44.君の、となり

 赤い葡萄が秋を迎えて大きく実りを増していく本丸がある。実った葡萄の艶やかさが目立つために、その本丸は赤葡萄の本丸と、密かに呼ばれていた。
 いまは慶長熊本への出陣で第五部隊のみが忙しく、内番姿の姫鶴一文字もまた多くの刀剣男士と同様に暇を持て余していた。修行に行く気も行ける気配もないのと、頭打ちした練度により、戦場に駆り出されることは格段に減った。そのため空いた時間の多くは山鳥毛を長とする福岡一文字の刀派と過ごしたり、他の刀剣男士から世間話を聞いたりしていることが多い。姫鶴は聞き役に向いていた。自身のことを話すのはだるいためかもしれない。とはいえ、熱心に聞くことを求めてくる相手をするのには向いていないあたり、福岡一文字の刀らしいのだろう。
 そしていまは、縁側にいる。斜め右に畑が見える。土の上をうろうろとする一振りの刀剣男士がいた。
 今日の畑当番は後家兼光と五虎退だ。両方とも上杉の家に関わる刀として、姫鶴とも縁がある。特に後家とは親しい関係だ。姫鶴が後家を「ごっちん」と、後家が姫鶴を「おつう」と読んでいるのを聞いた南泉一文字は二度振り向いたくらいだ。
 姫鶴は屋根のある縁側に居座り、隣には水筒を二つと湯呑みを一つ並べて、足を組みながら畑作業に慣れていない後家を見守っていた。
 友人としての責任感ではない。時間が余っているためだ。
 やがて、小さな五虎退に声をかけられて、後家と五虎退は畑から離れだした。姫鶴のいる縁側に近づいてくる。
「はー。疲れるものだね」
「お、おつかれさまです」
「おつかれ。ほら、水を飲みな」
 姫鶴は赤い水筒を後家に、青い水筒を五虎退に渡した。二振りとも蓋を開けてごくごくと飲んでいく。
 飲んだ後に、後家がむせた。
「なんだ! この水は少しだけしょっぱいぞ!?」
「汗をかくと思ったから、塩を入れたんだけど。分量を間違えたのかな」
 燭台切光忠に聞いて、丁度良い案配の塩を入れたつもりだったが、つもりだったようだ。
 後家はといえば、むせるのがおさまると感心した様子で水筒をのぞき込んだ。
「君は味方にも塩を送るのか」
「面白くないよ、それ」
 かつてゆかりのあった上杉家の当主の一人、上杉謙信が好敵手であった武田信玄に塩を送ったことに由来することわざを挙げてみたのだろう。しかし、先ほどの姫鶴が言ったとおり、落ちが読みやいのもあって強い印象を与えることは難しかった。
 手厳しい姫鶴の言葉を聞いて、五虎退は苦笑する。
「で、でも。お塩の入ったお水も、おいしいです」
「それはよかった。おつうに感謝するんだぞ」
「ごっちんが言うことじゃないでしょ」
「おつうは言わないから、言ってあげたんだ」
 姫鶴は黙る。後家の言うとおり、わざわざ感謝をねだろうなどという気は欠片もなかった。疲れて帰ってくるだろう二人に、多少のねぎらいができればよいのだ。
「あの、後家さん。今日はくしゃみはだいじょうぶでしたか?」
「それなら大丈夫だよ。やっぱり、あの虎くんたちがいると駄目みたいだね」
 常に五虎退の傍らにいてくれる虎たちだが、彼らと後家は相性が悪いのか、共にいると後家はくしゃみばかりしてしまう。
 五虎退は後家を困らせることに胸を痛めていた。しかし、原因はやはり虎にあるということにさらに絡まって複雑な胸中になることを隠せないようだ。
 後家は何も言わずに、五虎退の頭を撫でた。
 その様子を組んだ足の上に肘を置いて、頬杖をつきながら眺めていた姫鶴が口を開く。
「でもさ、ごっちんがすごい動物好きとかじゃなくてよかったじゃない。くしゃみが出るのは、あれるぎーとか、そういうもののせいなんでしょう」
「そうそう。まあ、代わりにくしゃみを出させないでくれる綺麗な鶴が隣にいるから、いいんだよ。五虎退」
「うざ」
 姫鶴の口から出た言葉が、照れ隠しなのか、それとも本音なのかは、どの刀も不明なままだ。五虎退はまた慌てだし、後家は慣れた様子で笑っている。
 姫鶴の気怠げな口調は変わらない。けれど、後家と五虎退を見つめる眼差しは柔和なものだった。




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