青い桜が今日もまた、花弁をはらはら零している。
一年かけて景趣は移り変わりゆけども、この本丸では絶えず青い桜が咲いているために、外からも内からも青桜の本丸と呼ばれるようになった。
本丸の入口に散らばった青い桜の花弁を掃いてまとめているのは、源氏の重宝と名高い膝丸だ。極の出陣衣装をきっちりと着こなして、竹箒をさっさと動かしている。
「精が出ますね」
「最近は出陣の任も遠征も任されていない。これくらいでもしないと体がなまってしまいそうでな」
声をかけた初の出陣衣装の小狐丸に、膝丸は箒を動かす手を止めて言葉を返した。小狐丸もにこりと笑う。
膝丸は小狐丸の周囲を見渡した。
「三日月様はどうされたんだ?」
「貴方の兄上とお茶を楽しんでいますよ」
「はは、そこで席を外すように遠回しに言われたのか」
小狐丸は膝丸の言を否定することはできないため、ただただ黙りながら微笑んでいた。
三日月が髭切と茶をすると出ていったのはつい先ほどで、小狐丸は三日月を源氏の兄弟の部屋まで送りにいった。そうして、三日月を部屋に入れると髭切は朗らかに小狐丸を閉め出した。静かに閉ざされた障子を前にして、困惑することしかできず、あてどなく本丸を放浪していた小狐丸は玄関先で膝丸を見かけたということだ。
髭切はむやみやたらに他の刀剣男士を嫌う刀ではない。だというのに、つれない仕打ちをされたことに戸惑いを覚える。
何事かを仕出かして、怒らせてしまったのだろうか。
腕を組む小狐丸に対し、膝丸は「心配することはない」と励ましの言葉をかける。
「兄者は三日月様に相談を受けて、小狐丸様を遠ざけただけだろう。なに、問題が解決したらいつもの通り接してくれるはずだ」
「貴方はその相談内容を知っているのですか?」
「俺が言うのは不実に過ぎるだろう」
存外に知っている、と言われてしまった。
青桜の本丸の小狐丸にとって愛しい背の君である三日月宗近は、他の本丸の三日月宗近と違って大層内気で控えめな性格をしている。類に洩れず、隠し事が多いのは三日月宗近という刀剣男士に共通する性質なのだが、それでもなるべく小狐丸に嘘や秘密を作らないように努力してくれてはいる。小狐丸はそう信じたかった。
膝丸は眉を寄せて難しい顔をする小狐丸に気を遣ってか、竹箒を掃除用具入れに戻す。それから、人気の少ない本丸の長船派の刀の部屋が多い縁側に座らせた。
「小狐丸様も過保護であるのだな」
「私もそう思います。ですが、相手はあの三日月ですよ? 目を光らせていないと何をしでかすか、恐ろしくておそろしくて」
大侵寇では勝手に本丸を抜け出して、百鬼夜行では九鬼正宗から聞いた話によると薄布を被った謎の「三日月宗近朧」という刀もいたという。番を愛してやまない小狐丸にしてみれば、胃が痛くて仕方ない事態だ。
最近は童子切安綱剥落という刀も本丸に顕現し、三日月は彼の刀を気にかけているので、どうしても不安が表に出てしまう。かといって、肝心の三日月には心情を吐露できない。
全く困ったものだ。
「まあ、俺も百鬼夜行の時にようやく小狐丸様の心配の片鱗を理解できたが」
「ああ。あの、鬼を斬った刀ですか」
仮面を被っていたため顔はわからないが、容姿と声は髭切にうり二つだったという。唐突に現れ、姿を消した刀の正体はいまだ不明だ。
膝丸は空を仰ぐ。
「俺たち源氏の刀も、名によって、歴史の解釈に左右されてきた。だが、今剣様や岩融様よりも存在は確固としていると傲っていたのだが……その安堵を打ち砕かれた。もし、あの時の刀が兄者であるか、もしくは深く関係する刀だとしたら。俺は、どうするのだろうな」
「私は、迷わないと思いますよ」
「随分と買いかぶってくれる」
膝丸の謙遜に、小狐丸はゆっくりと首を横に振った。
「私の知っている膝丸殿は、揺るぎのない真っ直ぐな刀です。たとえ髭切殿のことで暗中模索に陥ろうとも、繫ぐ手の先は決まっているのではありませんか?」
兄刀である髭切のことを膝丸は強く慕っている。だからこそ、髭切の名を汚す振る舞いをする刀がいたならば、容赦なく鋒を向けるだろう。同時に、あの髭切が悩み惑う姿は想像しがたいのだが、もしそうなれば、膝丸は献身を惜しまない。髭切の靄が晴れるまで傍にいるだろう。
小狐丸と三日月とは違う、見ていて羨ましい仲睦まじい兄弟刀の在り方だ。
「そうだな。俺は、何があろうとも兄者と共に主の誇りとされる刀でいる。その覚悟は変わらない」
「ふふ。貴方はそうでなくては」
「小狐丸様を安心させるはずが、俺が安心させてもらってしまったな。すまない」
頭を下げた膝丸の顔を上げさせた。
この様子を膝丸に見られたら、また大変なことになる。あの兄は何事も無頓着でいるように見えて、弟に関しては気が短い。そして膝丸はそのことに気付いていない。
自分たちも、案外そうなのだろうか。
思考に拭ける前に、た、と、と廊下を踏む音が聞こえてくる。足音に顔を向けると、髭切と三日月がいた。二振りとも初の出陣衣装だ。
「こんなところにいたのかい。捜したんだよ」
「すまない、兄者。何かあったのか?」
「うん。小狐丸に少しばかり言いたいことがあってね」
いきなり話題の中心に出された。
小狐丸は背筋を伸ばし、髭切に視線を向ける。髭切の背後では三日月が姿を隠している。普段は自身の着物にしがみつく三日月が、他の刀に縋っている姿を見るのは厳しいものがある。その複雑な心境をぐっとこらえて、小狐丸は髭切の言葉を待つ。
「あのね、三日月がね」
「はい」
「最近、小狐丸がお出かけに誘ってくれないからって心配になっているよ」
「はい?」
予想していた方向とは斜め三十度ほど違う角度から投げ込まれた言葉に、戸惑いの言葉を返すのだが、髭切はもどかしげに言う。
「出陣は一緒にしてもらえているけれど、それ以外だとあんまり外に出ることがないから、つまらないって」
「兄者。俺たちは刀剣男士だ。任務が第一で、そんな遊興に耽るなど」
援護に入った膝丸だが、じっと髭切に見つめられてすごすごと退散する。申し訳ないと頭を下げられた。
三日月はといえば、狩衣の袂で恥ずかしげに顔を隠している。
「あの、三日月。もしかして、その。私とただ睦みたかったのですか?」
遠回しに尋ねると、三日月は何度も頷いた。それから、顔から袂を外すと頬を赤く染めながら、唇を尖らせる。
「いまだって、膝丸と一緒にいただろう」
「いやそれは貴方が髭切殿と話すからと私を部屋から追い出して」
「ん?」
「なんでもありません」
髭切の無言の気迫に押されて、小狐丸は黙った。
はあ、と息を一つ吐いて立ち上がると、髭切の後ろに立ったままの三日月まで歩き、抱きしめる。四肢はしなやかに伸びていて筋肉も付いている身体だが、自分よりかはやや華奢な三日月を腕の中に閉じ込めながら、小狐丸はもう一度、息を長く吐いた。
「すみませんでした。どうやら、私の貴方が大層甘えたがりなのを失念していたようです」
「ん」
三日月はきゅっと、儚い力で小狐丸の袂をつかむ。
「もう貴方から離れません。貴方が逃げようともこの手を放しはしません。だから、これからもずっと私だけの三日月でいてください」
「あい」
小さないらえに深い満足を抱きながら、小狐丸は三日月の空いている左手に指を絡めた。
「良かったねえ。ええと……」
「膝丸だ、兄者」
いつものやりとりにようやく安心することができた。
憂う狐は待ちぼうけ
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