9.おひるごはん

 その本丸は翠の蓮が慎ましく咲いているため、翠蓮本丸と呼ばれている。
 審神者は無口で素っ気ないがどの刀にも公正に接する女性で、主な近侍は鶴丸国永が務めている。その補佐として一期一振がついているのでこちらの二振りも恋仲ではないかというのがこの本丸を駆け抜ける密かな話題の種となっていた。しかし、他の本丸よりも兄に対して距離の近い乱藤四郎はその噂を頑なに否定している。
 さらにもう二振り、同派であるが確実に結ばれていると誰もが保証する刀剣男士があった。
 一振りは小狐丸。修行して極に至り、白い出陣衣装が目に眩い。
 もう一振りは三日月宗近。鍛刀が遅かったため、いまだ極めておらず青い狩衣姿でふらふらしている。だが、体は女だ。
 女だった。
 よくある禁則処理として発生したのだと、審神者は刀剣女士として顕現した三日月宗近を刀解をする気もなく好きにさせている。三日月もあまり気にしないで「これであにさまの嫁になれる」と現状を受け入れている。困るのは、小狐丸だけだ。その小狐丸も結局は三日月に恋をしていたので、女性の三日月を愛しい番と受け入れた。そのため、いまは特に大きな出来事もなくのんびりと暮らしている小狐丸と三日月だった。
 いつもの日常。違うのは、気まぐれに嵐が訪れる時期に入ったという一点のみ。
 午前の出陣を終えた小狐丸は出陣衣装から内番服に着替えて、昼食を摂るために食堂へ訪れた。翠蓮本丸の食堂は畳の部屋が四つあり、そこに長机が置かれている。小狐丸は長机の左側に腰掛けて、何を厨に頼むか考える。この本丸には日替わりの品書きが置かれていて、そこに書かれている作り置きされた料理から好きなものを選べるようになっていた。
「あにさま」
「ん」
 振り向くと、三日月が冷えた茶を湯呑みに入れて持ってきた。長机に置くと隣に座る。今日もまた、にこりと機嫌良さそうに微笑んでいる。小狐丸は三日月が不機嫌な様子でいるのを、たまにしか見かけることがない。それを今剣に伝えたら「おまえといると、三日月はへいおんなんです」と眉を寄せられた。理由はわかるので追求しなかった。
「あにさま、おひるごはんに悩むことなどないだろう」
「そうですか?」
「ああ。あにさまのおひるごはんは、俺だ」
 自信満々に豊かな胸を張られながら口にされた言葉により、食堂に流れる時間が止められた。輝いているのは三日月だけだ。しばらくその様子を眺めていた小狐丸だが、三日月は腰に手を当てて微動だにしない。
「では、いただきます」
「みゃ!?」
 言われたとおりに、小狐丸は三日月を引き寄せて少しだけ露出している首筋を食んだ。わずかに塩の味が舌を刺す。涼しげに振る舞うがそれでも暑さからは逃れられない肉体の定めに従っているらしい。
 前歯を立てて、薄い皮を何度も挟みながら赤い痕を残していると、胸元に手を当てられて力を込められた。だが、女性の力で小狐丸に対抗できるはずがない。そのまま悪戯な舌は顎を舐める。
「ま、待て! まだ準備ができていなかった」
「いつできるんですか。私は空腹ですよ」
 三日月の腰に手を回したまま、剣呑な目で睨みあげる。腹が減っているのは事実であるし、腰は少しばかり重い。男の本能に気づかず無邪気に誘ってくる妹は苛立たしいが可愛らしい。
 いじめたい、という心境だ。
 小狐丸に睨まれている三日月は顔を左右に振り、上下に動かして、最後は俯くと小さな声で言う。
「三秒で、できるから」
 そうして首飾りに指をかける。
 だが、外す前に燭台切光忠がやってきて、曖昧な笑顔を浮かべながら三日月の肩に手を置いていた。
「小狐丸さん、止めようね。短刀くんたちの情操教育に良くないよ」
「短刀ほど閨に連れていかれるものもないでしょう」
 的を射ているが正論ではない内容を言い返す。
 呆然としている三日月を抱き上げて、食堂を辞すことにした。腹は空いているが妹の相手をしてからではないと落ちついた食事にはありつけないらしい。全く困ったものだと呆れているのだが、頬が緩んでいるのはどの刀も気付いていた。
 小狐丸は自室に向かいながら、しがみついてくる三日月に何度も唇を落とす。額に、瞼に触れていると次第に腕の中の体は熱くなっていき、身悶えする。喉の奥で声にならない悲鳴が上げられるが、最初に手を出してくれと誘ってきたのは三日月であるから気にしない。
 幸いにも、誰にも見咎められずに部屋に着く。隙間を足で広げて、部屋に入ると壁に寄りかかりながらまた三日月を抱き寄せる。袂の隙間から小さな顔を覗かせて上目遣いに見つめられた。
「食べないのか?」
 小さな、小狐丸の耳にだけ届く声だ。いまの状況は恥ずかしいけれど、触れられることに対する期待は止まらない。そういった、桜の花弁を溶かした声だった。 
 まだ共に戦場に在ることはできないためか、三日月は小狐丸が本丸にいるあいだは様々な手段を駆使して、隣にいようとする。また小狐丸を独占し、どの刀にも触れさせないための努力も欠かさなかった。
 甘ったれで、気ままで、それでいて小狐丸に関することになると刀七倍は嫉妬深い。
 そんな三日月が愛おしくて仕方なかった。
 小狐丸は三日月にだけ見せる、穏やかな笑みで頬をつつく。
「このまま食べてしまいたいですね。でも、我慢します。貴方がなくなってしまうなんて、そんなもったいないことには耐えられませんから」
 言い終えて、抱きしめる力を強くする。雨の湿気に混じってさえ清廉な薫りは一層の飢餓を誘ってきた。くるくると鳴く腹を宥めながら、丸い夜色の頭を撫でる。それで気が済むと思っていたのだが、不意に三日月は言う。
「だったら、俺があにさまを食べてしまおう」
 目の前で小さな口を広げられ、小狐丸は何も考えずに空洞へ人差し指を差し込んでしまった。三日月は目を丸くするが、自分の口の中にあるものが小狐丸の指だと理解すると両手を人差し指に添えて、何度も舌で唾液を滑らせながら口を前後に動かしていく。
 まずい。
 小狐丸の背中に鋭い警告が走った。冷たく、痺れすら伴う危機を覚えているというのに、体は抗えない。
 いままで越えないように必死になって張ってきた境界線を一気に揺さぶられる。細められた月の瞳、紅潮した頬から目を逸らしながらも、指先が湿っていく感覚に耐えられなかった。かといって、強引に引き抜くことも、突き放すこともできない。
 頭の中でかちかちと鳴る、限界に到達するまでの時限の針が一周する前に三日月は小狐丸の指を解放する。同時に緊張が抜けた小狐丸は、ずるずると壁にもたれかかってしまった。
「もっと食べたいぞ」
「だめです」
 ここでそう言えた己をどの刀でもいいから褒めて欲しいと、心の底から小狐丸は思った。


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