は苦笑する。
「でも。ありがとう」
 そう言って、宵は小さな頭を大きく下げた。大慶も笑っている。
「どういたしましてー」
 大慶が手を挙げると、宵もふくふくとしたもみじの手を大慶の手の平にぱちんと当てた。
 それから、大慶と宵は鞠を転がしあうことを始めた。
「あの二振りは案外、話が合うのだな」
 感心した様子で、これまで見守っていた水心子は言う。その横顔が穏やかであるために、清麿も安心した。
「そうだね。それにしても……愛か」
「清麿?」
 気遣った声音の水心子に、清麿はにこりと笑みを向ける。だが、その笑顔は明るいとは言いがたかった。
「大慶は良いもののように言ったけれど。愛は、人を救うと同時に壊しもするから」
 諦念した見方だとわかっていても、清麿は素直に宵を言祝ぐことができない。
 愛が救済と破壊を兼ね備えた存在であるのならば、彼もまたそういうものであるのだろうか。
 あの小さな命は。

 一つの布団の仲で二振りがくるまっていた。
 廃棄箱に放ることも手間だったのか、その余裕すらなかったのかもしれない。丁寧に折りたたまれた汚れた懐紙が二、三個散らかっていた。
 小狐丸は腕の中の三日月を抱き寄せる。
「彼らに頼んでしまってよかったのでしょうか」
「よくはない。そうだろう」
 三日月もまた、小狐丸の腰に腕を回しながら見上げてくる。昼と夜を繋ぐ紅炎の瞳と、夜と朝を繋ぐ薄青の瞳が複雑に絡み合った。
 しては、ならないことではない。
 だけれど、他のどの刀でもない自分たちが願った存在を欲のために放り投げた。罪悪感がきしきしと二振りを締め上げていく。
 三日月に頬を撫でられて、求められてから小狐丸は丁寧に口付ける。触れるだけの交わりのあとに小さく言葉を落とした。
「自分に反吐が出ます」
「そうだな。俺もだ」
 次に、三日月から口付けた。
「だとしても、俺は言うぞ。来てくれ。小狐丸」
 最愛の番に求められて、否やと言えるほど小狐丸だって淡泊な性質はしていないのだった。

 小狐丸は宵を迎えに、江戸三作の刀の部屋を訪れていた。障子の向こうから声をかける。
 障子はすぐに開き、寝癖のないまま現れた宵と、昨日に宵を連れていった大慶直胤が姿を見せる。
 小狐丸は慇懃に頭を下げた。
「昨夜はありがとうございました」
 宵は軽い体を、ぽすっと小狐丸の足にぶつけてしがみつきながら、言う。
「たいの話。たのしかった」
「ならうれしー!」
 小狐丸は宵を抱き上げる。さらに奥から出てきた源清麿と水心子正秀にも、宵は手を振る。この一晩で随分と、三振りになついたようだ。
 宵は人見知りではないが人なつこいというわけでもない。その心の許しように小狐丸は不思議に思った。
「何かしたのですか?」
「話を、少しね」
 答えたのは清麿だった。しかし、それ以上は何も言ってくれない。
 宵は手を振りながら、言った。
「またあそぼう」
「ああ」
 水心子も手を振っている。普段の隙のある堅苦しさが嘘のようだ。
 もう一度頭を下げて、宵を連れながら小狐丸は自室に戻っていく。三日月もはらはらしていることだろう。
 小狐丸は宵が寂しい思いをしなかったことに安心しながら、少しの寂しさを抱く。
 身勝手なことだ。



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