寒さも厳しさを増していく霜月の本丸であってさえ、黄色い藤が色鮮やかに咲く本丸であるために、その本丸は黄藤の本丸と呼ばれていた。
黄藤の本丸には二振りの小狐丸がある。一振りは極に至り、すでに練度も頭打ちとなって本丸の守護の要とされる。もう一振りは初のまま、ゆったりゆたりと鍛えられていた。
その極の小狐丸だが、いまは出陣衣装のまま、珍しく不機嫌を表に出してのしりのしりと本丸の廊下を歩いていた。だというのに、すれ違った秋田藤四郎や謙信景光という刀たちにはつとめて笑顔を向ける。一瞬前の不機嫌を霧散させていた。
極の小狐丸がどうして不機嫌なのかといえば、審神者に呼び出されたことにある。大抵の小狐丸は主たる審神者に相手をされることを好むというが、黄藤の本丸の小狐丸は別だった。払うべき敬意は常に胸に抱き、顕現してもらえたことに感謝もしている。かといって、黄藤の本丸の審神者は犬がするように素直に腹を見せたい相手ではなかった。
極の小狐丸は黄藤の審神者を警戒している。今回の件はその警戒に拍車をかける発言をされたためだ。
――そろそろ、諦めてもいいんじゃないかな。
思い出しただけで極の小狐丸の腸は煮えくり返る。
なにを、貴様が。
どの口で。
極の小狐丸は吐き出しそうになる呪詛を優雅に押さえ込んで、優美に微笑んだ。
――お気になさらず。
断絶の言葉を口にして、極の小狐丸は挨拶もせずに審神者の部屋を辞去した。そうして、不機嫌であることを隠せないままに本丸をうろついていたところだ。肉体を得ても、出陣や遠征の機会がなければどこにも行くことのできないこの身が極の小狐丸には恨めしかった。
鬱屈を晴らすこともできずに、極の小狐丸は普段は思い出さない幻影を頭に過らせてしまう。
宵闇の髪。鈍金の髪飾り。向けられる夜の瞳に浮かぶ月と、間違いなき慕情。
全てが極の小狐丸には愛しかった。全てが極の小狐丸には恋しかった。いまは失われてしまったのだと理解していても、狐は夜に浮かぶ月に向かって寂しく哭いてしまう。
極の小狐丸は足を止めた。空を見上げる。白い月すら浮かんでいない。
月はない。
「あれ。ににさま」
呑気な声が聞こえてきたので、後ろを向く。五歩ほどの距離を開けて、本丸の異端がぽつんと立っていた。
夜の髪に赤い瞳を持つ子どもは、宵という。黄藤の本丸の、初の小狐丸と三日月宗近の鋼を掛けあわせて人工によって作られた刀剣男士だ。
だが、顕現した瞬間から戦いへの覚悟が刷り込まれている純粋な刀剣男士と違い、宵は全く戦いに向いていなかった。刀を扱う腕は悪くはない。ただ、出陣させるには不安が大きく、結局、黄藤の本丸において籠の鳥となってしまった。
それでも宵は自身の境遇を嘆くことも、文句を言うこともしない。まだ無知であるために現状への不満を感じることができないだけかもしれないが、宵は素直な子だ。
宵はてこてこと極の小狐丸のところに歩いて行き、ぐいと袴を引っ張る。
「ににさま、おこってる?」
「そうじゃな。少し、怒っている」
「ふうん」
自身に向けられていないためか、宵は極の小狐丸の怒りにさほど関心を払わなかった。いつもの通り、宵は極の小狐丸と共に本丸を探検する。今日は、宵の父父である初の小狐丸も三日月も遠征に出ているらしい。
おかしな歌を唄いながら、本丸の刀剣男士と言葉を交わす宵の後をついていく。同時に小狐丸は考えていた。
刀に代わりはあるのだろうか。おそらくない。一度でも、折れるか流れるかしてしまえばその刀は永遠に失われる。小狐丸という刀も、小鍛治で現存している本身はとうに失われて現世には存在しないため、ひどく希薄なものになっている。
しかし、刀剣男士には代わりがある。今日の審神者と溝を深めるきっかけにもなった事象に、極の小狐丸は怖気を覚えてしまう。
審神者が口にしたのは、極の小狐丸にもまた別の三日月宗近をあてがうということだ。極の小狐丸からしてみれば冗談どころではない。狐の番は一振りだけというのもあるが、極の小狐丸にとって三日月宗近は一振りしかいない。同じ肉の体を得て顕現した三日月宗近を与えられても、魂が違う。
極の小狐丸が全てを捧げた三日月宗近ではない。
だというのに、あの審神者は言ったのだ。「もう、いいだろう」と。
こぶしを強く握った極の小狐丸に、宵は目を向けた。感情の乏しい目だ。
だけれど、自身を気遣ってくれることは十二分に伝わってくる。
「ににさま?」
「なんじゃ」
極の小狐丸は穏やかに微笑みかける。宵は首を左右に振って「なんでもない」と答える。
宵も、私も自我は唯一だ。代わりなどいない。あってはならない。だけれど、主である審神者にとっては魂の独自性などどうでもよいのだろう。姿形と性能が同じであれば、どれも同じ「小狐丸」だ。だから、簡単に溶かしてすげ替えられる。
極の小狐丸は宵を抱き上げた。あまりにも軽い体に切なさを覚えながら、微笑みかける。
「ににさま」
「ん?」
「にこー」
そう言いながらも、宵は相変わらず笑えてなどいない。目は全くの空虚で、口の両端が持ち上がっているだけだ。
だというのに、宵はいつも笑う。笑おうとしてくれる。
そのことに宵だけの意思が感じられて、極の小狐丸もふっと笑った。
98.一途な想い
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