96.氷点下の微笑

 秋の終わりを迎えたというのに赤い葡萄が揺れる本丸であるために、赤葡萄の本丸と呼ばれるようになった本丸がある。
 その赤葡萄の本丸に、盛夏の頃に一振りの刀が顕現した。名は「童子切安綱剥落」という。天下五剣の一振りである童子切安綱の名を冠しているが、当の刀そのものではないらしい。だが、赤葡萄の本丸では三日月宗近や大包平、石田正宗が進んで剥落の存在を受け容れた。そのため、いまは剥落も本丸の仲間として平穏に日々を過ごしている。
 そして、昼食を終えた昼下がりのいま、剥落も含めた天下五剣の刀は揃って広間に集合していた。天下五剣には陽気と呼べる性質の刀はいないため、盛り上がるといった言葉とは遠い。だが、時代も場所も環境も超えた繋がりによって結ばれた刀の絆は見て感じられる。
 初の出陣衣装の小狐丸はその様子を微笑ましく見たらよいのか、それとも素直に妬心に駆られたらよいのか、全くもって疑問だった。
「おい。小狐丸。その顔は、いまどういう心境の顔なんだ」
「三日月が楽しそうなのは愛らしいが、同時に不穏で仕方ないといった顔じゃな」
 同じく隣に並ぶ、内番姿の大包平は呆れた視線を小狐丸に向ける。小狐丸はべしりべしりと手で突き刺さる視線を払った。
「お前も意外と心が狭いのだな」
「そういうお主は、以前と比べて余裕があるようじゃが」
 ふ、と大包平が笑う。胸に手を当てて高らかに笑う。
「この大包平は美しく強いのだという確信を、修行に出て改めて得たからな。天下五剣と比べる必要も無いということだ!」
「単純でいいのう」
 付け加えるのならば、大包平は現世で実存している。さらに、最愛の番である三日月と同じ場所で保存されているともいう。小狐丸にしてみればうらやましいことこの上なかった。とはいえ、口に出すのは矜持に憚られてできはしない。
 小狐丸と大包平がそうこう話していると、天下五剣は解散したようだった。大典太光世と鬼丸国綱が去っていき、数珠丸恒次と童子切安綱剥落も二振り並んで三日月から離れていく。大包平は数珠丸と剥落に向かって歩いていった。小狐丸のことなど気にも留めない。
 広間に残された刀は小狐丸と三日月宗近だけだ。膝を立てて、行儀悪く座っている小狐丸に三日月はのそのそと近づいていく。そうして、顔をのぞき込んできた。
「あにさま?」
「なんじゃ」
 視界が暗くなる。瞼は閉ざしていない。目に、三日月の篭手に覆われた手の平が重ねられたのだ。
「何をする」
 薄暗い、隙間から少しだけ三日月が見える世界に問いかける。
 三日月の言葉は突き放したものだった。
「見たくないのなら、見なければいいだろう」
「逃げるわけにはいかんじゃろ。お主がしていたようにな」
 三日月は現世で千年もの長い間、歴史を眺め続けてきた。さっさと退場してしまった小狐丸とは異なる刃生を歩んできた。だから、その間に得た絆の数も格段に違う。結ばれた絆の一つひとつに嫉妬してしまうのは大人げないが、かといって治まりがつくものでもない。
 小狐丸は三日月の手をつかむ。そうして、そっと自身の唇に三日月の手の甲を近づけさせた。篭手に包まれた手は硬質の感触で、刀身の冷たさを想起させる。
「あにさま。俺は、天下五剣で最も美しいと言われているが」
「自慢か」
「まあ、聞いてくれ。だけれど、俺は三条の太刀だ」
 小狐丸は顔を上げる。
「あにさまと俺だけが、三条の太刀だ」
 そうだろう、と笑う三日月の表情は。
 冴え冴えとした白い月のように、美しく冷たい微笑だった。
 透ける独占の欲に小狐丸も微笑んだ。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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