咲いた証を貴方に捧ぐ(とうらぶ/こぎみか/紅菫本丸)

 紫よりも一層血の色が濃い、紅の菫が庭の一角を埋めている故に名付けられた紅菫本丸でのことだ。
 未だ年若い女の審神者が、泣きながら小狐丸と三日月宗近に謝罪していた。
「ごめんね! もう毎回、戦力拡充で中傷になるまで周回させてごめんなさい!」
「構わんさ。刀として使われて俺は幸せだ」
「ええ。本分を果たせているのですから、欲しいのは誉であって謝罪ではないのです。大丈夫ですよ、ぬしさま」
 穏やかに語るが、三日月の頬には血線が走っており、小狐丸の破れた着物でさらけだした胸板を隠している。その小狐丸の白目には黒が滲んでおり、二振りとも真剣必殺を振るうほど追い込まれたのだと理解した審神者は、また目の端から涙をこぼして低頭する。
 この審神者は昨年の大侵寇の時にようやく一年を迎えたというまだ経験の浅い審神者であった。小狐丸は苦労しながらも自らの手で回収することが叶ったが、三日月宗近は政府から賜ったとして並々ならぬ敬意を払い、接してくる。小狐丸にしてみればその態度にいつも困惑してしまう。三日月本刃が受け入れているのでなおさらだ。
 とはいえ三日月だけを特別に扱っているわけではない。どの刀が中傷になっても「折れなかった!?」と声を上げて無事を確認するとへたり込んでしまうほど慎重な審神者だ。そのためか刀帳の空白もまだまだ多い。けれど、努力は積み重ねている。
「主、心配はありがたい。だが俺達は戦場に赴いて敵を屠るためにある刀だ。そんなに思い詰めず、折れたらそれもまた一つの定めと受け入れてくれ。なに、そうならないようには十分に気をつけよう」
 また顔を歪めた審神者の肩へ慰めの言葉と共に右手をかける三日月だったが、小狐丸の衣に隠されている左腕はぶら下がったままだ。早めに手入れにかかるべきだろう。
「それで、ぬしさま。手入れ部屋は空いておりますか」
「うん! もうさっき入れた薬研や信濃たちは出ているから。ゆっくりしておいで」
 わかりました、と頷いて小狐丸は三日月を支えながら手入れ部屋までゆっくりと歩いていく。その後ろ姿を審神者は頭を下げつつ手を合わせて、見送っていた。
 最後にその光景を映してから、小狐丸は三日月に囁きかける
「大丈夫ですか?」
「ん。見ての通り腕がやられているな」
「でしたら、お世話させてください。いまでも世話されることはお好きなのでしょう?」
「ああ」
 くすくすと笑われる。
 この、政府から賜われた三日月宗近という刀はどこか独特だ。いつも意味のありそうなことを言って、匂わせて、翻弄してくる。それは隣に立つ小狐丸に対しても同じだった。夜毎に姿を変える月は日によって見せる顔を変えてしまう。だからこそ目が離せず、いつだって隣に立ってしまう。
 最初は同じ三条の太刀という理由があったというのにそれもいまは言い訳でしかない。
 狐は月に惹かれてしまった。まだ言葉で確認しておらず、形にした約定もないのだが、情はすでに濡れた着物から水滴が滴り落ちるほど交わしてしまっている。いまも隣を歩く頬に赤い血化粧をした刀が美しくてつらかった。
 手入れ部屋の前に着く。必要な資材を確認した審神者によって、部屋の前に木炭、玉鋼、砥石、冷却材が置かれていた。
小狐丸は三日月や他の刀たちに比べて手入れに必要な資材の量が少ない。他の刀たちの半分程度で手入れができるのは稲荷の加護によるものだと聞いてはいるが、未だにその仕組みは隠されている。
 二振りは揃って、手入れ部屋に入った。他の刀に己の姿を見られたくない刀もいるのでとりあえずの仕切りはあるが、布で作られているため、二振り入ろうと思えば並んで座れる。
 そうして、十四時間ほど傷が癒えるのを待つ。
 待つ間に三日月は小狐丸に破れた羽織を返し、身を寄せてくる。癒えていく薄皮に自分以外の皮膚が触れていても距離を置かせようとは考えなかった。それどころか、さらに自分から近づいていく。
 顔を向けて見つめあった。月を宿した蒼い瞳と獣の紅い瞳孔が絡みあう。ちょいちょいと割れた珊瑚の爪先で目の下をつつかれた。
「まだ、黒が残っておるな」
「名残ゆえ」
 割れた爪に少しだけ肉を挟まれて痛みを覚えたが、本刃はどれほど痛いだろうかと思うと責める気にはなれない。代わりに手を取って、口付ける。甲斐甲斐しい動作をされた満足からか、和やかに微笑まれた。
 触れられた場所を愛おしく撫でながら言葉が落とされる。
「戦えるのは、いいな」
「三日月殿はよくそう言いますね」
「ああ。長らく飾られていたからな。刀の本分をいまになって果たせていると、ようやく報われた気になる。ただ、できれば。お主には起きて欲しくなかったのだがなあ」
 暗に励起されたことを責められる。この、政府からの三日月宗近はいつもそうだ。最初に会った時も「会いたくないのに会えてよかった」などとのたまわれたのだ。
「でも、この時代のこの本丸でなければ触れ合うことは叶いませんでしたよ?」
「そこが厄介だな。全く、恋などせねばよかった」
 素っ気ないことを言うのだが口元は笑んでいる。自分だけの、一方通行の橋に立っているのではないことに安堵しながら、今度は唇を塞いだ。首の後ろに右腕だけが絡まってくる。壱だった距離が零になる。
「なあ、小狐丸殿」
「なんでしょう」
「俺がお前を折る前に、必ず俺を折ってくれ」
 吐息と共に囁かれた愛の言葉は至上の地獄に満ちていた。だけれど偽りはない。手合わせの時も、激しく打ち込んでくるのだが、最後はいつも介錯を委ねるように手を抜かれてしまっていた。だから、「正体がない」と呟いてしまう。
 小狐丸は三日月宗近のことがわからない。側にいるようになってから、隣にいるようになっても、いつも微笑んで寂しそうに構われたがっていることしかわからない。その気の引き方もまるで不器用な人の子がやるみたいなことばかりだから、初めは嫌われているのかと悩みもした。
 そんな、三日月がどうしようもなく愛しいことしか、小狐丸にはわからない。
 いつか己の無知が悲劇を呼ぶことになろうとも、いまは、それで良いことにするしかなかった。
 小狐丸は三日月を抱きしめる。肌を密着させる。傷を負った皮膚は擦れることによって、沁みる痛みを訴えてくるが、それはまるで生娘が初めての交わりで捧げる代償のように心地よい、苦痛だった。三日月も同じ痛みを感じているのだろう。
「俺の最初はお主に渡せなかった。だから、小狐丸殿には俺の最期を全て渡そう」
 それだけが自分の恋の証明だと言うのだから、肩を竦めてしまう。
 あの時のように、大侵寇のように、貴方がいなくなっても私はこの本丸で貴方の帰りを待つのだろう。それは一千年、貴方が私を待ち続けた時間に比べたら遥かに短くて早く、約束された帰還になる。信じられる。
 だから。だから。
「最期は、一緒ですよ」
 それは素敵だなあと、羞じらう笑顔のなんて愛おしいことか。
 




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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