たとえば、死で別たれるまで。
それまではずっと、ずっと一緒にいるだろうと思っていた人たちがいた。
当然ではないけれど、当たり前ではない存在。大切な家族。
ああ、だけど。
人はいつか、家族よりも大切な人を見つけてしまうのだなあって、今更ながら気付いてしまった。
だから、パシフィカ・カスールは王都ザウエルまで再び、旅をした。
五体が揃い、視野の欠損や脳の障害もない。
体を資本とした労働を得意とし、またそれ以外ではまともに働ける自信のないフューレにとって、身体が無事であったことは幸運としか言えない。
数年前に<廃棄王女>を巡る権力闘争によって、命まですり潰されるところだったが、フューレはそれでも生きていた。
かろうじて、生きていた。
身体は無事であろうとも、心には深い空虚を抱えながら。
ぽっかりと生まれた穴の正体をフューレはとっくのとうに理解していた。<廃棄王女>であった、パシフィカ。フューレの下に身を寄せていた頃は、パメラという少女が永遠に失われてしまったためだ。
一ヶ月に満たない時しか共にしていないというのに、パメラはフューレにとって失いがたいものとなっていた。だから、彼女が<廃棄王女>ではなくなり、王室に迎えられたと知った時は深い安堵と共に絶望したものだ。
二度と会うことはない。
記憶を取り戻したであろう、パメラ、いやパシフィカが自分を思い出すこともない。
もう、手は届かない。
フューレは奈落の底に叩きつけられたが、それだけで自棄になって絶望することはなかった。淡々と日々の仕事をこなし、復興に力を貸し、平凡に生活している。
今日もある荒廃した地区の瓦礫の撤去作業を手伝っていた。
短い夏は去り、冬であるために暑さに悩まされることはない。それでも、手はかじかむ。痛いが、いまのフューレにとって痛みは心地よいものでもあった。一瞬だがパメラのことを忘れていられる。
一通り、瓦礫を撤去し終えたところで、配給が始まっていることに気がついた。混雑を避けるために少し離れた場所で空くのを待っていると、呼ばれた。
「おにーさん」
聞き間違いかと思った。
聞き間違いであればよいと、願った。
「お仕事ご苦労さま。温かいスープだよ。食べて」
差し出された木製の椀に入った、薄茶色のスープではなく、椀を手にする人の顔を見下ろす。
「お、まえ! パメ」
両手がふさがっているためか、口の前に指を立てることはなく、だが静かにするようにと指示される。
フューレは続く言葉を呑み込んで、少女を見つめた。
自然に伸ばされた金色の髪。空よりも明るい青の瞳に、闊達な猫のような雰囲気の少女には、見覚えしかなかった。
こんなところにいるはずはないというのに。
「ついてきて」
少女、パメラは囁き声で言う。フューレは黙ってその後を追った。
人のいない、まだ瓦礫の撤去が終わっていない場所でパメラは足を止める。フューレも立ち止まる。
いま、パメラは自分のことを覚えているのだろうか。初対面にしては距離が近いが、まだ確証はない。緊張して唾液を呑み込むと、パメラが言った。
「フューレ……だよね」
「ああ。俺が、フューレ・タクトだよ」
その一言が堰だったように。
パメラは手にしていたスープ入りの椀を投げ出して、フューレに向かって腕を伸ばした。
抱きしめられる。
「馬鹿! 生きていたなら、なんで教えてくれなかったのよ!」
頬に涙を伝わせながら、パメラは叫んだ。
フューレは理不尽な怒りを受け止める。ただ、まだ抱きしめ返すことはできない。
「私に会いたくなかった? 殺されるような目に遭わすような、女になんて、もう関わり合いたくなかったの!?」
「違うに決まってんだろ! 俺だって、ずっとパメラに会いたかった!」
「じゃあ、なんで、いままで何も言わなかったのよ……」
勢いが削げたパメラは黙って涙する。フューレの服に涙が塩辛く染みこんでいく。
言わなくてはいけないときが来たようだと、覚悟はできた。
「だって、お前はもう。パシフィカなんだろう。お姫様で、幸せになって。それなのに、会いにいこうと思えるほど、俺は図々しくないんだよ」
「パメラって、呼んでくれないの」
落ち着いた声で言って、見上げてくるパシフィカの瞳はいまだ潤んでいたが、涙はこぼれていなかった。
フューレは悩んだ。
だけれど、自分を見上げる瞳の青さに、名前という記号の差異などどうでもよくなってしまった。
フューレは手を伸ばす。パメラの頬に手を添える。
「パメラ」
「フューレ」
それだけで、かつての日々が色鮮やかに浮かんでくる。フューレの人生において、最も色の乗った時間だ。
失敗し、喧嘩し、だけれど寄り添い、笑いあった。
かつての幼馴染みとの時間も大切だが、パメラはすっかりフューレの心に居座ってしまったのだ。守りたいと願わせて、無茶をやらかした。
「ねえ、フューレ」
「なんだ」
「私、宿なんてないから、またフューレのところに行くからね。部屋、少しは広くなった?」
何を言われているのだろう。
フューレは心底、パメラがいま言ったことを理解できなかった。
「いや! お前、城っていう立派な住居があんだろ!?」
「勝手に抜け出たから知らないわよ! 私は、フューレが生きているって聞いて。会いたくて、ここまで来てあげたんだから。おもてなしくらいしなさいよ!」
「だから、お姫様が来るのに相応しい家なんかじゃねえんだよ」
「私はパメラだもん。捨て猫だもん」
いままでは泣いて縋るようだったが、今度はきゅっと力を込めて、離さないぞとばかりにパメラはフューレにしがみついてくる。
温もりが淡くて心地よくて、もしかするといま自分は夢を見ているだけなのかもしれない。それほど、優しくて焦がれていた熱がいま傍にあった。
手放したくなかった。
フューレは息を吐く。長く、ながく吐いた。
「……今日の仕事が終わるまで、まだかかるから。いい子にしてろよ」
「はーい。にしても、言い方がいやらしいわね」
「そういうこと言うな、ってそうだ」
大事なことを確かめ忘れていた。
「まだ、パメラって呼んでいいのか」
パメラはきょとんとした後に、満面の笑みを見せた。
「うん! 私は、パメラだよ!」
フューレは僅かながら口元を緩めると、パメラの頭に手をやって、がしがしと金の髪を乱していく。芯はあるが、柔らかな感触が手に心地よかった。
「もう! 何するの」
乱れた髪を手櫛で直しながら、そこまで怒っていない口調でパメラは言う。
フューレはただ、笑っていた。