69.刹那の夢

 それは、一体いつのことだっただろう。
 ぼんやりと目を閉じ続けていた三日月にとって、時の流れは定かなものではない。だが、ある日やたらと自身の座する博物館、とやらが騒々しかったことは覚えている。
「小狐丸、が見つかったというのは本当か!?」
 ぴくり。
 三日月の動けない鋼はそのままだったが、心は跳ねた。
 周囲はすでにお祭り騒ぎとなっている。白い柄と白銀の鞘は汚れていたが、折れも欠けもなく装飾は揃っている。なによりも、収まっている刀身がすんなりとした曲線を描いているのだ。
 いままで閉じていた目を見開く。
 あにさま。
 そう、囁いた。

 ところで三日月は目を覚ました。
 ころろ、と身体を横に転がす。隣にはまだ仰向けになって目を伏している小狐丸がいる。
 現世には正しき本身はないはずの、小狐丸がいる。
 三日月はそこで、いま自分達がいるのは翠の蓮が絶えず咲く本丸であることを、ようやく思いだした。
 先ほどまでの光景は、夢によるものだった。
 小狐丸が見つかったなんていうことは、三日月の夢想であり願望でしかない。現実では起きる可能性など絶無に等しいことだ。
 三日月は起き上がる。女士として顕現したために、二つの膨らみが淡く揺れる。そのことをいつも兄である小狐丸にはたしなめられるのだが、結局こうして同じ部屋で眠るのだから兄も相当助平だと三日月は思っている。都合よく利用しているのは同じだが。
 三日月はのそのそと移動して、小狐丸の上に覆い被さった。
 まだ起きない小狐丸の胸板に縋りながら、三日月はとぽとぽと透明な滴を目の端から落としていく。
 いたらよいのに。
 同じ三条宗近の手に打たれた、片や名だたる名将の手を渡り歩いた天下五剣の三日月宗近。もう片方は、かつての帝である一条天皇の手によって望まれた名刀の小狐丸。
 そう、揃って博物館で展示されていたらよいのに。
 だけれど、それは三日月の渇望であって、現実を捻じ曲げる力などただの刀には備わっていない。また、歴史を変えないために三日月達は顕現することになった。
 それでも、本丸で実際に熱を分かち、肌を重ね、手を触れあわせる瞬間などに乞わずにはいられなかった。
 小狐丸が現世にもいたらよいのに。
 声を出せず、涙も止まったが、未だ小狐丸から離れられない三日月の頭を骨張った大きな手が撫でてくる。
「あにさま」
 かすれた声で呼ぶと、返ってくる。
「どうしました。三日月」
 三日月は応えない。きゅっと、小狐丸の夜着をつかんだ。
 小狐丸は黙って起き上がる。三日月の体も起こして、膝の上に乗せると赤くなった目に指を添えた。
「何を、泣いていましたか」
 三日月はぽつぽつと話し始める。
 夢を見た。かつての居場所で、小狐丸が見つかったという夢を見たと、話した。その夢の焦がれた甘さに胸が焼かれ、涙は耐えきれずにこぼれてしまったのだと、続けた。
 小狐丸は三日月を抱きしめる。
「すみませんでした」
「ああ」
 相手からの謝罪を当然のこととして三日月は受け容れる。
 千年も待たされた。いくら謝られても、この胸に巣食った傷と寂しさは拭えない。
「でも、いまは」
 言葉はたどたどしく紡がれる。
「いまは、貴方の隣にいます」
 小狐丸の精一杯の献身に、三日月の目にまた滴が浮かび上がる。月が歪んで、溶けてしまう。
「うん」
 それが、三日月の返せる唯一の言葉だった。
 小狐丸は黙っている。三日月の背を撫で、泣き止むのを止めようとしているのか、もしくは泣き続けることを許してくれる。
 三日月に刻まれた癒えない傷を受け止めていた。
 小狐丸だって、望んで三日月に傷を刻んだわけではない。だというのに、どんな理不尽であっても、小狐丸は三日月の弱さを拒まない。進んで、望んで抱きしめる。
 泣き、溢し、いつしか涙が止まったところで三日月は小狐丸によりかかった。
 いまは感じられる。小狐丸の温もりを感じられる。この、自分よりも猛りを秘めているというのに、表面上は冷めた熱が愛おしい。
「夢は、優しいけれど」
「はい」
「辛いな」
「そうですね。でも、人は。そして、人の身を得た私たちは」
 夢を見ることを捨ててしまってはいけないのです。
 小狐丸はそう言った。
 三日月にはまだその言葉の意味などわからない。だけれども、本身を失った小狐丸は、理解してしまったのだ。
 最初から諦めて手を伸ばさないことと、手を伸ばしてもつかめないことがあることは、きっと何か違うように。
 いつかを捨てては、いけないのだろう。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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