金木犀が春を前にしている時期だというのに、静かに揺れる本丸であるために、その本丸は「金木犀の本丸」と名が知られるようになった。
その金木犀の本丸の小狐丸と三日月宗近は番という仲だ。情熱を持って三日月を恋い慕う小狐丸と、普段はつれないが、なんだかんだと小狐丸に対して強い執着を見せる三日月はいまのところ平穏な関係を築けている。
しかし、三日月宗近は遠征先の江戸で困っていた。
人里での時間遡行軍が絡んだ揉め事を文字の通りに一刀両断し、事を収めてから、人気のない森に入り、休息をとってから帰還しようとした。
だが、時空転移装置がこんともけんとも動かない。
「小狐丸、お主の装置はどうなっている」
「全く反応しません」
二振り揃って、首をかしげる。
金木犀の本丸の主は抜けたところは多いが、刀剣男士や任務に関することは真面目で忠実である。機器の不具合か、それとも本丸に何か予期せぬ脅威が訪れたのか、と思案した。
「まあ、でも三日月殿がこちらにいらっしゃるのでしたら、本丸は無事でしょう」
「どういう意味だ」
遺憾しか覚えない言葉だった。
だが、小狐丸はじっとりとした目で言ってくる。
「ふらりと一振りで本丸を出ていって、何かしでかしているのは大抵、貴方でしょう」
「俺はあんまりしていない」
「多少はしているじゃないですか」
そう言われてしまうと言い返すことも難しい。
三日月宗近という刀は、金木犀の本丸だと大人しく扱いやすい部類に入ると、以前に青桜の本丸の主から言われたことがある。それ以外の本丸でも、こっそり出ていったり出ていったり出ていったりして、何かしらの厄介事を招いては、他の刀剣男士も巻き込んで解決しているそうだ。
いま金木犀の三日月は、三日月宗近による三日月宗近の風評被害を正面から受けてしまった。指摘したのが小狐丸ということがなんとも腹立たしいが、反論するのも厳しい立場なので、三日月は話をすり替えることに決めた。
「とりあえず、今日は野営だな。開けた場所で火でも着けるか」
小狐丸と三日月は手を繫いで、森の中でも比較的平らかな場所を探す。
どうして手を繫いでいるのかといえば、「三日月殿が勝手に行動しないように」と幼子に対するような目線で小狐丸から言われた。だが、三日月は気付いている。実際のところ、小狐丸は手を繋ぎたかっただけなのだろう。そのいじましさに勘弁して、三日月は大人しく手を繫がせてあげることにした。
歩いている間に、木こりが何かしらの作業をしたのか、倒された木がまとめて転がされている場所に出た。人の気配はなく、切り株が転々と見える。
「こちらにしましょう」
「だが、どうやって火を着ける?」
小狐丸は三日月の手を放さないまま、切り株の一つを指さした。すると、ぼうと青白い光が浮かび、切り株を取り囲むと少々勢いの強い焚き火が目の前に現れた。
「お主、なんでもありだな」
「稲荷の神のおかげです」
にっこりと言われてしまう。三日月は呆れて、肩をすくめた。
ありがたいことには変わりはないので、切り株を当座の椅子にしながら、万が一のために持たされている携行食を口にする。水も、三滴ほど口に含むだけで喉が潤う筒があるのだから、主の時代は都合の良いものだと改めて三日月は思った。
食事を終えても、未だ時空転移装置は反応する様子を見せない。機器の故障としか考えられなくなってきた。
春が訪れる前の抗いの寒さに三日月が身を震わせると、小狐丸が立ち上がる。動きを視線で追っていると、後ろから、きゅっと抱きしめられた。
小狐丸の吐息を首の後ろで感じ、ぞわりとしたものが一気に背筋を走っていった。
「こ、小狐丸」
「寒いのでしょう」
「お主の方が寒い格好をしているだろう」
「野生ですので。番とくっついていられるのなら、どんな寒さも耐えられます」
振り向くと、鼻先を合わせられる。間近にある紅い瞳は笑んでいて、だが、まだ小狐丸の瞳だったから安心した。
ここで、本来顕現するはずだった、あの小狐丸に出てこられたら時間と場所を考えもせずに確実に食べられる。それは遠慮したかった。
小狐丸は三日月を強引に膝に乗せて、髪と首筋の間に鼻先を捻じ込ませる。そのまま、すんすんと吸ってくる。
大変気恥ずかしかった。いつもなら、肘打ちの一つや二つで振り払うところだ。
だけれど、いまいる場所は本丸ではなく、小狐丸も疲れているというのに率先して現状を整えてくれたのだから、と考えると無下に突き放すこともできない。
三日月は恥ずかしいのをこらえながら、小狐丸の好きにさせた。
その途中で、かぷりと耳に甘く歯を立てられる。三日月は目を見開き、振り向こうとするのだが、強い力で押さえられて敵わない。手を強く握りながらこらえることしかできなかった。
小狐丸のいたずらは続いていく。犬歯で耳たぶをはむはむと味わいながら、舌先で空虚をつついてきた。ここで唾液を流されたら、流石に三日月も小狐丸を蹴り飛ばしていたところだが、いまはぺろりと舐められただけなので、まだ我慢ができた。
三日月は手を口元に当てて、声を出すのだけは必死になってこらえた。油断すると腑抜けた音をこぼして、小狐丸をさらに調子に乗らせてしまうと容易に想像がつく。
小狐丸の舌が離れた。三日月は安堵の息を吐き、小狐丸を下がらせようとする。
もう、十分に体は火照ってしまった。このままだと別の熱が体を燻らせて苦しませてくるだけだろう。
「こぎつね、ま」
「三日月殿」
びくん、と三日月は背筋をのけぞらせた。
全くの予想も、対処もできない不意打ちに対して、咄嗟に口を封じただけでも褒めてもらいたい。
小狐丸は三日月の本体は普段のように愛でても、素直にならないと理解した。
次の手として、いま、小狐丸は撫でている。
三日月の刀を鞘から抜いて、本身をそうっと爪の先で愛撫するという手を打ってきた。
刀剣男士は刀が肉の体を持つ。つまりは、刀身と肉体の感覚は密接に関係づけられている。だから、小狐丸はいま三日月の刀自体に優しく触れることによって、快楽を呼び覚ましてくる。
耐えきれなくなった三日月は、小狐丸に頭からぶつかっていった。荒い呼吸のまま刀を鞘にしまって、一喝する。
「馬鹿者!」
「……すみません」
謝罪の言葉は呑み込んだ。また、切り株に腰を下ろす。小狐丸とは顔を合わせない。
「三日月殿」
「………」
「みかづき、どの」
「………」
「みきゃづきどのぉ……」
本格的に泣きの入った声だったので、三日月は指の第一関節くらいまで折れることにしてあげた。
「なんだ」
「すみませんでした。いま、この森の中で貴方と二振りだけだと思うと。つい。つい、昂ぶってしまって……」
「普段なら、聞いてくるか。こういったことはしないものな。お主は」
小狐丸が何度も頷く気配がする。
「夜にあてられたか」
空を見上げれば、もう星がいくつも瞬いている。足下には焚き火もあるので、明かりに困ることはない。
三日月は小狐丸に寄りかかった。そのまま、背中に落ちている白く長い髪を指先で弄ぶ。
自分だって、大層構われたのだからこれくらいは黙ってしてもよいだろう。
小狐丸の背中は未だ丸まっている。箍が外れてしまったことを恥じているのだろうか。そうだとしたら、やっぱり可愛いなあと笑ってしまう自身だって、相当だと三日月は知っている。
恋した刀ではないけれども、恋しい刀が小狐丸だ。
「小狐丸」
「はい?」
いまだしょんもりとした様子で振り向く小狐丸の前で、三日月は少しだけ上向いてから、瞳を閉ざした。
頬に温もりが宿る。
その後に訪れたのは、紛れもなく三日月が求めているものだった。
月の下で唇が重ねられる。
目にするものは星しかない。
66.迷いの森
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