冬の景色に黄色の破片が混じる。
一年を通して枯れることのない金木犀が咲いているために、その本丸は金木犀の本丸と呼ばれるようになった。
暦の上では冬をなぞり、景趣も雪の降り積もるようになったので本丸では短刀や脇差たちが元気に雪合戦をしている。たまに打刀や太刀、場合によっては剣も混じる。槍や大太刀、薙刀は体型の大きさゆえに微笑ましく飛び交う雪を見守るばかりだ。
昼時の食事も終わり、穏やかな午後を大抵の刀は過ごしている。
だが、小狐丸は違った。手入れ部屋にて一振り、極の出陣衣装のまま傷を癒していた。
怪我の場所は目で、いまは包帯が巻かれている。
小狐丸の練度は目覚ましく成長し、最近では利用することの減った手入れ部屋だが、今回は仕方がなかった。薄闇の世界に閉ざされたまま、時が過ぎるのをひたすらに待つ。それしかできない。
手入れ部屋にいる間は空腹を覚えることもないため、小狐丸はぼんやりと、愛しい刀の癖を数えるということをしていた。
相手は当然、三日月宗近だ。小狐丸にとっては兄刀にあたり、同時に恋仲である。番である。
三日月の癖といえば、第一に控えめに食べるといったことだ。団子ですら一口で食べきらずに、二口三口と齧って嚥下する。上品さが相まって大変可愛らしい動作だ。
痛みを伴う退屈の中で、小狐丸はただただ三日月のことだけを考えていた。
こん、と扉が叩かれる。
「はい」
「失礼する」
聞こえてきた声は、先ほどまで頭に思い描いていた相手だ。
「どうしました? 三日月殿」
「なに。さして用はない」
声は先ほどよりも近くから聞こえてきた。その後には、右隣にぬくもりが訪れる。三日月が隣に腰かけたようだ。さらに、もたれかかってくる。
小狐丸は急にどぎまぎした。
「三日月殿?」
「退屈だろう。相手をしてやる」
「はあ。確かに先ほどまでは、三日月殿の愛らしい仕草を一つひとつ思い出して暇を潰していましたが」
「二度とするな」
厳しく言われる。小狐丸は返事をすることができなかった。
可愛らしい三日月殿を反芻するなと言われても、無理だ。
無言によって悟ったのか、三日月は距離を埋めてくる。すん、と丁子の柔らかで甘い香りが漂ってきた。三日月は香を焚くのか、日によって薫りが変化する。ただ、いつだって良い匂いをまとうということは変わらない。
小狐丸は多彩な薫りの奥にある、澄み切った泉を連想させる三日月の匂いが好きだ。
いまは視界が奪われて、他の感覚が鋭敏になっているのか、小狐丸は三日月の匂いを深く感じる。心地よさのあまり何度も呼吸した。
「ありがとうございます。三日月殿」
「どうした」
「私を、心配してくださったのでしょう?」
返事はない。着物をつかむ手の力が強くなったことが、答えだ。
金木犀の本丸の三日月は矜持が高く、素直ではない。芯は硬く凛としているために甘えるということは滅多にしてこない。甘やかすという行為も同様だ。
だけれど、番である小狐丸のことを一番に考えて、思いやってくれる。以前はそのことに気付けなかった小狐丸が落ち込むことも多々あったが、最近は三日月の不器用な優しさに気付くことができるようになってきた。
いまだってそうだ。
いつだって、そうだった。
小狐丸は負傷したことは悔しくないのだが、いま三日月の顔が見られないことをとても惜しく思う。二振りだけの時の三日月は、大層愛らしい表情を浮かべてくれるのだから。
「早く直してもらいたいですね」
「手伝い札を使ってもらうか?」
「いえ。そうしたら、この時間が終わってしまいますから。だから、よいです」
「ばか」
甘い罵倒の言葉に、小狐丸はそっと微笑んだ。
「いいですね。もっと、聞かせてください」
「ばか。ぬけもの。やさしすぎる狐だから、こんな目に遭うんだ」
「最後のは、褒めてませんか?」
「褒めてない」
「残念です」
くすくすと笑っていたら、面白くないとばかりに唇をふさがれた。
淡い熱を感じながら、ああ、やっぱり口惜しいと小狐丸は思わずにはいられなかった。
私の視線の先にはいつも可愛らしい貴方がいてくださるのですから。一秒たりとも見逃したくないというのは、私の、密かなる我侭なのです。
52.視線の先
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