5 綺麗なもの(とうらぶ/こぎみか/赤葡萄本丸)

 一年の間、赤葡萄が絶えず風に揺らされる本丸であるため、その本丸は赤葡萄本丸と呼ばれている。
 歴史修正主義者が率いる時間遡行軍の相手となる刀剣男士の一振りとして、赤葡萄の本丸に身を預けている三日月宗近は、内番姿のまま自室で一通の手紙に目を通していた。手紙を読むその表情を見てしまったものは、背筋に氷が落とされたかと思うほどぞっとする無表情のまま、三日月が手紙を読み進めていくと足音が聞こえてきた。静かに閉じる。
「失礼する!」
 勢いよく部屋に入ってきたのは水心子正秀だ。こちらも内番姿だが、出陣服と同様に襟を立てて顔を半分ほど隠している。それは自身の未熟さを見られたくないためだろうか。
 三日月は座ったまま、さりげなく黒い文机の上に手紙を伏せる。朗らかな笑顔で問いかけた。
「水心子正秀。俺に何か用か?」
「いや。正確には小狐丸殿にだが」
「そうか。では聞こう」
 返事を聞いた水心子は長い前髪の下の眉を寄せて「なぜ?」という表情をした。堅苦しい振る舞いが目立つが、感情が分かりやすい刀剣男士だ。監査官であった刀は素直か正直か、それとも煮ても焼いても溶けそうにない刀に振るいわけられているのではないかと微笑ましくなってしまう。分かりやすいのは、山姥切長義、目の前の水心子正秀、肥前忠広や地蔵行平などで、わかりにくいのはその相棒である源清麿、南海太郎朝尊、古今伝授の刀や一文字則宗といったところだろう。縁があるとはいえこれらの組み合わせを用意するなど、政府は面白い計らいをしたものだ。
 そのような感想はおくびにも出さないまま三日月は呑気に笑いながら言う。
「なに、俺と小狐は同心異体だからな。俺に言えば小狐丸にも伝わるさ。まあ、お主と源清麿のようなものだ」
「私と清麿はそんな関係ではない! もっとこう、崇高な友情で結ばれている」
 それは水心子だけが主に抱いているだけではないのかと言おうとして止めた。下手なことをこの純真な刀に教えると、その親友の報復が面倒だ。
「ふふ、何を想像しているのか」
 三日月は落ち着いた微笑を浮かべて水心子へ向かって座るように促す。水心子はむぐっと悔しそうな態度のまま、三日月の向かいに正座した。新々刀の祖として落ち着いた振る舞いをしようと感情を自制しているのだろう。その、抑えなくてはいけない衝動があるという若さはうらやましいものだった。極になって多少は気持ちが若返りはしたが、そこまでの情熱はない。三条の刀に言わせれば「元からだろう」と返される可能性も十二分にある。
 そうして水心子の話は本題に入った。
「次の鍛刀ぴっくあっぷについての相談をしたかったらしい。主に資材を稼いでくるのは主戦力の小狐丸殿だからな」
「もうそんな時期か。哀しいかな、主は鍛刀の運には恵まれていないからようだからなあ」
 赤葡萄の本丸の主たる気丈な女性を思い出す。刀を拾う運はそこそこあるというのに、どうしてか鍛刀には恵まれない。それも三日月が小狐丸の二十四秒後に顕現したために運を使い果たしたと毎度、愚痴めいた冗談を言われてしまう。それほど会いたかったのだから仕方ないだろうと、三日月は罪滅ぼしに小狐丸と一緒に資材を集めにいくというのに、まだ言われる。
 その三日月の表情を水心子はじっと見つめていた。慣れた視線だが首をかしげる。
 その視線は「綺麗なもの」を見るときによく浮かべられる色だ。一番美しい刀と呼ばれる三日月はもうその視線を向けられることに慣れてしまっている。
 だが、同時に憐憫の情も湧き上がった。
「水心子。いま、俺を綺麗だと思っただろう」
「まあ、刀並みに」
「ふふ。かわいそうだなあ」
 唐突な三日月の哀れみに水心子は目を丸くした。次の瞬間には厳しく吊り上げられる。それこそ新々刀の祖として常に凛々しくあろうとするこの刀にとって、同情されることは侮辱に感じるのだろう。
 誇り高いことだ。
「お主だけではない。俺を美しいと思うのは、小狐のあにさまの刀身を知らないから。そう考えると、つい、な」
 三日月の長きに渡る記憶の中ですら朧だ。小狐丸という刀がどういうものであったかは。
 ただ、綺麗だった。美しいとは異なる。
 殿上人によって求められた、血に濡れることのない護国の刀。闇と同じ鎬地と陽光を宿した刃文の浮かぶ刃は現世でも鮮烈に訪れる過酷な夜を裂いただろう。
 それが失われてしまったのは、三日月にとっても惜しくてならない。
「あにさまの、綺麗な綺麗なお姿は俺だけの宝物になってしまったのだなあ」
「今、小狐丸殿が扱っている刀があるだろう?」
「確かに似てはいる。だが。三条宗近が打った本物には及ばないだろう」
 水心子は未だ納得しないようだったが、それ以上に言葉を重ねることはなかった。
「戦いが終われば、あの依り代ですら失われるか」
「仕方がない。我らも政府の意思に従うだけだ」
「そうか」
 三日月の声は変わらない。態度も空気も変わっていない。常日頃のように穏やかなままだ。
 ただ、水心子はまるで敵襲を受けたかのように身を強張らせていた。頑なになった水心子に三日月は微笑みかける。人の身だからこそ浮かべられる、熱のある冷めた微笑だ。
 水心子は政府から譲られた刀だ。だから、政府に対する信頼が他の刀より厚いのも理解できる。三日月だって、人の子のために励起されたがために、小狐丸との再会は叶った。
 そうであっても。
 三日月は、自分の小狐丸だけは、政府の好きにさせる気はなかった。
「水心子」
 ふと、音もなく源清麿が入ってきた。水心子は安心したように息を吐く。
「清麿」
「ほら、早くしないと。小狐丸さん、今日は内番の次は出陣で忙しいみたいだからね。行ってしまうよ」
「すまない」
 肝心の小狐丸がどこにいるかを知らされて、水心子は部屋から発つ。そのまま遠ざかっていく足音を聞きながら、三日月は変わらずのままでいた。
 清麿も落ち着いている。ただ、紫紅の目に宿る光は剣呑だ。
「水心子に余計なことは吹き込まないでね」
「こちらとしてはする気もないが、守られているのだな。あの刀も」
「違うよ。水心子はすごいんだ」
 聞こえない言葉が聞こえた気がしたが、それに対して三日月もまたにこりと穏やかな笑みを返すだけだった。
 清麿も部屋から立ち去っていく。水心子の隣に並ぶためだろう。
 一振り残された三日月は伏せていた手紙を広げた。
 あにさまをもう、何物にも譲らない。現世の歴史にすら譲ってたまるものか。
 三日月は静かに心を決めていく。
 挑むはまた、結いの目。


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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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