一瞬の間隙

 年が明けたばかりだというのに、青い桜はすでに藍染めの空を舞っている。その光景は初めて訪れたものに驚きを与えるだろうが、三日も経てば見慣れるものでもある。
 それでも、一年もの間、絶えず咲き続ける青い桜があるためにその本丸は青桜の本丸と呼ばれるようになった。
 青桜の本丸では正月になると、様々な刀が主である審神者のもとへ挨拶に訪れる。もしくは年玉などをねだりに来る。青桜の本丸の審神者は口は利くことができないが、きめ細やかな性格をしているので、事前に様々な贈り物の準備をしていた。審神者による正月祝いを用意する刀の一振りに、堀川国広も名を連ねている。相棒である和泉守兼定はもらう側なので当然用意する側にはいない。和泉守の甘やかされるところも、国広は「そういうところがかわいいよね」としか思っていなかった。
 その国広は、いま、本丸の広間で和泉守に馬乗りになりながら首筋をつかんでいる。傍らには乾かされた杯が転がっていた。
「ちょっと、落ち着けって堀川!」
 加州清光は堀川を羽交い締めにして、剥がそうとするが、勢いよく振り払われる。大和守安定は慌てて清光が転倒しないように支えに走った。
「堀川! いい加減にしなよ!」
 清光が無事なことを確かめ終えた安定が今度は怒鳴る。向けられる国広の険しい視線にたじろぐことなく、にらみ返した。
 沈黙が続く。
 国広の手は和泉守の首から外されたが、押さえつけていることは変わらない。さらに、堀川の目は胡乱だった。普段の人なつこさは消え、闇夜に姿を紛れさせる猫を連想させる。本来の国広の性質が強く表れていた。
 清光と安定、堀川の三振りに緊迫の糸が張り巡らされる。和泉守は長い手足を動かして立ち上がろうと試みるのだが、堀川の適切な押さえ込みによって、結局はひっくり返された亀になってしまった。
「邪魔、するの」
 いままで沈黙を保っていた堀川が口を開く。普段の快活な声ではなく、じとりと湿った音をしていた。
「邪魔とかじゃなくて、お前、酔ってるよ」
「うん。絶対に、酔ってる」
「そうかもしれないね。こんなに気分がいいなんて、久しぶりだから。だから、このまま兼さんと二人きりに」
「「できるか!」」
 力強い否定に再び堀川の眉が寄せられる。また、漂いかける緊張を壊したのは、和泉守がばたばたと手を動かしたためだった。
「あー。清光、安定。俺は大丈夫だから。もう、行け」
「和泉守」
「このままだと、絶対、喰われるよ?」
 どういう意味の食事なのか、理解しているかは不明だ。だが、ひきつった笑みを浮かべながらも和泉守は力強く頷く。相変わらず畳に転がされたまま、堀川の腰をぽんと叩いた。
「安心しろ。俺の相棒だ。国広は、ひどいことなんてしねえさ」
 和泉守の言葉には説得力があった。
 清光も安定も、堀川の表の朗らかさと裏の冷酷さは深く理解している。十年、それ以上の時間を共に過ごした仲間であり、同志だからだ。互いの酸いも甘いも噛みしめてきた。だけれども、いつだって堀川から和泉守に向けられる感情は慈しみであることも承知しているので、二振りは和泉守の言うことに従うことにした。
「後悔しても知らないよ」
「んなことねえから安心しろ」
 清光と安定は広間を去っていく。襖を閉じてくれたのは、国広の変貌を見られないようにする思いやりだ。
 広間は堀川と和泉守の二振りだけになる。机の上にはまだ片付けの終えていない食事や半端に中身を残した酒などが残されているが、畳の上に転がっているのは和泉守と先ほど国広が飲み干した杯だけだ。
 黒髪を波状にうねらせながら、和泉守は考える。
 国広はどうしたというのだろう。
 杯を干す前までは、いつも通りだった。新選組の仲間で集まっていたのだが、蜂須賀虎徹が長曽根虎徹を呼びに来たので、去っていき、代わりに置いていかれたものが机の上にある酒だ。
 和泉守は目をこらす。蜂須賀が置いていった瓶に、一つ、包装の色が異なるものがある。先ほど国広の杯に注がれた酒だ。
「国広」
「なあに」
 普段の「なに!」とは全く異なる、眠たげですらある呼び方は国広の気の緩みようを示している。口元がほころんでしまいそうになるのをこらえて、上からどいてくれるように和泉守は頼んだ。
「やだ。離したら、兼さん逃げるでしょう」
「逃げねえよ。まあ、代わりにお前が吞んだ酒を持ってこい」
 じとりとした翡翠の瞳で和泉守の言葉の真偽を確かめてから、国広は四つ這いで慎重に机まで移動し、瓶を持ってくる。和泉守は起き上がると、国広と相対しながら瓶を持つ。
 瓶の包装に書かれた字を見た和泉守はがくりと肩を落とした。
 酒ではない。酒ではないのだから、酔っていないのかもしれない。だが。
「お前、これ『またたび茶』ってなんだよ!」
「知らないよ。ただ、吞んだら兼さんから離れたくなくなったんだもの」
 顔色は変わらず、ただ目だけ据わったままの国広は和泉守にまたしがみついてくる。互いに、内番の姿で良かったと和泉守は思わざるを得なかった。
 出陣衣装のままじゃれつかれたら大変だっただろう。
 膝の上にいる、国広の意外と硬い髪を和泉守は乱す。普段ならば春風の微笑を見せるだろう国広も、いまはされるがままだった。国広の髪を撫でることを続けながら、和泉守はくすぐったさを覚える。
 普段は犬のように後をついて、離れずに、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる国広だ。けれども猫を酔わせるまたたび茶でこれほど崩れていることが、不思議で面白い。
 和泉守が笑っていると、ふと、国広が顔を伏せた。
「どうし」
 見下ろして、一瞬。
 がぷりと牙を突き立てられた。


    信用できる方のみにお願いします。
    • URLをコピーしました!
    • URLをコピーしました!

    Writer

    創ることが好きな人。
    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

    目次