選ばれないことなど最初から理解っていた。理解っていても、諦められないことが、捨てられない物が此の世には溢れていた。
俺は一つひとつ丁寧に落ちているどうしようもないものを拾っては、手の中から溢れ落とし、また拾うことを繰り返している。結局、この手の中にはなに一つ残りはしないというのに。
唯一この手ですくえるのは残り滓にも似た記憶だけだ。
不毛な行為でしかないのだとしても、どうか、付き合ってくれないだろうか。
お主も。
紅の菫が、ひゅっと風に揺らされた。
十年の歳月を経て、数多作られた本丸の中でもまだまだ新しい部類に入る。さらに付け加えるのならば、大侵寇は経験していないが、百鬼夜行という嵐を二度やり過ごした本丸。百戦錬磨とは言いがたいが十戦したら六勝くらいはかろうじてもぎ取るであろう、それが紅菫の名を冠する本丸だ。花の名前が付けられているのは紅い菫が絶えずどこかで咲いているためだった。
紅菫の本丸の三日月宗近は審神者の手によって鍛刀されたわけでもなく、刀剣男士が持ち帰ったわけでもない。政府から下賜された一振りだ。本丸に渡るまでのそういった来歴もあってか、元から恐縮しがちな審神者は主だというのに三日月宗近に対して大層丁寧に接している。
主に構われることが好きな小狐丸にしてみれば、愉快なことではない。いくら天下五剣、千年の歴史を見守ってきた刀と三日月宗近が尊ばれているとはいえ、同じ三条宗近の手による太刀だというのに差が付けられるのはつまらない。だけれど、その不満を表に出すほど大人げのない刀ではないのが小狐丸だ。
そういったわだかまりもあってか、小狐丸と三日月の折り合いは悪かった。だけれど、三日月が小狐丸に対して控えめに言えば好意的に、はっきりと言えば図々しく距離を詰めてきたために、小狐丸も動揺してしまった。
だから、まだ残暑が残る秋の日に小狐丸は言ってしまった。
「どうして貴方は私を気にかけるのですか」
疑問にも懇願にも似た言葉をかけられた三日月だが、一欠片も動揺を見せなかった。夕食に何を食べたいか、と聞かれたときの方が困るだろうといった優雅な風情で顎に、篭手に覆われた艶めかしい人差し指を当てながら、首を左右に傾けていた。
最後にはにっこりと笑う。
「わからん」
はは、と軽やかな笑みまで付属されて、困るのは小狐丸だ。こちらから理由を尋ねたというのに、相手が取る行動には理由など無いらしい。気の向くまま赴くままで振り回されているのだとしたらたまったものではない。
だが、小狐丸は三日月に明確な拒絶も向けられなかった。三日月がもし聡く小狐丸の口にしたことの裏の意味に気付いて「あいわかった、これからは話しかけることはしない」などと言っていたら、胸の奥に穴が空いた気分になっていただろう。
小狐丸は三日月が苦手だ。だが、苦手とはいえ、決して嫌いなわけではない。むしろ芽生え始めた恋の道を覆う藪を前にして途方に暮れているのかもしれなかった。一つずつ切り取るしかない障壁にどこから手を出してよいものかと肩を落としている。
小狐丸は縁側に腰掛けている三日月を見下ろす。三日月は常の品がある穏やかな微笑を湛えたままだ。小狐丸の煩悶など気にしてもいない。その美しい顔立ちが憎らしくて、愛らしいから困っている。
「まあ、でもな。俺は自分だけで長らく続けてきたことがあるんだ」
「それは一体、どういうことなんですか?」
三日月は答えないまま右の人差し指を一本立てて、口の前に添える。どうやら内緒だということらしい。小狐丸はそろそろ帰りたい。自分の部屋に帰りたい。とはいっても、三日月とは同室であるために夜には顔を合わせることになる。八方塞がりだ。
小狐丸の葛藤に気付かないまま、三日月は呑気に話す。
「俺がしていることは堂々と口にはできんことだから、何にも助けてくれなど言えなかった。だけど、もし、俺が『助けてくれ』と言える時が来たら。その時に、助けてくれるのがお主だったら、それはきっと、幸福なのだろうなあ」
「口説いています?」
顔が赤くならなくてよかった。代わりに、どの刀にも見られる場所のない耳が熱くなる。今すぐにでも手で耳を覆い隠してしまいたい衝動を小狐丸は必死にこらえていた。
三日月はといえば、変わらず微笑んだままだ。
此の世に降り立ってから、無駄なことをしている刀を一振り見つけた。
己が瑕疵のない美しさを持っているためか、他の弱きもの、儚きもの、失われるものに対して非常に愛着を持っていた。
だから、一つ、また一つと手に取るのだけれど、量が膨大すぎるから全て手の平から零れ落ちてしまう。
全て手の中から落ちて、残ったものが淡い記録だけになってから、周囲を見渡し始めた。
私はようやく、その刀の肩を叩くことができた。気付いた刀は振り向いて、恥ずかしそうにはにかんだ。
付き合ってくれないか。
お主も。
私は答えない。篭手に覆われた、手を取るだけだ。
