黄色い藤の花が夜になっても薄ぼんやりと灯るので、その本丸は黄藤本丸と呼ばれていた。
夜。刀剣男士を模した異質の子どものために小狐丸が子守唄を歌い、三日月宗近がゆっくりとした調子で胸を叩いている頃だ。
内番の格好をしている山姥切国広は音を立てないように気をつけながら静かに歩く。たった一つの目的地、その部屋の明かりがついていることを障子越しに確認できて安堵する。ここまで来たのは無駄足ではなかったようだ。
障子の前に立ってぼんやりとした影を作ると向こう側に声をかける。短くて長い時間をただ待っていると障子は開けられた。
「またお前か」
呆れたようにわかっていたようにその言葉を繰り返すのは山姥切国広にとっての本歌である山姥切長義であった。眠る前だというのにいまだ内番の服であることから何かしらの作業をしていたらしい。長義は政府で働いていたためか本丸で隙を見つけるとすぐにそれを塞ぎたがる。根っからの働き刀なのだろう。その熱心さにより、審神者の負担は大いに減っているらしいが国広からしてみれば長義が無理をしていないか不安だ。それを言うと「偽物くんに心配されるほどやわではないよ」などと返ってくるだろう。だから言えない。
長義を軽んじたくない。
国広は長義の隣であぐらをかきながら拗ねた調子で言い訳する。
「俺と同じ部屋をあんたが嫌がるから。だったら、俺がここに来るしかないだろう」
「国広の兄弟分と引き離したくはなかったんだよ。それに、だからって毎日通うことはないだろう。お前は俺の嫁か」
「いや。本歌が俺の嫁になってもらいたい」
真剣だ。この上なく真剣な瞳で言うと黙殺された。吐かれたため息の重さが胸に沁みる。しょんぼりとしてしまい、俯いて畳の青さと日焼けした部分が入り混じっているのを見つめる。本歌が黄藤の本丸に来てそれほどの時間が経ったようだ。
お互いに練度は頭打ちし、それでも成長する余白がある国広とまだ旅立たない長義は共に本丸を守っている。事務仕事や物品の管理で忙しい長義の後を国広が陰に隠れながらついていっている有様だ。
「ねえ、偽物くん」
「だから、写しは偽物ではないと」
「どうしてお前は修行に行かないんだ」
厳しい言葉だった。触れると冷たいのに火傷をしたみたいにひりついた痕が残ってしまう。その温度に耐えきれずに国広は気まずく顔を背けた。
長義は容赦なく言葉を続けていく。
「俺に対する遠慮だったら怒るよ。もう二度とこの部屋にも来させない」
本気の矜持を感じとり言っていることにも偽りがない。二度とこの部屋に来られなくなると考えると心音がうるさい。
ばくばく。ばくばく。ばく。
俺はそこまで本歌に嫌われているのだろうか。
修行に旅立つ許可は下りているというのにそれでも国広が旅立たないのには理由がある。覚悟が定まらないのもあって他の刀剣男士に修行に行ってもらっている。そういうところでも、自分は甘やかされていると理解しているのだ。
本歌と肩を並べられるほど強くなりたいのに今はまだそれが嫌だなんて、言って伝わるだろうか。軽蔑されないだろうか。
結局口にできる言葉は一つだけだ。
「本歌が行ってからがいい」
「宵みたいだね。子どもだ」
小狐丸と三日月の子どもの名前が挙げられる。
その通りだ。自分は未だ本歌の後をついていきたい子どもにすぎない。怖いのは自分が国広第一の傑作だということ、写しであることを受け入れて長義を軽んじるようになることだ。
国広は長義を布越しに見つめる。
夜にあってさえ人工の光に照らされる銀糸は滑らかな頬に落ちている。上げられた前髪。隠されていない青い瞳は真っ直ぐに全てを見つめている。今の国広のこともだ。高い鼻に引き結ばれた唇。端正でありながら自信を感じさせる面差しは美しい。
自分の憧れている本歌がここにいる。それだけで贅沢な贈り物だ。
国広は自分の胸の断片を言葉にするように少しずつ紡いでいく。
「写しは偽物じゃないし子どもでもない。だけれど俺は、本歌があってこそ生まれた山姥切国広だ。だから、本歌の先に行くのではなく本歌の行先を見送ってから旅立ちたいんだ」
「お前は、本当に」
呆れられたのだろう。
「かわいいね」
屈託ない小動物を愛でる眼差しで見つめられて、国広の心音はまた調子を狂わせた。
とくん、とくとく。とくとくとく。
今はまだ届けられない音だとわかっていても、もし聞かれたら恥ずかしくなるほどの大きさになってきたので国広は顔をまた俯かせた。頬が熱い。
まだあなたを憧れさせてと言葉にならない想いを募らせる。
本歌が、好きだ。
13.心音
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