6.笑顔(とうらぶ/こぎみか/黄藤本丸)

※こぎみかに子供がいます。ご注意を!

 本丸の四隅に藤棚が配置されている。そこに置かれて腕を垂らすのは黄色い藤だ。この本丸の主の好みであるのかどうかは不明だが、一年ものあいだ雨が降っても雪が積もろうとも枯れることがない。
 それゆえに、この本丸は黄藤本丸と呼ばれることになった。
 その黄色い藤の下にある長椅子に座りながら、未亡刃の小狐丸は一振りの子どもを眺めている。本来ならば己と関係はないはずだが一方的に懐かれてしまった。いまも白い戦装束の毛束を撫でられている。膝の上には当然のごとく、その子どもが座っていた。
 子どもの頭のてっぺんにはくるりとした癖があり、髪の色は夜に落ちる前の紺色で首すじ半ばで切られている。肌はもちもちと白くて目の色は赤く、月の輝きの代わりに獣の瞳孔が一本引かれていた。口元は静かに閉ざされたまま、黄色い狩衣を着ている。
 片手で縊れそうなほど小さな子どもだ。背丈も小狐丸の太もも程度しかない。
 だけれど、小狐丸の子どもではない。正確にはそう言えるのだが、修行に行って極となった小狐丸の子どもではない。
「ととさまのににさま」
 舌足らずに呼ばれる。今度は髪を引っ張られそうだったので、大きな手で指先を構いながら言う。
「なんじゃ」
「にこー」
 表情と言っていることが全く合っていない。
「宵。お主、笑うの下手じゃな」
 憐憫すら持って、小狐丸は呟いた。
 宵は笑顔を作ろうとしたようで、その努力は確かに伝わってくるのだが、小さな顔に浮かべられた口角の上がった笑みは自然な喜びよりも作った物だと一見してわかる拙さに満ちていた。
 残酷な指摘にも落ち込むことなく、小狐丸の髪の左側にある三つ編みの部分を引っ張ろうとする宵を引き剥がしたところで、ぱたぱたと焦る足音が聞こえてくる。
 普段は落ち着いてのんたりと歩く三日月宗近が、青い袂を揺らして足早に駆け寄ってきた。
「宵!」
 ああ、母の顔だ。
 男でありながらも三日月の浮かべる純粋な心配に小狐丸は昔の傷が引き攣る音を聞いた。
 三日月は小狐丸とその膝の上に座る宵の前に立つと、両腕を伸ばす。宵はつれなく小狐丸を放り出し、三日月の腕に包まれて抱き上げられた。
「小狐丸殿、すまなかった」
「気にするでない。もう慣れたことじゃ」
 いつからか、三日月の子である宵は小狐丸に懐くようになった。最初は布団に乗られて驚いたが、その一件以来ふらふらと一振りで出歩いては小狐丸にへばりついてくる。
 そうされると、立場がない刀があるのだが宵はどうしてか、番を失くして孤独の中にいる小狐丸の傍に寄り添ってくる。宵は知らないはずだというのに。小狐丸の伴侶のことも、二振りに何があったのかも誰にも教えられていない。それなのに近づいてくる小さく無垢な魂は小狐丸の孤独をわずかに癒し、寂しさを掻き立ててきた。
 だから、もう行けと手を振る。
 三日月は宵を抱いたまま頭を軽く下げて本丸へと向かっていった。宵も、小さなもみじの手を何度も振ってくる。その顔は変わらず笑っていない。
 二振りが立ち去ってから、小狐丸は薄らと気づいた。
 宵は、上手く笑えないのかもしれない。

 宵の一人旅はいつも両親の部屋に帰って終わる。
 それなのにどうしてくらげのように何も言わずに出歩くのだろうと、小狐丸は頭が痛い。自分がいない時に限ってなのが尚更だ。三日月は毎回、瞬きをする間に宵がいなくなったことに気づいて、捜しに行き、帰ってきた小狐丸に申し訳ないとほろ苦い笑みを見せてくる。
 いまだ極に至れていない、辛子色の出陣服に腕を通している小狐丸はぽけっとした顔のまま正座している、宵に言う。
「宵。出かける時はかかさまに伝えなさいと言っているでしょう。貴方を捜すのは毎回大変なのですよ」
「ととさま」
 返ってきたのは鋭い声だった。普段のぼんやりとした様子とは違う、覚悟を決めた声に小狐丸も身を硬くする。
 小狐丸はいまだ出陣を重ねていて、宵と触れ合う時間をあまり取れていない。それもあってか、愛しい子ではあるのだが、どこかわからないところも多い。
 宵は、純粋な刀剣男士ではないためだろうか。人の心身を模して励起された物が、さらなる歪な命を生み出してしまったのだろうか。
 三日月も小狐丸の隣に正座して、宵の言葉を待っている。
「ねえ。宵は、笑うのへた?」
 そうして宵は笑う。大抵の大人が理想を見るにこやかな笑顔だった。同時に、心から楽しんでいないと絶望を覚える笑いだった。
 小狐丸の胸がつきんと痛む。その表情だけで宵は自らの失態を悟った。
「宵がつくりものだから、笑うのへたなの?」
「違いますよ。宵はまだわからないだけです」
 暖かくなる喜びも、燃える怒りも、冷えていく悲しみも、温もる楽しさも、宵にはない。百年、三百年、一千年と語られる歴史がいまだない。
 ただそれだけなのだ。
 審神者によって励起される魂の代わりに、小狐丸と三日月の歴史と霊力を掛け合わせて生まれた人工の刀剣男士。
 それが宵だ。
 歴史修正主義者に劣らぬ歴史に対する無礼だというのに、これは歴史を変えるのではなく歴史を作るのだと、提案してきた政府は穏やかに二振りを諭した。
 その理屈を完全に受け入れたわけではないが、小狐丸と三日月にとって互いが交合した証を残せる誘惑は抗いがたかった。
 この戦いが終われば小狐丸はいなくなるかもしれない。
 三日月はまた一振りになるかもしれない。
 だけれど、宵がいてくれるのならば、互いが同じ刻を過ごした証明になってくれる。
 歴史に残らずとも、互いの爪痕を記憶に刻みたくて小狐丸と三日月は己の鋼を禁忌に向かって差し出した。
 とはいえ、宵は自分たちの子だ。幸せになってもらいたい。幸せを感じてもらいたい。
 だから、小狐丸は宵に手を伸ばして、無防備な脇腹に指先で触れていった。力は鍵盤を撫でる優しさだ。
「ん、ととさま、くすぐったい!」
「そうでしょう。ほら」
 指を細かに動かしていき、その中に三日月も入っていく。こそこそと両親に身を遊ばれて、宵は両腕と足で空をかきながら、くすくすと笑っている。
 その笑顔は反射とはいえ、先ほどに比べたら紛れもなく無邪気な笑みだった。
「んー! やーめーて!」
 弱い力で腕を叩かれてから小狐丸と三日月は宵に向けていた腕を引いた。そうして、三振りで抱きしめあう。
「ほら、宵は笑えるだろう。大丈夫だ」
 三日月は柔らかに言うのだが、また宵は無表情のまま首を傾げている。自分がそのようなことできるはずがないとでも言うようだ。
 造られた魂は笑うということを知らない。
 それでも。
「もう少ししたら、きっと。楽しい思い出も増えていきます。宵は笑えます」
 それは、事実よりも祈りに近い言葉だった。
 宵に笑ってもらいたい。青く輝く透明な空と、黄色い藤の揺れる下にて。



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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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