33.残酷な言葉

 色鮮やかな翠の蓮が天に向かって顔を上げる様子が荘厳であるために、その本丸は翠蓮の本丸と呼ばれていた。
 翠蓮の本丸にはいくつか特殊な点があるのだが、その中の一つとして三日月宗近の存在が挙げられる。三日月は本来ならば刀剣男士として顕現するはずだが、女性の体を選んで本丸に姿を現した。性自認としては、女性側の自覚であることは確認されている。
 そのため、翠蓮の本丸の三日月は各所で配慮がなされている。女性の審神者である主のみが使用できる浴場も三日月だけは使用が許可されていた。審神者は「まあ、合理的配慮だね」の一言で片付けている。
 本刀には伏せているが、刀解の声も出てこなかったわけではない。ただ、すでに三日月を溺愛してやまない小狐丸がいたために、三日月をなかったものとして処理することははばかられた。
 結局は、いまも三日月は翠蓮の本丸にて呑気に小狐丸に寄り添いながら日々を過ごしている。戦場の中の日常という異端の平穏であるとしても、紛れもなく三日月は幸福だった。
 そうして、今日の三日月は食事の間でぼんやりと茶を飲んでいた。小狐丸も本丸にいるのだが、主に呼ばれて席を外している。だから、初の姿で一人待っていた。
 三日月は長年現世で存在しているために、多様な刀と関わりを持っていて、よく話しかけられるのだが、今日は相手をしてくれる刀は一振りもない。
 少々暇を持て余していた。
「すまないが、そこの茶菓を取ってもらえるかな」
 だから、声をかけられた時は驚いた。三日月が障壁となって届かない場所に、もみじまんじゅうが置かれている。三日月はこしあんのもみじまんじゅうを手に取って、一つ席を空けて座っている刀剣男士に差し出した。
 最近になって、顕現された刀剣男士のはずだ。乳白色に彩られた気品のある外見と、江のものらしい緑の上着から名前を当てようとする。
 三日月のその悩みを感じ取ったのか、柔和に微笑まれた。
「申し遅れた。私は、富田江だ。君は三日月宗近さんだね」
 自身が知らない相手に自分のことを知られているということは、いたたまれない気分にさせるものだ。
 三日月は曖昧な苦笑を浮かべながら頷いた。
「私は遠征ばかりで、この本丸にあまりいなかったから。君と話すのも初めてだ。名を覚えていなくても気にしないでもらいたい」
 先回りして丁寧な気遣いをされた。ますます三日月の立つ瀬がない。
 富田は相変わらず、一振りの席を空けたまま、距離を詰めずに茶を味わっている。右手で湯呑みを持ち、左手で支える。口に運ぶ時も音は立たせない。二口ほど含んでから、小さな敷布の上に置く。
 富田の所作の優美さは、人の体に慣れたというよりも、品の良さを教えられて素直に吸収した経験が為せる技のようだ。
「江の王子と言われるだけはあるなあ」
 三日月が素直な思いを口にすると、恥ずかしそうに微笑まれた。
「そんなことはないよ。松井だって、王子と言えそうじゃないか」
 あれは吸血鬼の類いではないのかという言葉が出そうになるが、三日月は呑み込んで腹の中に落とした。
「それに、三日月さんは三条のお姫様なんだろう」
「はっはっは。随分と、とうの立った姫になるがな」
 千年を越えて、未だに姫といった扱いをされるのは気恥ずかしいものがある。幼い頃は大きい兄たちに囲まれて、絹にくるまれるようにして可愛がられてきたのだから、否定はできない。いまも、その癖が抜けない兄は一振りだけいる。それ以外の兄による三日月の扱いは、いまは雑なものになっていた。
 三日月は自身の左手の薬指を撫でる。
 早く、帰ってこないものか。
 富田江と時を過ごすのは初めてであるためか、妙な照れが生まれてしまう。穏やかで優しい振る舞いをされるとむず痒い。
 いまも富田江はもみじまんじゅうを片手にしながら、目元を和らげて三日月を見つめている。様になっているのはさすが、江の刀だ。
 久しぶりに、女として扱われることに緊張を覚える自身の体を三日月は押し止めようとした。
 はしたない。俺には愛しい相手がいるというのに。
 三日月が手の甲に爪を立てたところで、小狐丸が戻ってきた。馴染んだ気配が近くにあることに安堵する。
 小狐丸は何も言わない。三日月を黙って見下ろしていた。
 陰になって見えない顔が怖い。
 また、不興を買ってしまったのかと三日月が怯えていると、小狐丸は両腕を広げた。言葉は発しない。何をしろと命じるわけでもない。
 それでも、どうすれば良いのかはわかっているために、三日月は小狐丸の両腕に飛び込んで、そっと身を包まれた。
「待たせてしまいましたね」
 拗ねた響きを持った言葉に笑ってしまう。
 どうやら、富田江に恥じらいを覚えていたことは見透かされているらしい。しかし、表立っては嫉妬を見せられないために、三日月から小狐丸を求めるように促した。それが精いっぱいの拗ねのようだ。
 あにさまが妬いてくれている。
 それだけの情念ではあるが、三日月には何よりもの甘露だった。
 いまは小狐丸に強く抱きしめられて、富田江の顔は見られない。だけれども、あの刀剣男士は呆れた顔はしないでいてくれるだろう。
 小狐丸が三日月の腰を支える。部屋に向かって歩き出した。
 食事の間を出る際に、挨拶だけでもしようかと体の向きを変えようとするが、動かせなかった。
「私以外、見ないでください」
 そう言われてしまえば、言葉で別れを告げることはできない。三日月は軽く手を振ってから、小狐丸に一分の隙も無く距離を詰める。
「妬いたか」
「……残酷ですね」
 口にさせようとするなど、悪趣味もいいところだと睨みつけられるが、三日月は気になどしない。
「不貞を疑われた俺の身にもなってみろ」
「疑っていません。面白くなかっただけです」
 言い返そうとする前に、言葉の鋒が三日月に捻じ込まれる。
「貴方と違って、私には三日月しか縋れるものがないのですから」
 言いたくなかった、という顔をする小狐丸の唇に、三日月は思わず触れてしまった。



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