70.箱庭の世界

 春というのにうっすらと汗も滲む季節になったとしても、黄色の藤は涼しげに揺れている。一年もの間咲き続けているその花があるために、この本丸は黄藤の本丸と呼称されるようになった。
 黄藤の本丸では毎日、近侍や各番長を務める刀剣男士に連絡が入る。小竜景光が内番の運動着に着替えようとすると同時に、珍しく長方形の端末が震えた。画面には「近侍」の二字が素っ気なく並んでいる。
「いつもは俺の相手なんてそれほどしないのに。珍しいね」
 長船の祖と呼ばれている燭台切光忠に画面を見せながら言うと、燭台切は小竜の極の出陣衣装を取り出してきて、置いてくれた。
「百振り以上もいたら、主も皆に平等に接するのは難しいのだろうね」
「俺としては平等でなくとも、公正であったらいい気もするけどね」
 燭台切から衣装を受け取ると小竜は慣れた様子で着替えた。胸元が大きくはだけるが、同性の主は特に気にしないようで、修行から帰還した時も淡々と「おかえり」とだけ、言われた。
 この本丸の審神者は何を考えているのかわからない印象が強い。微笑は常に絶やさないでいるが、だからこそ相手を安堵させる面も、不安にさせる面も両方ある。
 小竜にとって主は旅から帰るべき場所になった。いまは放浪の血がうずくこともない。
 だけれども、その心のありかをつかめない人物が、黄藤の本丸の審神者だった。
 小竜は先に食事を済ませるように、大般若に勧められた。近侍は変えられない限り、長丁場になると言われ、その通りだと頷いた。小竜は自分が長く近侍に命じられるとは考えていなかったが。
 食事を済ませ、主の部屋を尋ねる。
 特に指示は出されなかったので、透明な棚に分けられて整理された書類を眺めてみた。黄藤の本丸で普段から近侍を務めている膝丸の真面目さの成果か、特にすることがないことだけは十分に理解できた。
 小竜は「近侍用書棚」という場所に置かれた共用の本を手に取る。娯楽の類いから真面目な歴史書まで内容は多岐にわたっていた。
 その中の一冊をめくりつつ、欠伸を一つした。
 から、と近侍の間の襖が横に移動する。視線を向けた先に誰もいなかったので、下に落としていくと小さな客人がいた。背丈は短刀よりも小さい。
 小竜は自然と目元を和らげて声をかけた。
「やあ。おちびさん」
 黄藤の本丸が審神者のみならず他の本丸と一癖ある理由の一つである、刀剣男士とは異なる存在、宵がそこにはいた。遅れて、極の出陣衣装に身を包んだ小狐丸も訪れた。
「お主が今日の近侍か」
「そうみたいだよ、小狐丸。おちびさんは俺の名前は知っているかな」
 宵は本丸の離れにいることが多く、特定の刀剣男士以外とは交流が少ない。小竜も姿を見かけることはあっても、話すことは初めてだった。
 宵は首をかしげてから、横に一度振った。
「俺は小竜景光。長船派の太刀さ。よろしく」
「こりゅう」
 宵は一度、舌足らずに繰り返してから、小狐丸と小竜で視線を往復させた。
「ににさまと同じ、ちいさい、がつくの」
「ああ。名前は小さくとも、俺の竜は見事だよ」
 元からはだけている襟をさらに乱すと、宵は小さな頭で大きく頷いた。
「すごい」
「ああ。すごいよ。それと、小狐丸。この子の二親はどうしているんだい?」
 初の小狐丸が出陣で忙しいことは小竜も知っているが、三日月はそうではない。あの刀は箱入りの扱いをされている。だから、大抵は宵の傍らにいるはずだった。
「今日は二振りとも出陣じゃ」
「珍しいね」
 自分が近侍になったことといい、三日月の出陣といい、今日はこれから雨でも降るのだろうか。そうであってもおかしくのない事態だ。
 主が何を考えているのかはやっぱりさっぱりわからない。
 小竜はまた宵に視線を移す。
「寂しくはないのかい?」
「んー。かえってくるなら、だいじょうぶ」
 それはどこか、予言めいた口ぶりだった。
 宵は小狐丸と三日月が無事に帰ってくると信じている。だから、不安にならない。その言葉を小狐丸は複雑そうに見つめていた。
 瞬時、鳴る。
 異常を告げる、荒々しい警戒音が鳴り響いた。
『第二部隊、帰還。重傷は一振り、中傷が二振り。重傷であるのはみかづき――』
 宵は丸い目を見開いた。
 小狐丸は宵の背を支えた。
 小竜は手入れの配分を始めた。
 そうして、各自が動き出す。宵はたたた、と普段は見せることのない俊敏さで本丸の入り口に向かって駆けていく。小狐丸はその後を追おうとする。だが、その前に立ち止まった。
「小竜。気をつけよ」
「何をだい?」
「我らの主は決して、善良ではない」
 敵意も悪意もない。純粋な忠告だった。
 だけれど、そんなことを言われても小竜は困るしかできなかった。様々な主を渡り歩いてきた。そうして、たどり着いたところがこの主のいる本丸だったのだ。
「そうだとしても、俺の主なんだよ」
「知っておるよ」
 小狐丸はほろ苦く笑い、最後に音にせず口にした。
 だからこそ、性質が悪いんじゃ。
 宵を追って去っていく小狐丸を見送ってから、小竜は近侍らしく主の補佐を務めていく。手入れ部屋に入れる順番を決めて、どこで手伝い札を使うかなどを判断する。
 その途中で、呟いた。
「主。小さい子を泣かせるのは、褒められたことじゃないよ」
 答えは返ってこない。
 何よりも雄弁であるその応えに小竜は肩をすくめてしまった。




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