春と別れを告げて、夏の始まりと出会う季節であるために、その黄色い藤は優美に風に揺らされていた。
歴史修正主義者の放つ時間遡行軍と戦う数多の本丸の中でも、温かに黄色く色づく藤が特に目立つために、黄藤と呼称される本丸が一つだけあった。
その本丸も初夏を迎えていた。だが、本丸の景趣というものは主の趣向によって四季折々のものに変更される。春であっても秋となり、冬であっても夏であるように。
であるために、いきなり初夏の頃に真冬の雪降る景趣に戻されることもある。
極に至った小狐丸は起床すると同時に寒さを覚えた。そして、窓の外を見ると雪が深々と降り注いでいる。
そうして天井からはうっすらと主や刀剣男士の怒号が入り交じって聞こえてきた。怒りと例えるのは呆れを多分に含んだ声は、近侍の御手杵によるものだと推察できる。他の刀剣男士に背中を押されて、事情聴取に出向いたに違いない。
とん、とんと階段を降りていく音を聞いた小狐丸は部屋の外へ出た。しょぼくれている御手杵とその周りをついて回る、秋田藤四郎と篭手切江がいた。
「また主の乱心か」
「ああ。『だって暑いんだもの!』だってよ。今日一日は、この景趣でいくそうだ」
伝えて回らないといけないと、頭を抱える御手杵に小狐丸は一つ助言をした。食堂か、道場にでも紙を貼って回るとよい。大抵の刀剣男士はどちらかに顔を出すであろうし、そうもしないものぐさは御手杵や同じ刀派の刀剣男士に聞いて回るだろう。
御手杵は苦笑しながら「そうするよ」と言って、去っていった。
小狐丸も部屋に戻ると身支度を調える。今日は内番の姿でも良いかと思っていたが、冬の景趣ならば出陣衣装にするべきだろう。てきぱきと慣れた手順で着物を整える。
着替えを終えて、さて食事にでも行くかと小狐丸が部屋を出ようとしたところで、小さな影が立っていることに気が付く。短刀よりも小さなものはこの本丸には一振りしかいない。
「何をしている。宵」
小狐丸が呼びかけると、宵はひょっこりと姿を現した。普段の黄色い狩衣の上に巻かれた布や帽子などから、あの父父が今日の天候によって、慌てて宵を着ぶくれさせた様子が目に浮かぶ。
だが、今日は珍しく初の小狐丸も三日月宗近も出陣のはずだ。宵は一振りで置いていかれてしまったというところだろう。
「ににさま。おそと」
ふくふくとした黄色い手袋をした手が外を指さす。
小狐丸は自分の腹具合を確かめてから、付き合うことに決めた。
宵はこちらも用意されたと思わしき長靴を履いて、雪の積もった庭に縁側から降りる。小狐丸は普段の草履のまま宵の隣に立つ。
ずっさずさと勢いよく歩く宵は、雪を拾っては無造作に投げ捨てる。そうしてまた進む。しばらくその行動を繰り返していたが、ふと、気に入った雪質があったのか、途中で足を止めた。
かがむと、雪をつかんで固めていく。雪玉を作ろうとしているのかと思ったのだが、そうではないらしい。異なる形に固めていっている。
小狐丸は手を出さずにその様子を見守っていた。宵の横顔は珍しく真剣だった。祈るように、願うように、それとも幼子の目にしか映らない尊きものに縋るような、表情だった。
宵も出陣している父父が心配なのだろう。だから、気を紛らわすためか、もしくは祈祷のために何か生命なき存在を作り出そうとしている。無事に帰ってきた小狐丸と三日月に、自分は本丸で留守番することもできるのだと、誇らしく胸を張るために。
そう考えると、宵が意地らしく思えた。
普段は何を考えているのかわからない子どもだ。だけれど、それはまだ肉体を得て十年程度の刀剣男士には推し量れない葛藤を身に秘めているためだ。子どもという存在は無邪気ではあるが、幻想ではない。手がかかって、生意気で、だけれど純粋な魂も同時に留めている。その複雑さは奇跡のような存在だと思える。
顕現して十年も経つ小狐丸ですら宵を不可思議な存在として捉えるのだから、まだ意識を得て数年しか経っていない小狐丸と三日月はなおさらだろう。
宵は少しずつ、少しずつ雪を固めていく。丸ではなく、お椀形にしてから、さらに楕円に広げていく。
「随分と風流なことをしているね」
縁側から唐突に声をかけられた。
振り向くと、山姥切長義と山姥切国広が揃って立っている。二振りとも、出陣衣装だ。
「夏陰に白糖ですからね」
「そうだね。主の気まぐれには参るよ」
長義は口元だけを歪めて苦笑する。目元は笑っていない。
正月の祝いを迎えてから、割合早くに修行へ旅立った長義だ。極に到り、主に対する忠誠は抱いているようだが、畏敬を持っているという点では謎が残る。小狐丸には関係ないことであるために、深掘りはしてこなかった。
長義はじっと、宵を見つめる。視線に気付いた宵も顔を上げる。
「困ったものだね」
それは、同情ではなかった。憐れみでもなかった。どちらかであったのならば、小狐丸も長義に対して牙を剥いていただろう。
確かに憐れであるからこそ宵を憐れむのではないと。
だけれど、長義の言葉には運命に対する徒労が含まれていたために、察してしまった。長義もまた、監査官として時の政府に仕えていたというのに、本丸の刀として鞍替えさせられるようになったことに対して思うことはあるのだ。
それでも、刀剣男士は審神者のために戦わなくてはならない。当然にして絶対のお題目を失ってはいけない。
「本科」
国広が呼んだ。長義は頷き、そして宵を雪すら溶かせそうな温かさで見つめる。
「風邪を引くんじゃないよ」
「うん。わかっている。ほんか」
宵はいままで作っていたものを見せる。
固められた、山なりになっている雪塊の正体に小狐丸も気付いた。
長義は国広と立ち去っていく。その背中を見送りながら、小狐丸は宵に語りかけた。
「宵。溶けないあいだに、しまっておきましょう」
「うん」
そうして、本丸の厨に入る。すでに食事の盛り時は過ぎているのか、火もたかれておらず、刀剣男士もいなかった。
小狐丸は一つだけ小さな透明の箱を拝借すると、宵の手の中にある雪塊を入れさせる。冷凍庫を引き出して、そっと奥にしまった。
帰ってきた小狐丸と三日月に見せるまで、しばらくこの場を借りさせてもらおう。
「ねえ、ににさま」
「ん?」
「ここも、こおりのおり?」
小狐丸は微笑み、宵の頭に手を置いた。
そうだよ、とも言えた。
そうではない、とも言えた。
だから、小狐丸は宵に対して答えを示すことはできない。宵が自分自身で答えを見つけなくてはならないのだ。
本丸の一部である冷凍庫だけではなく、この本丸自体が檻である可能性にも、いつか。
74.氷の檻
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