54.君との距離

 はらはらと四季を問わずに赤子の手の平よりも小さな黄色い花弁が舞う。
 そのために、金木犀の本丸と呼ばれるようになった、本丸がある。
 いまは冬の最中であるが相変わらず金木犀が咲いているのを、三日月宗近は慣れたものと疑問にも思わず、初の出陣衣装で見上げていた。すでに極に至って時間が経つというのに、戦時以外では初の出陣衣装でいることが多い。かといって、気楽な内番姿にならないのは、恋刀にあまり緩んだところを見られたくないといういじましい男心による。
 金木犀の本丸の三日月宗近は大層、矜持が高く、意地を張っていて、なかなか素直にならない、心優しい刀であった。
 優しいゆえに、悩んでいる。
 縁側に座っている、恋刀であり弟刀である小狐丸から向けられる視線が痛かった。視線の色に蔑視が含まれていたらその理由を尋ね返すこともでき、疑問であれば問いを投げかけることもできた。
 しかし、いまの小狐丸の視線は、なんというか潤んでいる。まるで「かまって」「どうしてかまってくれないの」と足下を右往左往する犬のようだ。狐の、それも稲荷明神の化身と呼ばれる刀に相応しい例えではないことは十分承知の上で、三日月はそう思わずにはいられなかった。
 金木犀を眺めて誤魔化すのも限界が来た頃に、三日月は距離を保ったまま小狐丸のいる縁側に顔を向けた。
「どうした」
 問いというにはあまりにも傲慢である言い方だが、金木犀の本丸の三日月を知る刀であれば、上からの物言いになるのも仕方がないとあらゆる刀剣男士が理解している。過去に流行したつんでれ、というものか、それとも不器用なのかは意見が分かれるが、金木犀の本丸の三日月は小狐丸に好意を寄せているからこそ、厳しい。
 肝心の小狐丸は慣れたものなのか、こてんと首を傾げる。百九十にも届きそうな刀剣男士がするにしては無垢な仕草だった。
「どうしましたか?」
 問いに問いを返されて、三日月は少しだけいらっとした。
「俺を見ていただろう」
「いつも見ていますよ?」
 当然のように答えた後に、小狐丸は陰を滲ませて笑う。普段の礼儀正しく明るい様子からは想像するのも難しい、雨の日に屋根の雨樋から水がしたたり落ちるような、背筋が寒くなる笑みだった。
「いつだって。ずっと。ずうっと。私は貴方を見ていますよ」
「小狐丸……」
 三日月の胸がきゅうっと締まる。
 それほどまでに自分を想い、焦がれてくれたのかと、さすがの三日月も殊勝になるところだ。
 決して急がずに、小狐丸の下まで歩いていく。
 そうして、小狐丸の目の前に立った次の三日月の言葉も、また低く、濡れたものになった。
「……誰に、そのわざとらしい演技を教えられた」
「はっはっはっは」
 呑気に笑う小狐丸を三日月は反射でくびりそうになった。実際はしないが、からかわれていたのかと思うと腹立たしい。
 当然、三日月は小狐丸の違和感ある振る舞いに気付いていたので、殊勝になるわけもない。腕を組み、見下ろして苛立ちを示す。
 小狐丸はといえば、存外素直に犯刀の名を口にした。
「古今伝授の太刀です」
 返ってきた答えに悩んだ。
 あまり距離の近しくのない刀であるために、この件について話しづらくてつっこみづらい。例えば、大般若長光などであったら、かつての付き合いから遠慮なく文句を言えたのだが、古今伝授の太刀は三日月にとってさほど関わることがなかった。
 それは小狐丸も同様だろうに、どうして奇妙なことを教えられたのだろう。
 三日月の沈黙の疑問に気付いたのか、小狐丸はさらりと言う。
「歌仙兼定が古今伝授の太刀に、いまのように言われて困っていましたので」
「真似をしたのか」
「大分、私なりに変えましたよ」
 三日月は思わず、平手を縦にして小狐丸の頭に振り下ろしてしまった。
 不思議そうな顔をされたのが、また腹立たしい。
「いたっ」
「ほら」
 涙を浮かべた紅い瞳で、小狐丸が見上げてくる。その先で、三日月は両手を広げて待っていた。
 見えない尻尾が勢いよく左右に振られ、小狐丸は飛びつくようにして三日月の体を強くつよく抱きしめた。力が強くて、少々息苦しいのだが、三日月はこらえる。
「貴方を見ていられるよりも」
「抱きしめられる距離にいられる方が、ずっとよいですね」
「ふん」
 当然だろう、と言葉にせずに三日月は小狐丸と視線をかち合わせる。
 紅い瞳は熱を宿しながらとろけていて、これ以上熱を与えたら蜜にでもなって端から零れ落ちてしまいそうだ。
 そうなってしまったら、三日月は躊躇なくすくい取って舐めてしまうのだろう。
 いつだって視界に収められるのではない。
 手を伸ばせば抱きしめられる距離が、三日月と小狐丸の距離になる。




    信用できる方のみにお願いします。
    • URLをコピーしました!
    • URLをコピーしました!

    Writer

    創ることが好きな人。
    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

    目次