青い桜がはらはら舞い落ちる本丸があり、その桜の見事さからか青桜本丸と呼ばれていた。
時は朝早く、日が昇り本丸を薄青に照らす光が満ちる頃に夜着姿の三日月宗近はしずしずと歩いていた。手には花を抱えている。頭を重そうに垂らしている、花弁が五つある白い花だ。
三日月はこの花の名前を知らない。ただ、朝に起きて縁側でぼうっとしていると庭の片隅に白い花の咲いている姿が見えた。「すまないなあ」とのんびり言って、二本だけ拝借したのだった。まだ朝露が残っていたのか指先にしっとりとした上品さを残された。
まだ他の刀は眠っているものが多いのか、厨で朝餉の準備をしている音以外は特に目立った音は聞こえない。普段ならば三日月も眠っている頃だろう。愛しい刀の胸の中で微睡んでいる頃だ。
それなのにいま起きてしまったのには、特に理由はない。なんとなく目が覚めて、隣に空虚を覚えたのでふらりと本丸を歩いていただけだ。
どこに行ってしまったのだろう。
三日月の愛おしい刀は。
一週間前から始まった秘宝の里の出陣に駆り出されているのかとも思うが、通行手形は昨夜の分は使い切ってある。すでに新しい分も補充されているだろうが、ようやく極になった三日月は一緒に出陣しているので置いていかれるはずがない。置いていくのなら許さない。
花を抱えながら、部屋に戻る。
布団の上であぐらをかいている小狐丸がいた。そのことに安堵して、三日月は足音を立てないようにしながら少しずつ近づいていった。
「小狐丸、小狐丸」
幼子が父を呼ぶ大人しさで呼びかければ小狐丸は振り向いた。
「三日月。どこへ行っていたのですか」
最初に飛び出てくる心配の言葉が嬉しい。その不安に対する答えは曖昧に笑って誤魔化すと、三日月は白い花を小狐丸に差し出した。
薫る。酩酊しそうな甘さだ。外見の清楚さに比べて誘惑は強い。
「綺麗な花が咲いていたから、お主に渡そうと思ったんだ」
「綺麗、ですか」
小狐丸はどこか納得がいかなさそうな顔をしている。白い花はしっとりとした重たい花弁を垂らしているが、それが憂うようで一種の退廃的な美を感じさせたのだが、小狐丸は違うらしい。
もっと明るい花が好きなのだろうか。黄色や、赤といった爛漫に咲く花が。
小狐丸はしばらく花を眺めていたが、花を受け取るとそれを丁寧にだが、床に置き捨てた。珍しくぞんざいな扱いをするということは、それほど花が気に入らなかったのだろうか。
俯いて落ち込む三日月の手を、小狐丸は取る。そうして湿った手を口元に運んだ。唐突な行動に声をあげることも出来やしない。
だけれど、小狐丸の口の中は温かくてぬめるところが心地良くて、舐められるたびに指先に痺れが走る。口元を左手で押さえながら、朝からはしたないことだとわかっていてもその先を求めてしまう。
もっともっと。触れて、壊して。
しばらくしてから、ちゅぱりと唇から指先が離される。三日月ははく、はくと深い呼吸を繰り返した。唐突な愛撫に頭が追いつかない。
「駄目ですよ、三日月」
「ん? 何がだ」
「貴方に及ばぬそこらの花を摘み取っては、花から怨嗟を受けてしまいます。指先に宿っていた憎しみの声は貴方には届かなかったのですか」
言われていることがわからなくて首をかしげる。小狐丸はさらに説明を重ねた。
「花は確かに美しいですが、私にとっては三日月に及ぶべくもない。ですから、今後はそのようなことをしなくてもよいのです」
「でも、俺だってたまにはお主に何かを贈りたい」
むきになって言い返したら、その次の瞬間に布団の上へ引き摺り込まれて押し倒された。長い、小狐丸の白い髪が落ちてくる。
先ほどの花の白さよりもなお白くて、美しい毛並み。
「貴方からもらえるものがあるのでしたら、私は貴方だけで十分です。その指先に摘まれる花にすら嫉妬する私の恋情に早く気づいてください」
「あ、い」
そんなことを言われてしまったら、もう何も贈ることはできないではないか。
この、三日月宗近という存在以外は。
4.白い花(とうらぶ/こぎみか/青桜本丸)
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