夏になったためか、赤い葡萄が一層の実りとして熟れている本丸があった。
一年という暦の中で一度も枯れたことがない赤葡萄を象徴としているのかいつのまにかなったのかは不明だが、とりあえずその本丸は赤葡萄の本丸と呼ばれるようになった。
その赤葡萄の本丸においても仲睦まじい二振りがある。
小狐丸と三日月宗近だ。
こちらの二振りには、小狐丸が顕現してから二十四秒後に三日月が顕現したという、互いの縁の強さを感じさせる話がある。小狐丸も三日月を自身の嫁と称してはばからず、三日月も常ににこにこと微笑みながら小狐丸の傍にはべっている。
だが、ある夏の昼下がりに三日月は珍しく一振りで本丸の庭に面する縁側にいた。すでに極に至っているというのに億劫なのか暑さが堪えるのかは不明だが、初の出陣衣装という格好だ。
「隣、いいかな」
「ああ。かまわんぞ」
歌仙兼定の伺いに対して三日月は鷹揚に返した。歌仙もゆったりとした動きで三日月の右隣に腰を下ろす。
縁側とはいえ振り注ぐ日差しは眩しい。歌仙は思わず目を細めた。それから三日月に視線を向ける。
幸いにも、現時点において本丸は安寧を保っている。催物としては連隊戦が近づく時期になってきたため、一部の刀剣男士は訓練に忙しい。だが、それ以外の刀はのんへりとしていた。
とはいえど、始まりの一振りである歌仙兼定には三日月宗近に常に気を配らなければならないという、義務のような感情があった。主から特別に命を下されてもいないが、大侵寇の際に三日月を連れ戻したのは己だ。それ以降、野良猫を拾ったように三日月の面倒を見てしまう。小夜左文字には「あなたにもそういうところがあったのですね」とぽつりと呟かれるほどの甲斐甲斐しさだ。また歌仙としては、小夜の発言に不服なところはあったが、普段から自分が相手をしてもらっているため強く出られなかった。
「どうした?」
三日月もまたのへへんとした様子でいる。何も考えていないのか、何か企んでいるが隠し通しているのか。まだ歌仙にはその辺りの区別がつかない。そうして悩んでいる間に勝手にふらりと出て行ってしまうから困る。
歌仙としては雅に事を進めたかったが、いつも通り力押しで話を進めることにした。
「また、一人で抱え込んでいないかい?」
「何を抱え込むというんだ? 俺はいたって元気だぞ」
「体は元気かもしれないけれど心は違うだろう。今後の戦況についてといった理由で、また勝手に飛び出されたら始まりの一振りとしては名折れだよ」
「歌仙兼定。折れるという言葉を使わないでくれ」
「君は簡単に口にするのに?」
三日月はすっと歌仙から目をそらすと長い睫毛によって瞳に陰を落とす。
「ああ。俺はすでに折ったものだからいいんだ。だが、お主は違うだろう。本丸における全ての刀を守るのが、お主の役目だ」
その中にはあなたも入っているんだよ。
歌仙は思った。そう、口にできたらどれほどよかったか。だけれど歌仙の言葉では三日月には届かない。
いまのように三日月と真剣に話をしていると、無性にやるせない瞬間が生まれてくる。もし、始まりの一振りが加州清光や山姥切国広だったのなら、もう少し心を開いてくれたのではないか。書物や液晶越しに他の本丸の物語を垣間見る度にそのような詮ないことを考えてしまう。
歌仙兼定にも刀としての歴史と誇りがあり、始まりの一振りとしての自負がある。
だからこそ辛いのだ。
三日月宗近という刀の過酷な運命を打ち明けてもらえるほど信を置いてもらえないことが、悔しい。
黙ってしまった歌仙に対して三日月は苦笑した。
「すまないな」
「いいさ。君はどこまでいっても自分勝手だからね」
「まいぺーす、とは言ってくれないのか」
「言わないよ。そんな立派なものではないからね。君は、君を心配する沢山の刀を放り出してまで自分のやるべきと信じていることに向かっていってしまう。全く、周囲にとってはよい迷惑だ」
三日月は反論しない。八つ当たりじみた歌仙の発言ではあるが、間違ってはいないことを理解している。憎しみから紡がれた言葉ではないことを承知している。
歌仙兼定が三日月宗近に対して、義務以上に心を砕いているのは届いているのだ。
それは歌仙にもよく伝わっていた。
だけれど、三日月は歌仙に対して全てを明かせる立場にはなく、歌仙もまた三日月に自白を強要する刀ではない。
結果としていつもすれ違ってしまう。
それでも。
「三日月宗近。僕は、何度だって君に伝えるよ。僕一振りでは君をこの本丸につなぎ止めることはできないんだろう。だけど、君が勝手にどこかへ行ってしまうのならば、僕は君をどこにいようとも見つけて、必ずこの本丸へ連れ戻す。それが、始まりの一振りとしての僕のするべきことだ」
蝶の模様の刻まれた外套を揺らし、歌仙が断言する。生半可な返答では切られそうな瞳を見つめている三日月は小さく頷いた。
「強くなったな」
「馬鹿を言わないでくれ。僕は最初から弱くなどない」
「ああ、そうだったな」
そうだった、と三日月はもう一度繰り返す。
歌仙は三日月が意味する歴史を知らない。知ろうとも思わなかった。
ただ、この本丸には三日月が恋い慕い、また三日月を恋い求める刀もいるのだから、その刀すらないがしろにすることはやめてもらいたかった。
「三日月宗近。あまり本丸から離れると、小狐丸が愛想を尽かすよ」
「それはない。狐のあにさまは俺に一途だからな」
今度はいままでにない早口で言い返されたものだから、歌仙は今後のためにも一度くらい小狐丸に浮気を勧めてみようかと考えた。
多分、することはないだろうが。
「あにさまはずっと、俺だけを見てくれるさ」
そう言って強がる三日月を歌仙は呆れた目で眺める。
嫌われることが怖いのならばやらなければいいだろうに。
81.久遠の絆
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