68.片翼

 春を迎える季節になってさえ、金木犀の花が落ちることなく揺れる本丸であるために、いつしかその本丸は金木犀の本丸と呼ばれるようになっていた。
 未だ、時間遡行軍との戦いも過激さを増す前のことだ。姿を現す刀剣男士も明石国行までといった頃だから随分と若い時代のことになる。
 金木犀の本丸に小狐丸が姿を見せていないと記せば、どれほど過去の話になるか一層伝わるだろう。
 その季節の三日月宗近は、度重なる出陣によってすでに練度は最高峰に至っていた。だから、審神者の鍛える刀剣男士も大太刀や槍が中心となり、三日月は時間を持て余すようになっていた。
 一人きりの私室から、円い窓の外に広がる空を三日月は見上げる。白い小鳥がすらりと羽ばたいている様子が垣間見えた。
 三日月宗近は刀であるために空を飛べたことなどない。
 だが、片方の翼を失う気持ちなら、幾度となく噛みしめてきた。
 三日月は書庫から持ってきた適当な本でも読んで、時間を潰そうとする。最初は慣れない行為であったが、徐々に読書は三日月の一人きりの趣味となっていた。
 はらりと頁をめくったところで、障子に陰が差した。
「誰だ」
 三日月が呼びかけると、親しんだ声と名前が返ってきた。
 口元を緩ませて、本を閉じる。三日月は障子を開けて廊下に出た。目の前には一期一振が立っている。
「お茶でもいただきませんか」
「そうだな」
 旧友とも言える一期の誘いを断るほどの酷薄さを三日月は持ち合わせていなかった。どうせすることもないのだからと、真っ直ぐな背中の後をついていく。
 互いに、内番の服は楽ではあるがまだ慣れないからと、出陣の衣装で過ごすことが多い。その辺りの矜持の高さも一期と三日月が親しい理由であった。
 一期は縁側に三日月を案内し終えると、茶を持ってくると一時離れた。開けた地面の上や植えられた樹の周りでは、短刀達が遊んでいる。地面に円を描き、両足と片足で交互に踏みしめるといったことをしていた。五虎退が跳ねると、虎がじゃれついてきて、上手くいかないことが多い。
 その様子を三日月は微笑ましく眺める。
 短刀ではあっても、戦場では頼もしい仲間達だ。しかし、顕現したばかりだと身体を動かすことに慣れていない。少しでも肉の体に親しもうと、努力している様子がいまはいとけなかった。
「お待たせしました。江雪殿に勧められたものです」
 一期が戻ってくる。三日月は湯呑みを受け取りながら、茶葉の種類を尋ねた。一期は「そこまではわからんのです」と恥じらいながら言った。
 並び、茶を楽しむ。
 ゆっくりとした時間が流れていく。
 三日月はそのことに緩みを覚えながら、同時に申し訳なさも抱いていた。一期も理解しているが、踏み込まないでいてくれる。それがなおさら申し訳ない。
「いち兄!」
「見ていてください!」
 前田と平野の兄弟が、揃って兄に呼びかける。一期は頷いて、弟たちの器用な動きを眺めていた。
 ああ、いいなあと三日月は他人事のように、兄弟の戯れを見つめた。
 一期一振は粟田口の兄であり、すでに顕現している六振りの弟たちから慕われている。一期は穏やかさと厳しさを併せ持っているが、まだ寄る辺の少ない弟達にしてみれば兄というものは大変頼りになるものなのだろう。場合によってはしてくれないこともあるが、大抵は甘やかしてくれるのだから。
 三日月にだって、兄に当たる存在はいた。だけれどいまはいない。今剣も岩融も記憶が曖昧であるし、石切丸は長らく俗世から離れていた。
 そして。
「どうしたん、お二方。しんみりして」
 声をかけられた。見上げると、内番姿の明石国行がいる。明石はいつの間にか、一期の隣に腰を下ろした。何も言わずに茶菓子を口に運ぶ。
「随分と、仲間が増えたものだと思っていただけさ」
 偽りではない思いを口にすると、明石はなるほどと頷いた。
「三日月はんはわりと最初からいたんです?」
「ああ。俺と一期は、早くに顕現したな」
 一期も頷く。
 稀少度が高いとされる自分たちが顕現した時期はあまり離れておらず、主は「これから大変なことが起きるのではないか」といつもの心配性を悪化させたほどだ。
 懐かしいと、三日月は微笑する。
 その話を聞いていた明石は器用に欠片を落とさずに茶菓子を食べ終えた。
「この本丸にいないのは、あと。厚はんと、浦島はん。それに小狐丸はん、だけやっけ?」
 その名前を聞いたときに、三日月はわずかに目を見開いた。
 小狐丸。
 名前は知れども姿は朧な、自身の、兄として唯一の存在だ。
 三日月は動揺を悟られないように湯呑みを口にする。ほどよくぬくまった茶を腹に落としたところで、一期が見つめているのに気付いた。
 わかっていた。
 一期はその話がしたかったのだと。だが、触れたら三日月が傷つくことも避けられないから、沈黙と共に寄り添ってくれていたのだと。
 しかし、いまはさらりと明石が言ってくれたから、三日月も素直に言うことができた。
「会いたい」
「ん?」
 明石が聞き返す。三日月の小さな呟きに首を傾げた。
「会いたいんだ」
 今度ははっきりと声に出して言った。
 明石はまだ三日月の言葉の意味がわからず、首を傾げている。だが、一期には伝わったのだろう。向けられる金色の瞳の優しさに三日月の胸が甘く切なくなった。
 会いたいんだ。少しでも、早く。
「ま、いつか来るやろ。明日か、来年かはわかりませんけどなあ」
 言って、明石は伸びをした。三日月も「そうだなあ」と頷き返す。
 季節が春になっても風は冷たい。一人の寂しさを突きつけてくる。
 だから、次の春には寄り添ってくれる狐がいるとよいと、三日月は願わずにはいられなかった。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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