可愛い子猫様

 夏の盛りにあってさえ、橙の花弁が色濃く匂う金木犀が咲く本丸であるため、その本丸は金木犀本丸と呼ばれるようになって長い時間が経った。
 いまは連隊戦の終盤に差し掛かり多忙な時期でもある。報酬である実休光忠を無事に迎えて、残りは修行のための手紙だ旅道具だ、そして何よりも経験値稼ぎを目的に短刀を中心にして連日出陣が続いていた。
 同時に、連隊戦は刀剣破壊の心配がないため、手入れ部屋が空く。前回の戦力拡充計画で傷ついたままだった一期一振と三日月宗近も軽傷ではあるが、そろそろ傷を癒す頃合いだと手入れ部屋に入れられた。二振りとも極の太刀であるため手入れが終わるまで時間がかかる。現在のように余裕がある時ではないと出陣の際の戦力が不足して困ってしまうと、しばらく負傷したままの出陣であった。
 愛しい刀が軽傷のまま戦場に駆り出されていたのに不満を抱いていた小狐丸と鶴丸国永は、揃って主を冷えた眼差しで見ていたが、二振りの手入れによってそれも終わる。
 内番姿の小狐丸と鶴丸は手入れ部屋付近にある部屋で座りながら、恋刀の手入れが終わるのを待っていた。
「しっかし、君が主に対してあんな冷たい目をするとはなあ」
「ぬしさまは大事な主君ですが、傷を負った三日月殿をあれほど放置されては流石に堪えまする」
「ふーん」
 鶴丸はじっと小狐丸を見る。その視線が探るようなものだから、見つめられている小狐丸は身構えた。
 三日月とも親しい間柄である一期と鶴丸だが、この二振りは自分たちが結ばれるのに一役買ってくれたと聞く。それについては深く感謝していた。小狐丸にとって高嶺の花である、兄刀の三日月に近づけずにいた時も、鶴丸と一期が発破をかけてくれたため、三日月から小狐丸に手を伸ばしてくれた。そうではなかったら、自分はいまでも憧憬を胸に秘めたまま不器用に接することしかできなかっただろう。
 三日月殿。美しく、気高く、素っ気ない面もあるが本当は心優しい刀だ。彼が兄であることは誇らしい。
 同時に鶴丸についても面白い刀だという印象を抱いていた。一期に対しての恋情はこちらが顔を赤らめてしまうほどあからさまだが、それに品のなさはなくいつも軽妙だ。そうではなかったら、三日月とも親しい関係であるため自分も誤解を抱いていたかもしれない。
 鶴丸も、三日月を好いているのではないかと。
 だが当の鶴丸は「一期以外はなあ」と言っていたので、気にしなくても良くなった。冗談は言うが嘘は吐かない刀だ。
 だからこそ向けられている視線が不思議になる。
「鶴丸。どうしましたか」
「いやな。だいぶ慣れてきたが、こっちのお前も新鮮で驚きがあると思ってな」
「ん?」
 私は私だ。他に小狐丸はいない。
 だというのに別の小狐丸がいるような言い振りに眉をひそめた。それを見た鶴丸はなんでもなさそうに片手を振る。
 そうして、三十分ほど経過した頃だ。
 かたりと手入れ部屋の戸が揺れた。手入れは済んだのかと、立ち上がって木製の戸を引こうとする。しかし、反対の力で引っ張られて開かない。
 小狐丸ががたがたと手入れ部屋の引き戸を揺らしているのを見て、不思議に思ったのか鶴丸も立ち上がる。一緒に引っ張ると。
「にゃ!」
 鋭い声が跳んでてきた。
 それでも、その光景は否応もなく視界に入ってしまった。小狐丸は目を見開く。
 手入れ部屋の中では、髪の中に紺色の三角の耳を覗かせている三日月と、薄水色の耳を見せている一期がいた。三日月が一期にもたれかかっている。その時に、ゆらりと動く尻尾が愛らしく見えたので小狐丸の思考は停止した。

 出陣衣装のままの三日月を小狐丸が抱き抱えて、一期を鶴丸が抱きしめたまま審神者の部屋の扉を蹴っ飛ばして開ける。
「ぬしさま!」「主!」
「うわあ」
 すでに慣れたことなのか、のんびりと驚く振りをする主に鶴丸が詰め寄る。
「どうしてこんな面白いことを黙っていたんだ! 猫耳の一期なんて最高じゃないか!」
 小狐丸は目を輝かせる鶴丸の頭を「問題がずれています」と引っ叩きたかったが、いまは三日月で手一杯だった。
 その、三日月もせめて頭を見せないように努力しているのか、小狐丸の胸元に顔を押し当ててぎゅうぎゅうと丸まっている。その様子が愛らしくてたまらなくて、普段は絶対に見せないであろう自分に頼ってくる姿に半ばこのまま折れても良いと感じるほどの幸福を味わっていた。実際に折れたら困るが。三日月を愛でられない。
 主の傍に控えていて近侍の堀川国広は、見ただけで状況を察したのかてきぱきと透明な板を空中に浮かばせながら操作する。何をしているのかは小狐丸にはさっぱり不明だ。ただ、異常の原因を探ってくれているのだと予想はつく。
 そうして、説明されたのは以下の通りだった。
「お二振りの前に入っていた南泉さんと一緒に猫が入ってきて。その猫が入ったままだったので何かしらの影響を受けて、手入れに影響を及ぼしたようですね」
「どうしたら解決するのですか?」
「うーん。時間が経てばとしか。まだ手入れ部屋の情報構成に猫が混じっているので、手入れをしても直りませんね。だから、時間が経ったら異物である猫の情報が抜けて元の通りになりますよ!」
 押しの強い笑顔と共に言われたら反論できない。
 時間が経って回復するのならば、特に問題はないか、と結論を出して小狐丸は主の部屋を辞すことにした。話を聞いた鶴丸はもういない。一期を可愛がる、面白がるために自室にこもるのだろう。
 全く同じことを考えているため、すぐにわかった。
「三日月殿、部屋に戻っていいですか?」
 一応は断りを入れるために尋ねると、顔を隠したままこくこくと頷かれる。その、耳が震えているのも、かすかに見える頬が赤くなっているのも可憐な様子だった。
 三日月殿がこんなにも恥ずかしがる様子が見られるなんて。刃生に何度あるかわからない。最初で最後かもしれない。
 たまらなくなって頬を耳にすり寄せると、ぺちりと籠手をつけたままの手で顔の横をはたかれる。その痛みすら心地よかった。
「では、ぬしさま。三日月殿は預かりますゆえ」
「はいはい」
 本当に呑気なぬしさまだ、と呆れずにはいられなかった。要の戦力である一期と三日月に猫の耳と尻尾が生えて、戦いに出られなくなったというのに。いまの戦場は短刀が主力だから、当分は大丈夫だろうと気にしていないのか。
 小狐丸は三日月を抱き上げたまま、二振りの自室に戻る。青さの消えた畳に三日月を下ろしてから扉を閉じると、いまだ丸まったまま顔を見せようとしない三日月に静かに近づいていく。膝を立てたまま、そっと髪を通り抜けて頬に手を当てた。
 ひげは生えていないようだった。きめ細やかで滑らかな頬の感触が手に伝わる。先ほどから触れようとするとべしべしつれない猫のように相手にしてくれなかった三日月だが、ようやく触れることを許してくれた。
 小狐丸は穏やかな笑顔を浮かべて、三日月の顔を自分に向けさせる。その顔は目尻を赤くして、唇を尖らせるという、おさなごの拗ね方をしていた。少しばかり泣いたのかもしれない。矜持の高い刀だから、この姿が恥ずかしくて仕方ないのだろう。
 この赤の目に映るその姿は可愛くてたまらないというのに。
 小狐丸は猫を可愛がるように顎を撫でてみる。
「みゅっ!」
 ばしんと跳ね除けられた。熱い手を振りながら、よく見ると月が宿る目にも金の線が一筋入れられている。だいぶ獣の状態に近いらしい。
「ふふ、貴方も野生になることがあるのですね」
「きにゃ!」
 違う、と言いたいらしい。それにしても、言葉まで話せなくなるとは結構重症だ。羞恥によって顔を隠していたのもわかる。
 さて、どうしたものか。
「野生ではないのでしたら、私に飼われる可愛らしい猫ですかね……。ふふ、普段の貴方に言おうものなら、どれだけ怒られるでしょう」
「みゅうぅぅぅ……」
 いまだって、怒っているぞ。と言ったところか。声を失っても三日月の言いたいことが大体はわかるようになってきた。
 それでも、極の出陣衣装で猫の耳と尻尾を生やしていると飾られた飼い猫のようだから、普段は抱かない意地悪な感情が胸を掻き立てるのを抑えられない。
 可愛がりたい。鳴かせたい。そして、何より甘えてもらいたい。
 小狐丸は再び、三日月の三角の耳に唇を寄せた。そのままぺろりと舐める。短い毛の感触がざらりと舌に伝わって、毛づくろいをするように何度も往復させた。三日月は袂を口元に当てて、目を強く閉じている。それから、まだ残っている普段の耳にも唇を触れさせた。こちらは真珠の耳殻のままだから唇で挟むとこりこりとした触感がたまらなかった。
 三日月の体が揺れる。片手を畳につけながら身を傾かせているので、小狐丸は背中に手を当てて支えた。そのまま、顎をぺろりと舐めるとまた身を震わせられる。その隙にそっと触れられなかった尻尾を左手でくすぐる。上下にしごいていけば、三日月は地上に打ち上げられた魚みたいにびくんと震わせる。
「にゃ、や、にゃあ……! ふ、みゅぅう……!」
 そういえば衣装のどの隙間からこの尻尾は出てきているのだろう。
 今更な疑問を抱きながら、小狐丸は細長い尻尾を毛並みに合わせて擦っていく。しっとりと濡れているのが指に心地よい。
 は、はと触れている小狐丸の呼吸も荒くなっていく。三日月を支える手を動かしていって、畳の上に押し倒す。
 息を絶え絶えにさせている三日月の頬に擦り寄って、赤く膨れている唇に唇を重ねる。薄い熱が心地よい。しばらく味わいながら、線に沿って唇をなぞっていく。いつもは滑らかな三日月の舌が少しざらついているのにも、そんな影響が出ているのかと愛おしくなった。
 ちゅ、と音を立てて離れようとする。夜を溶かした瞳が名残惜しげに追いかけてきて、頭を撫でた。耳に触れる。ぴくんと感じられて、足が何かに引っ張られる感触がした。
 見てみると、三日月の猫の尻尾が巻き付いていた。
 くすりと笑ってしまう。
「これ以上、可愛がっていいのですか?」
「みゅ」
 目をそらしたまま、小さく鳴かれた。
 どうやら肯定らしいその言葉を聞いた小狐丸の目の色が変わる。
 赤が、紅に。
 そのことに気付いているのは、同じ獣に喰らわれる獲物と化した三日月だけだ。

 一期と三日月の半猫化現象は半日ほど経って完治した。
 その後に、鶴丸と小狐丸の二振りが番によって正座させられるか、手入れ部屋に突っ込まれるかの選択を突きつけられて、廊下で正座させられるのを選んだ姿を前にして南泉は言う。
「俺は悪くないんだから……にゃ!」
「ええ。南泉は悪くありませんよ」
「でももう一回、いやあと三回くらいはやってくれ」
「いやだ、にゃ」


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