47.踊りましょう

 散る散る舞い散る空に吸われる薄青の花弁。
 青い桜が一年もの間絶えず去りゆく本丸には珍しい客が来ていた。
 翠蓮本丸の三日月宗近という刀だ。
 以前に演練で青桜の本丸と翠蓮の本丸が手合わせをした際に、自らは戦わないというのに小狐丸についてきた翠蓮の三日月宗近と青桜の本丸の三日月宗近は意気投合した。
 それ以来、主の許しが出た際には翠蓮の本丸の三日月宗近は青桜の本丸の三日月宗近を訪ねるようになった。主な話題は甘味や四季の移り変わりといった風流なものであるが、同時に欠かさざる話題の種も一粒だけあった。
 互いにとって愛しい番である小狐丸だ。
 翠蓮の本丸の三日月も、青桜の本丸の三日月も、大層小狐丸に執心しているのだが、惚気られる相手は滅多にいない。恋の話題が好きな乱藤四郎や後家兼光は乗ってくれることもあるけれども、その二振り意外には大抵小狐丸の話題をすることは避けられていた。
 だから、語っている間に惚れられる心配なく、語る事前に情報を共有する必要なく、小狐丸について話のできる相手である三日月宗近という存在と出会えたのは互いにとって僥倖であった。
 しかし、今日はどうも翠蓮の本丸の三日月宗近の様子がおかしい。「小狐の会」に会わせて用意した栗羊羹を三日月は一口かじったあとに湯呑みに口付けたのみで、あとは何も口にしない。
 青桜の本丸の三日月宗近は大層心配した。だが、言葉をかけるのもはばかられて、正座をしながら見守ることしかできない。互いの青い狩衣がまれにこすれる音を立てた。
 しばらく沈黙が部屋を行き交っていたが、意を決したように三日月が顔を上げた。
「なあ、俺」
「どうした。俺」
 話題の中心は小狐丸についてだった。
 小狐丸はよく「踊りましょう」と言っている。主に向ける時もあれば、仲間に向かって軽やかに声をかける時もある。それらを見ていると三日月は不安になるという。
「あれは、小鍛治のワキを務めてくれと誘っているということか?」
「それも、相手構わずに?」
 宗近も小狐丸の台詞を思い出していく。小狐丸は敵にすら「踊りましょう」と声をかけることがままあった。
 即ち、誰も彼もを彼の舞台に上げているということだ。
 実身は存在しない。能の小鍛治によってのみ「ある」ことを語り継がれてきた小狐丸にとって、舞うことは存在の証だ。
 重要なその行為を自分以外にも誘っているというのならば、結論は一つしかない。
「「不貞だ」」
 翠蓮の三日月も、青桜の宗近も同時に呟いた。そして、頷いた。
 今度は二振りともがむっつりと黙り込む。開けられた襖からその光景を見た厚藤四郎が大変驚いたのだが、そのことにも宗近は気付かなかった。
「小鍛治のワキといったら、三条宗近だろう。その役割を俺以外に求めるというのは、なあ。いささか、いや、大分。不敬ではないか?」
 三日月の言うことに宗近は同意した。
「ああ。宗近の名を冠するのは俺たちだ。それ以外に、自身を誕生させる舞を求めるというのは、立派な浮気だ」
「元からあにさまは誰に対しても笑顔、笑顔、笑顔。その物腰の柔らかさで相手を腰砕けにしてから、美味しいところだけいただくという悪行を何度も働いている」
「それは知らなかった。だが、俺の小狐丸もそうかもしれない。小狐丸が何もしていなくとも、相手が勝手に気を持つことが何度あったか」
 言い合いながら、気持ちは盛り上がっていく。感情が向かう方向は「一度、小狐丸をこらしめないといけない」といったものだ。
「翠蓮の三日月殿が来ていらっしゃるのですか?」
「浮気者!」
 その時になって、丁度現れた青桜の本丸の小狐丸に三日月は座布団を投げつけた。
 小狐丸は片手で受け止めた。そして、突然の暴挙に困惑しているらしい表情を浮かべる。救いを求めるように自らの番である宗近を見たが、宗近は素っ気ない態度を取る。
「小狐丸」
「はい」
「以前から聞いてみたかったのだが。よく言う『踊りましょう』というのはどういう意味だ」
 宗近の低い声による問いに小狐丸はなんともないように答えた。
「そうですね。相手をして差し上げましょうといったところでしょうか」
 座布団を持ったまま立っている小狐丸を横目にしながら、三日月と宗近は顔を近づけた。
「なんたる上から目線」
「傲慢だな」
 突然の荒い感想を向けると、小狐丸は眉を寄せた。普段は綿菓子がまとわりついているのかと思うほどに甘くべたつくのだが、今日は強くあたってしまう。
 そもそも、小狐丸が悪い。
 「相手をしてください」などと、三日月宗近にだけ縋ればよいというのに。小狐丸は持ち前の傲慢さで相手を選ぶというのだ。これに妬かずにいろという方が難しい。
「三日月? 三日月殿? どうされましたか」
「なに。お主は少々、尻が軽いという話を」
 宗近は抱き寄せられた。
 小狐丸があっという間に大股で近づいてきて、宗近の唇を塞ぐ。いやだと左右に振られても逃しはしない。三日月は袂を口元に当てて言葉を無くすほどの驚き具合を見せた。
 やがて、小狐丸が宗近を解放する。口元に銀の糸が垂れて、てらりと光った。
「三日月。私の尻が軽いというのなら、貴方で縫い止めさせてもらいますよ」
「ぁ……」
 言われた内容を理解して、宗近の背筋にぞくりと鋭いものが走った。滅多に見ることのない小狐丸の怒りと情欲にちりちりと焦がされてしまう。
「そ、そこまで言うのなら。俺たち以外を安易に舞に誘うものではない」
「わかりました。気をつけます」
「三日月を迎えに来たのですが」
 最後に現れたのは、極の出陣衣装で青桜の本丸を訪れた翠蓮の本丸の小狐丸だった。三日月はその腹に向かって、一気に突撃する。
「ぐは」
「あにさまも、他の刀や主と踊るのは禁止だぞ!」
 翠蓮の本丸の小狐丸が、青桜の本丸の小狐丸に「どういったことか」という顔を向ける。
 青桜の本丸の小狐丸はきっぱりと答えた。
「さっぱりわかりません」
「「鈍感!!」」
 三日月と宗近の声が重なった。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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