95.博愛主義

 秋の終わりになってさえ、翠の蓮が静かに咲いている本丸がある。蓮の底は泥にまみれていようとも、表面の美しさは言葉にしがたい静謐さに満ちている。
 であるがために、その本丸は翠蓮の本丸と呼ばれるようになった。
 他にも翠蓮の本丸における珍しい点といえば、三日月宗近が女性として顕現されたことだろう。刀解することも憚られて、というよりも番である小狐丸の猛烈な抵抗に遭い、いまも健やかに三日月は翠蓮の本丸で暮らしている。
 そして、この日も穏やかな昼下がりであった。
 三日月は初の出陣姿のまま、縁側でいつものように茶と菓子を楽しんでいる。隣に小狐丸の姿はない。
 小狐丸という刀は面倒見が良いのか、それとも苦労性なのか、結構な頻度で本丸の各場所を転々としている。東に困っている刀剣男士がいれば助けに向かい、西に悩む刀剣男士がいれば話を聞きに行く。
 嫌な顔一つせず。
 小狐丸が小事に奔走すると、自然と三日月は放置されることになる。だが、三日月にとってその扱いは特に気にすることではなかった。
 三日月は思う。小狐丸という刀は世話焼きで、面倒見が良くて、優しいままでよい。
 と、いうことを盆を挟んで座っている内番姿の面影に話すと「うん」と頷かれた。
「三日月は心が広いのですね」
 春に顕現したばかりの面影は独特な調子で話を進めていく。笑いを取りに来ることもあるのだが、正直どこが笑うところなのかはわかりづらい。しかし、三日月としては眺めていて楽しい刀であることに変わりは無かった。
「俺の心の広さは関係ないだろうさ。あにさまは、帝のために打たれた刀だ。誰に対しても寛容であらねばならぬのだろう」
 その後に「寂しいことだがな」と付け加えると、面影はまた首をひねる。
「と、言いながらも三日月は楽しそうですが」
「ふふふ」
 三日月は普段笑うときに声を上げることなどしない。口元をゆうるりと緩めて微笑する。それなのに面影の言葉に笑ってしまったのは、本人は理解していないのに的を射た発言をしたためだ。
 まだ顕現して日が浅いためか、それとも本刀の性格なのかは不明だが、面影は察しの鈍いところがある。三日月にしてみれば面影の鈍感さは十分に愛嬌であるのだが、へし切長谷部などといった刀は面影に呆れることがままあった。
 三日月は面影のすっきりとした面を眺めながら、話を紡いでいく。
 小狐丸がどの刀問わず世話を焼くのは生来の優しさというよりも、もっと、平らかなものだ。反射と例えると美しくなるのかもしれない。一種の傲慢すら伴う、煩悶の改善を行わずにはいられない悪癖でもある。
 そうした三日月の話を面影は真面目に聞いている。真剣に聞いてくれることが面白いので、三日月の口もつい軽くなる。
 だから、気付かなかったのだろう。
「三日月」
 背後から声がかけられる。振り向くと、極の出陣衣装の小狐丸が腰に手を当ててげんなりとしていた。
「おお、あにさま。おかえりなさいませ」
「小狐丸。いま、貴方の話を三日月から聞いていたところだ」
「知っています。廊下の角を曲がる前から聞こえていましたから」
 小狐丸は眉間に皺を作ったまま、疲れた息を吐く。三日月はくすくすと笑いながら立ち上がった。小狐丸に寄り添う。
「ではな、面影」
「はい。また」
 面影は律儀に手を振って見送ってくれた。
 小狐丸は三日月の腰に手を回したまま、黙って自室へと向かっていく。三日月も何も喋らない。
 そうして、自室に戻ったところで、小狐丸はずるずると畳の上に膝を崩して座る。三日月を抱きかかえた。
「私のことを散々、言ってくれましたね」
「何を。どの刀にも優しいなあ、と褒めていただけだ」
「それは本当に褒め言葉なのですか」
 じろりと紅い瞳に睨まれる。
「褒めているとも」
 そうだ。褒めている。
 同じ本丸の刀であれば短刀であろうが大太刀であろうが、薙刀であろうが剣であろうが、全てに対して力を貸す刀が小狐丸だ。傍で見ていて感心してしまうほどだ。三日月はそこまで献身的にはなることができない。
 その小狐丸が、自分にだけは我が侭を見せて、拗ねたりするところが一番愛おしいなどとは、言ったら怒るだけだから決して言わないけれども。
「俺は、あにさまを心からすごいと思っているぞ」
 にこりとした笑顔と共に言うと、また、溜息が一つこぼれた。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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