59.おかえりなさい

 冬の終わりが見えるころになっても、金木犀が風景に常に添えられる本丸であるために、その本丸は金木犀の本丸と呼ばれるようになった。
 極に至り、練度も上がってきた小狐丸だが、内心では大きな不安を抱えていた。心が落ち着かない原因は自らにはない。外にある。
 正確には番である、三日月宗近にあった。
 とはいえど、戦場で気をそぞろにさせることは危地に繋がる。そのため、小狐丸はさくっと先制で相手を倒し、倒し、倒して、一刻も早く本丸に帰還できるように急いでいた。
 その様子を見ていた、同じ出陣の面子である蜂須賀虎徹は苦笑を隠さない。隊長を務める小豆長光が進軍先を決めるために審神者と相談をしている間に、蜂須賀は小狐丸の肩を叩いた。
「そこまで急がなくても、大丈夫だろう。小狐丸」
「わかっておりますが……私の弱さ故の、気がかりです」
 そう言って、落ち込む小狐丸の毛並みはいつもより艶がない。
「まあ、確かに重傷で手入れ部屋に担ぎ込まれたとあっては心配だね。俺も、浦島が同じ目に遭っていたら、いまの小狐丸と同じようになりそうだよ」
 小狐丸は黙って何度も首を縦に動かした。蜂須賀は苦笑の度合いを深める。
「手入れ部屋に入れられたのだから、後は大丈夫だろう。さあ、最後の敵だ」
 時間遡行軍の不穏な気配が霞のように漂ってくる。小狐丸は自身の刀を構え直し、敵に向かって駆けだしていく。
 早く、三日月殿の笑顔が見たかった。
 直後、普段からあまり見られるものではないと思い返して、小狐丸は衝動のままに刀を振り落としてしまった。
 敵である苦無が叩き折られた。
 小狐丸を皮切りに、歴戦の刀剣男士が敵と斬り合い、勝利して、多少の怪我を負いながらも帰還した。
 時空転移装置の働きによって、本丸に戻った小狐丸は第一に手入れ部屋を目指して進む。
しかし、すでに手伝い札を使って手入れを終わらせたのか、三日月の姿はなかった。
 またも小狐丸はしょんぼりと極の衣装にある白きもふもふと共にうなだれる。
「どうした」
 声の聞こえた方向に振り向くと、内番姿の骨喰藤四郎がいた。
「ああ……三日月殿がどちらにいるか、ご存知ですか?」
「食堂にいる。兄弟と一緒におやつを食べているはずだ」
 小狐丸は礼を述べてから、ふらふらふらと食堂に向かう。開かれたままの障子から顔を覗かせて、周囲を見渡すが三日月の姿はなかった。
「おや、どうしたんだい? そんな戦帰りのすすけた姿で」
 次に声をかけてきたのは、出陣の予定があるのか、極の出陣衣装の大般若長光だった。
「あの……三日月殿がどちらにいるか、ご存知ですか?」
 骨喰に問いかけたのと、同様の質問をする。
 大般若はふむ、といった顔で小狐丸の背後を指した。
 振り向く。
 近づく。
 すたすたと早足で近づいてくる、初の出陣姿の三日月がいた。
「こ」
「三日月殿!」
 反転し、それから小狐丸もたたたと急ぎ足で進んでいく。真っ直ぐに向かっていく、小狐丸と三日月が歩き、進み、結果として。
 二振りは衝突した。
 小狐丸はふらつく足に力を込めて、三日月を抱きしめる。倒れそうになる、手入れ直後の身体を大切に腕の中にしまった。
 後方で大般若が「うんうん」と頷いているような気がするが、いまの小狐丸にはどうでもよかった。
「ご無事ですか? 三日月殿」
 顔をのぞき込んで言うのだが、三日月はいつも通りの気難しげな表情だ。
 金木犀の本丸の三日月宗近は矜持が高く、凛としていて、そして大変頑固だった。微笑することはままあれど、呵々大笑することは絶無に等しい。
 だから、小狐丸も三日月の淡い微笑みを見られるだけで満足することが多いのだが、今日は違った。
「三日月殿?」
 呼ばれた三日月は黙って小狐丸の頬をむにと片手で引っ張る。それから、耳元で囁いた。
 小狐丸は、その囁きを聞いて何も言えなくなった。
 三日月の手が自由になる。代わりに、小狐丸の手をつかんで、歩き出す。これからどこに向かうのかは、小狐丸も承知していた。あまり行き慣れたくない場所であるが、本丸に顕現した刀は全てこの場所の存在を叩き込まれる。
 刀剣男士の存在に関わるためだ。
 黙って進む三日月に連れてこられた場所は、当然ながら、手入れ部屋だった。
「み」
 もう名前を呼ぶことも許されないのか、どん、と突き飛ばされて、手入れ部屋の中に入れられた。
 静かだが素早く、戸も閉じられる。
 大体が和風に造られた本丸にそぐわない洋風の寝台と、時間を忘れるための本が手入れ部屋には置かれている。
 小狐丸は寝台に座りながら、言った。
「どうして、私が怪我をしているとお分かりになったのですか」
『お主が気が付くことに俺が気付かぬ道理など、ない』
 一枚の戸を隔てながらきっぱりと言われた。
 三日月が心配なあまり、急いて、急いて急いて進軍した小狐丸だったが、当然ながら無傷とはいかなかった。軽傷の中の軽傷といったところだが、三日月は見る前から気付いていたらしい。
 彼には、心配をかけたくなかったというのに。
 小狐丸は背を丸める。
 三日月が復調したことは喜ばしいが、また離ればなれだ。この間に、三日月がまた出陣となり、傷を負って手入れ部屋に入ることになったら、悲しかった。
『小狐丸』
「はい」
『俺は当分、いかない。どこにもいかないから、だから』
「だから?」
「……おかえり」
 肝心なことを言う前の三日月の癖である。頬を染めて、目を伏せて、たいへん悔しそうな顔をしている様子を、小狐丸は勝手に想像した。
 してしまった。
 そうしたら、もう頬が緩むのは止められない。腑抜けた笑みは止める間もなく浮かんでしまう。
「はい。帰ってきました、三日月殿」
 かたりと戸が揺れる。その動揺が、愛おしかった。
 




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