お主だけではないの、だと

 卯月の終わりに竹刀がしなり、ぶつかり、また離れる音が響く。
 紅の菫が一年の間、本丸の各所にて見受けられるために紅菫の本丸と呼ばれるようになった本丸にて、手合せをするのは三日月宗近と大包平だ。すでに互いに極に至り、一方は優美な紺の出陣衣装、もう片方は剛健とした赤の出陣衣装に身を包んでいる。
 大包平が裂帛の咆吼を上げて、正面から竹刀を振り下ろす。対する三日月は竹刀の剣筋を見極めて、半歩下がることにより身を躱す。無駄も余分もない動きは戦場だと敵を怒りに駆らせるものだが、大包平とてその程度の揺さぶりに乗る甘さはない。また姿勢を戻すと距離を空きも詰めもしないでじりじりと様子をうかがう。
 二振りが道場にて、今日の内番である手合わせを任じられている間、内番姿の小狐丸は暇だった。
 大層、暇だった。
 内番である馬当番も畑当番も命じられることなく、出陣も遠征もまだ極になったばかりである、肥前忠広、南海太郎朝尊や祢々切丸が任されている。紅菫の本丸にて古参とされる小狐丸は刀剣男士としても相当鍛えられていて、つまりは本丸の守りを任されている。
 とはいえ、番長制度にも組み込まれていない小狐丸は自身の洗濯や自室の掃除等を行う以外にいまはすることがなく、身の回りの家事を終わらせてしまうと、暇だった。
 暇なときにいつも絡んでくる三日月宗近はいまは内番中だ。手合せだという。まだ、生存が低い大包平に稽古を付けてくれと主である審神者に頼まれたら否応もない。
 小狐丸も理屈は承知しているのだが、三日月が自身以外と内番を組むとなると、どうしても胸の機能がおかしくなる。さつまいもを上手く飲み込めない時に似た、ずしりとした重さが胸の内に広がっていってしまう。問題なのは水を飲んでも茶を飲んでも、胸に落ちた重たいものは少しもなくならないということだ。
 小狐丸は本身を失っていた時間が長い。本丸で顕現してから人の身や感覚に慣れるまで、それなりの時間を必要とした。ようやく、人の身に慣れた頃になってから、また心身を共にかき乱す存在が現れた。
 その刀こそ、三日月宗近だ。同じ三条派の太刀であり、政府から下賜されたという異例の出自の刀剣男士である。
 三日月はよくわからないが小狐丸のことを気に入っていて、細かなことでも構ってくる。さらに、刀剣男士が増えて本丸が手狭になると小狐丸の一人部屋に転がり込んできた。
 それほど小狐丸にひっついてくる三日月がいないだけで、退屈になるのは情けないのだが、仕方がない。小狐丸が他に良好な関係を築けている、乱藤四郎もいまは近侍として忙しくしていて、話をする間もない。
 しばらく、縁側から見える未だつぼみも見せることのない桜の木を眺めていたのだが、あんまり呆けていると本物の阿呆になると、小狐丸は立ち上がった。
 自然と足の向かう先が、三日月が手合わせをしている道場であることが情けない。
 小狐丸が入口から道場の中を覗くと、三日月と大包平が竹刀を打ち合わせているところだった。大包平が竹刀を右斜め下に振り下ろすのを、三日月は鍔の近くで受け止めて、弾く。よろけた大包平を追うことなく、またゆったりと姿勢を戻す三日月に小狐丸は違和感を覚えた。
 私と戦っているときは、もっと。
「大包平は随分と苛立っているようだ」
 後ろから声をかけられた小狐丸は静かに驚き、ゆっくりと振り向いた。視線の先には内番姿の鶯丸がいる。
 大包平と同派であり、親しい刀である鶯丸もまた、様子を観に来たのだろうか。
 小狐丸が尋ねる前に鶯丸は話を進める。
「手合せが始まってから、大包平が攻めに入るばかりで、三日月は自身から打ち込むことがほとんどない。それなのに、大包平の手を三日月はことごとく潰してくる。嫌な戦い方だな。だから、三日月と手合せをしたがる刀は大包平くらいなものさ」
「好ましくのない戦い方をするというのに、大包平殿は三日月殿と手合せを望むのですか」
 理解のしづらい思考であった。簡単に勝てる相手にばかり手合せを挑むのも褒められた行為ではないが、どうして苛立つ相手にも勝負を挑むのだろう。
 自身だったら、どうするか。
 三日月の戦い方が好ましくのないものだとしても、手合せを挑むことができるか。
 そこまで考えて、小狐丸は気付く。そもそも自身は三日月にそのような戦い方をされたことがない。三日月はいつだって、小狐丸には激しい剣戟をぶつけてきた。普段は積極的に攻めに回ることの多い小狐丸が受けに入り、隙を見て、鋭い一撃を届かせる相手が三日月だ。
 だからこそ、三日月の大包平への立ち回りに違和感を覚えたのだ。
「鶯丸殿も、三日月と手合せをしたときには同じことをされたのですか?」
「三日月と手合せなどしたことがないな」
 さらっと返されてしまった。
「君が一番知っているんじゃないのか? 三日月と最も多く手合せをしてきたのは、自分だって。他に三日月と手合せをしたことがある刀は、それこそ大包平と面影、童子切くらいだろう」
「はあ」
 どうしても、小狐丸の頭には戸惑いが先に浮かんでしまう。
 三日月に固執されているのだろうか。それとも、ただの思い上がりだろうか。答えによって、いま胸を占めている澱みの重さが変わってしまいそうだ。
 かん、と場を割る音が立った。
 道場を再度見ると、三日月は立ったまま、大包平は膝を突いている。勝敗は決したようだった。
「手合せ、感謝する」
 悔しさの滲む声ではあったが、大包平はいつもの張った声で言う。三日月は微笑んで頷いた。竹刀を箱に立てかけて戻し、三日月は道場を出て行く。
「俺の刀さばきはどうであったか? 小狐丸殿」
 見ていたことにはすでに気付いていたようで、通り過ぎる間際に尋ねられた。小狐丸はしばし考えて、返す。
「私でしたら、今回の余裕は一手たりとも見逃しませんよ」
「ふふ。だからお主との手合せは面白い。ああ、それとな」
 三日月が小狐丸の見えない耳に唇を寄せる。
「俺の相手をしてくれるのはお主だけではないからな」
 小狐丸は固まった。
 予想していない、だが、どうしてそこまで自身が傷つかなくてはならないのかもわからない言葉に心は動揺し、体は動かなくなった。
 三日月はにこりと微笑を一つだけ残して去っていく。小狐丸が見送るだけしかできないでいると、鶯丸に苦笑された。
「どうやら、三日月を怒らせたらしいな。珍しいことだ」
「怒っているのですか? でしたら、謝るべきでしょうか」
「いや。いまは謝ってはいけないと俺は思うな。理由がわからないまま、謝ったら一層拗れる案件だ」
 だったらどうしたらよいのですか、と頭を抱えたくなった。
 小狐丸の都合もお構いなしにいつも構ってもらいに来るというのに、たまに小狐丸から様子をうかがうと、今回のような意味深長な言葉だけを残して去っていく。
 三日月という刀は至近にあれど、手に取ることはとても難しい一振りだ。
 小狐丸が、がっくりと肩を落としていると、立ち直った大包平は不思議そうな顔をしている。三日月が去った方向を見つめながら、言う。
「怒ってはいないんじゃないか?」
「え?」
「あいつの考えていることはいつもわからんが……。むしろ、俺には『心配するな』と言っているように聞こえたが」
 そのように受け取った根拠は説明できない。ただ、正直に述べられた大包平の言葉に、小狐丸はそれはそれで複雑になった。
 他の刀も俺の相手をしてくれるから、心配などするな。
 それは気を浮つかせる宣言をされたも同然ではないですか。
「追いかけます」
「ああ、それがいい」
 小狐丸はすたっと、廊下を駆けだした。歌仙兼定などには見つかったら叱られるだろうが、いまは三日月に追いつくことが重要だった。
 廊下の角を曲がったところで、ゆるりと歩いていた三日月が立ち止まる。小狐丸も足を止めて、三日月と向き合った。
「三日月殿」
「うん」
「私は貴方の自由を尊重します。ですが、同時に貴方の相手を務めるのが私以外であると言うことが、とても面白くないのです」
 この思いをどうしたらよいのでしょう、とはあまりにもみっともないので言えない。
 だから。
「これからも、私と、私だけと踊ってください」
 手を差しだして、視線を重ねて、言葉を伝えたら、三日月は笑った。小狐丸の手の平に自身の手を滑り込ませられる。
「たまにはお主に妬かれるというのも悪くないな」
「嫉妬、でしたか」
 胸に重く広がる感情の正体を言い当てられて、小狐丸はようやく腑に落ちた。
 いまはまだ三日月に恋などという感情を抱いているとは思わないけれども、それでも、三日月が自身以外に笑いかけるというのは、とてもつまらないことだ。
 だからといって、自身だけに笑っていてもらいたいとも思うわけでもない。
 願うのは、三日月殿の笑顔を一番多く、傍で見られることができるようにということだ。


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