それはかたちを持たないものであるだろうが、確かに鋼の中心に存在している。
刀剣男士たちにとっては自明の理だ。だから刀を手にして戦える。傷を負っても誇りを胸に立ち上がる。
しかし、それが「ある」ということが、当たり前のことだと頷けない剣が一振りあった。
どの刀にも空白を抱えていることを打ち明けるという発想は浮かばないまま、紅の菫が咲き誇る本丸へ、春風と共に白山吉光は訪れた。
紅菫の本丸の主は、新たな剣を収集できたことを大いに喜んだ。五十階下の大阪城に何度も刀剣男士を向かわせることができるようになったことによる収穫だ。
すでに、大侵寇の際に七星剣を迎え入れ、昨年の夏の連隊戦で丙子椒林剣を手に入れることはできていた。だが、珍しい刀剣と出会う運がないのか、白山吉光だけは中々見つけられなかった。その苦労がようやく報われた。
主は「これで粟田口の皆が揃って嬉しい」と上機嫌だ。
新しい刀剣男士を迎えた常として、宴の準備の指示に主は奔走する。燭台切光忠に厨の監督を任せ、日光一文字に進行を依頼するなど忙しなく動きながら、当の本人は時の政府に提出しなくてはならない報告書の処理へ向かうことになった。白山吉光に、声をかけることは忘れずに済ませた。
白山吉光は本丸の入口で立ったままでいた。次はどのように行動すればよいのかは、指示されていないために不明だ。
「さあ、行こう」
呼びかけたのは一期一振だった。粟田口吉光が鍛えた唯一の太刀であり、粟田口の刀の面々に慕われる心優しき兄だった。
「どこに行くのですか」
「まずは、私たち粟田口一派の部屋へ。それから、内番の衣装に着替えよう」
手間に思うことなく、一期は丁寧に踏むべき手順を説明してくれた。白山も納得し、一期の後をついていくことにする。
「いち兄。隊長として大将に報告することをまとめる必要があるんだろ。白山の面倒は俺っちが見といてやるぜ」
「ありがとう、薬研。それでは頼むよ」
途中で、白衣に眼鏡姿の短刀が現れて一期に声をかけた。次はこちらの短刀についていくべきだと白山は判断する。
薬研は手袋をしている右手を差しだした。
「ようやく来たな。俺っちは薬研籐四郎。粟田口の刀で、かつての主は織田信長。よろしく頼むぜ」
「はい。わたくしは白山吉光と申します。よろしくお願いいたします」
白山が手を横に下げたままでいると、薬研は奇妙な表情を浮かべた。だが、すぐに浮かべる表情を穏やかな笑みに変えると、手を引いて先を進んでいった。隣に並ぶことなく、白山は歩いていく。たまに出会う新たな刀剣男士には、薬研が手短に紹介を済ませてくれた。
四部屋に分けられた粟田口の部屋に着き、白山は一期と鳴狐、鬼丸国綱と同室になることが一旦決まった。正式な部屋割りは、次の粟田口会議で決まるらしい。白山は「粟田口会議」について尋ねなかった。
薬研は粟田口の部屋に置かれていた白山の内番の服を手渡し、着替えを手伝う。他の粟田口の面々と似ているが異なる衣装に、薬研は興味深そうに頷いた。
「歓迎の宴まではまだ間があるから、ちと休もう。それで、白山。本丸はどうだい?」
「大変刺激に溢れています。だからこそ、わたくしはこちらに来るべきではなかったという気もしております」
「それは、どういう」
「時の政府です」
紅の菫の本丸は和やかで、平和だ。刀剣男士の実力不足は全体的に否めないが、連帯感は強くあり、協力しながら日々を穏やかに過ごしていることが伝わってくる。
だからこそ、自分が来たことにより、平穏を乱す可能性がある。
白山吉光もまた、時の政府の目なのだから。
続く言葉はないままに沈黙していると、薬研は息を吐いた。
「やっこさんが、なにかを考えてるとしても。それはいつものことだな」
「そうなのでしょうか」
「ああ。だけどな、俺たちが仕えているのは大将であって、時の政府とかじゃない。守るべきもの、戦うべきものを見誤らない方がいいぜ」
瞳は真剣に、口調は柔和に、薬研は白山を諭す。
心からの気遣いが感じられて、白山は目を伏せた。
「薬研はこの本丸が大切なのですね」
「ああ。俺っちにとって、守るべき。帰るべき場所だからな」
大切な場所であるというのに、裏切りの可能性がある白山を否定しない。拒絶しない。粟田口という同属の意識なのか、それとも、薬研という刀の懐が広いのかは、白山にはまだ判断が付かなかった。
白山も計算の処理能力は高い。しかし、計算の図式を考えることは苦手だ。与えられた問いは解くことができても、自身で問いを立てることはできない。不器用だからなのかもしれない。
しばらくして、薬研が桃色の髪の刀剣男士に呼ばれて席を外した。白山は正座をして、時が過ぎるのを待つ。
かちこちと古風な時計の音が響く中、不意に呼ばれた気配がした。顔を上げる。
障子の向こうには見覚えのある刀剣男士がいた。蒼い狩衣をまとい、うすらとした微笑で白山を見下ろしている。
「お主が、新しい粟田口の剣か」
「はい」
「そうかそうか」
言葉に合わせてにこにこと笑っている。相手に好ましい印象を与えると同時に、底知れない不安も味わせる、そういった類の笑顔だった。
白山が特に口を開くこともなく、佳人を見上げていると、言われた。
「時の政府とやらが、気になるか」
沈黙は続く。白山には返すべき答えなどなかった。
相手もそのことを察しているのか、返答を強要することはない。うん、と頷く。
「安心しろ。少なくとも、この本丸には俺がいる。お主が何かしでかしても、悪いのは俺になるさ」
「それは安心の要素にはなりえません」
悪いことが起きるのであるならば、仕掛けた存在がどの刀であれ、結果が変わることはないでしょう。
白山の真面目な返しに、佳人は再び声を上げて笑う。
「精々、刀世を楽しむがいい」
短く意味の込めたことを言い残して佳人は去っていった。
白山は自分も狐を供にしているが、化かされたのだろうかとつい疑ってしまう。しかし、供の狐が頬をぺろりと舐めたために連続した現実だと確認できた。
励起されて早々に様々なことが起きている。刀剣男士というものは退屈とは無縁である予感を、白山は抱きながらまだ正座を続けていた。
53.こころ
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