寒風が吹きすさび、内番の衣装だけでは心許なくなって、上着を羽織る季節が本丸を訪れた。だというのに、本丸の各所に咲いている金木犀は多少は風に揺らされど、散ることはない。故に、この本丸は金木犀の本丸と呼ばれていた。
金木犀の本丸の主は、いまは溜まった主課を終わらせるのと資材集めの指示を出すのに忙しい。実際に出陣して現地に赴くのは刀剣男士だが、遠征との兼ね合いが大変だと主は唸っているようだ。近侍の堀川国広は苦笑しながら審神者をなだめているらしい。
極に至り、相当の練度まで鍛え上げられた一期一振は極の出陣衣装のまま本丸を歩いていく。正門にはすでに出陣のため集められた第二部隊が揃っていた。これから青野原の五条という、現時点の最難関に挑みにいく。
蛍丸を隊長にして、謙信景光、物吉貞宗、同田貫正国といった極の面々が集う中、一期は眩いばかりの白に身を包んだ、恋刀に向かって呼びかける。
「鶴丸殿」
「おや、一期。お見送りでもしてくれるのかい?」
豪奢な極の衣装に身を包んだ鶴丸国永が振り向き、陽気に笑う。一期は頷いた。
「ご武運を。本丸から、心よりお祈りしています」
「そりゃ、何が何でも敵陣を蹴散らして帰ってこなくちゃな。ほら、小狐丸」
ばん、と勢いよく鶴丸に背中を叩かれて、同じく真白な小狐丸が恥じらうように微笑んだ。視線がわずかにさまよっているので、これから伝えなくてはならないことの内容が申し訳ない。
「三日月殿は、いらっしゃいません」
「はい。存じております」
見ている側の胸が痛くなるほど爽やかに笑った小狐丸に、一期と鶴丸は顔を見合わせた。
鶴丸と一期が恋刀であるように、小狐丸と三日月も恋仲だ。けれども、金木犀本丸の三日月は大層矜持が高く、愛しい相手にこそつれなく接してしまうという悪癖を患っていた。本刀も身についた癖を直そうと悪戦苦闘をしているのだが、いまのところ目立った成果は上げられていない。だからこそ、小狐丸が三日月に健気に尽くす姿がなおさら不憫に映る。さらに、三日月も小狐丸の献身を理解しているため、自己嫌悪に陥っているのは見ているだけでも痛々しい。
一期自身の恋も上手くいくことばかりではないが、小狐丸と三日月の恋路も相当の難所に突き当たっている。
気付かぬうちに眉をひそめると、小狐丸は朗らかに言う。
「一期殿。お気遣いありがとうございます。ですが、私は大丈夫です。三日月殿は、また恥じらって、その感情の行き場がないのにどの刀にも見せたくないために、天岩戸になっているだけですから」
「その理解の深さには恐れ入るな」
鶴丸の本気か冗談かわからない一言で場の緊張は一気に解けた。
「そろそろ出陣するよ」という蛍丸の一声によって、鶴丸と小狐丸も時空転移装置に向かう。一期は全員の姿が消える最後まで見送ってから、三日月を捜しに本丸へ向かった。
三日月はいつもの縁側や食堂などにはいなかった。書籍室にもいないとなると、心当たりは一つしかない。一期は三日月の自室へ向かった。
いた。
部屋の中心に正座して、一枚の紙を手にしながら、溜息を落としている。
「三日月殿。もう、小狐丸殿は行かれましたよ」
若干の咎めの色を含みながら、初の出陣衣装に身を包んだ三日月の後ろ姿に声をかけた。肩が跳ね上がり、三日月が振り向く。居心地の悪い表情を浮かべたあとに、写真を丁寧に行李にしまってから、一期と向き合う。
一期は三日月の覚悟を決めた様子に、くすりと笑ってしまった。
まるで、弟たちが失敗を隠したときや、いたずらをして怒られるのを理解しているのと同じ神妙さを、あの天下五剣で最も美しいと誉高い三日月が湛えている。気勢も削がれるというものだ。
「私は怒りに来たのではありませんよ。ただ、少しでも三日月殿が小狐丸殿に対して、素直になれたらよいと思っているだけです」
「できるのならば、とっくにそうしている」
弱々しさと棘が絡んだ複雑な声音で言い返しながら、三日月は狩衣の袂を膝の上で重ね合わせる。
「でしたら、どうしてできないのでしょうね」
「それは。それは、それは。……小狐丸が、すき、だから」
小さな声で、三日月は恋を覚えたばかりによる純情を垣間見せた。
三日月は永く恋をしている。傍から見ているだけでも伝わってくるほどに、月を宿す瞳は愛しさの炎に炙られて潤んでいた。
「すきだからこそ、伝えることが難しくなるんだ。俺ばかりが恋しくて、傍にいてもらいたくて、だけど実際にいられるとなるととても苦しい。そんなことを小狐丸に知られたら、この肉の塊は止まってしまう。あれのことを考えるだけでも、一気に熱を持つのだから」
「随分と惚れ込んでますな」
三日月の珍しい早口の惚気を聞いた一期は苦笑の段階を通り越して微笑ましくなった。一期の感想に三日月の頬は薄く紅を浮かび上がらせる。
「出陣の時だが、小狐丸は。どうだった?」
「さみしがっていましたな。三日月殿が見送りに来なかったので」
「だって、なあ。……恥ずかしい」
「結局そこに行き着くのですね」
三日月は普段の泰然とした態度が嘘のように身を縮める。一期は隠しきれない笑みをこぼした。
結局、三日月の度の過ぎた素っ気なさは愛情の裏返しなのだろう。三日月は小狐丸という刀を千年ものあいだ恋い焦がれていて、だけれど実際の小狐丸は千年前の小狐丸ではなかったというのに、また恋に落ちてしまった。
三日月宗近が小狐丸に惹かれるのは定めなのだろう。
小狐丸もまた三日月宗近を慈しんでやまないように。
「まあ、帰ってきたら私と一緒にお出迎えですな」
「待て。一体どんな顔をしてあれを迎えろというんだ」
「先ほどの顔だけは、他の刀には見せない方がいいと思いますが。それ以外でしたらなんでもいいでしょう」
三日月は首を傾げた。何を言っている、と眉間の皺が訴えている。
当の刀は、どれだけ他の刀を見蕩れさせる表情で小狐丸に焦がれていたのか、わかっていないらしい。鶴丸と結ばれている一期ですら、三日月が先ほど浮かべていたとろけた表情を愛らしいと思わずにはいられなかったというのに。
小狐丸にあの顔を二振りだけの時に見せたのなら、全ての杞憂が吹き飛ぶだろうに。
そのことを正直に言ってしまったら、狐の報復が恐ろしいので、一期は内心で思うに留めた。
一期の世話焼き
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