31.染まる

 主を失い、残された刀剣男士も政府の手によって回収された。
 残ったのは黒い羽根が地面に伏すだけという、漆羽の本丸だ。
 その本丸を住処とする、風変わりな刀であったものがいた。流れる白い髪に、黒く染まった瞳を持つ。瞳孔だけがいまだ赤い。大きく開く口の中には鋭い八重歯があり、はだけた白い着物と鈍色の袴、そうして揺れる九本の尾を持つという。
かつてその名を小狐丸と呼ばれていた。
 小狐丸以外にも、もう一振り、異色の刀がある。
 天下五剣の中で最も美しいとうたわれた、いまは墨染めの髪も銀雪に染まり、月の宿した瞳はうっすらと夜の名残があるだけの、三日月宗近だ。身につけている着物も真白に変わっている。
 廃墟と化した本丸で、その二振りは寄り添い、穏やかに暮らしていた。
 いまも三日月は自室の四角い鏡を覗いている。その様子を、少し離れた場所から小狐丸は横たわって眺めていた。
 かつては深い夜を鮮やかにまとっていたのだが、捨てられて夜を失った。透明になり、砕ける前の三日月をすくい上げて、自身の色に染め上げたのは小狐丸だ。
「飽きぬのか」
「飽きないなあ」
 のんびりと答えられる。小狐丸の口角が上がった。
 起き上がり、小狐丸は三日月を後ろから抱え込む。そうすると鏡に収まりきらない、白い髪が絡み合った。三日月はくすぐったそうに微笑むのだが、決して離れようとはしない。小狐丸の骨張ったたくましい手に自身の指を絡めた。
 くすくすと、囁くように響く笑声はどこからともなく消えていく。三日月が小狐丸に身を寄せれば、小狐丸は三日月の顎を持ち上げて、唇を重ねた。軽く触れた後に、むしゃぶりつく。薄い皮を破かないように、唾液を塗りつけながら口に落とせば、三日月は従順に喉を鳴らした。他の排出した液体など、忌まわしいだろうが、三日月は小狐丸のものならば受け入れる。小狐丸だって同じだ。
 源流は同じだ。ただ、刀として分かたれたために、愛し合うことができるようになっただけで、本来は同じ存在だ。
 二振りだけであるために、篭手を付けていない三日月の白い手に小狐丸は唇を寄せる。そのまま舐めれば、また笑われる。
「くすぐったい」
「白いお主が、あまりにも美味そうだからな」
 黒目を細めて言い放てば、三日月は向かい合う姿勢を取った。
「閨には早いのではないか?」
「ここの主は、私じゃからな。夫の言うことには従ってもらわなければ」
「どうかなあ」
 のらりくらりとかわしながらも、小狐丸は知っている。三日月は結局、その身を委ねてくれるということを。ただ、いまは遊んでいるだけだ。
 その余裕を取り戻せたことが、小狐丸には嬉しい。こちらに引きずり込んだばかりの三日月は落ち込んで、食事も喉を通らない有様だったためだ。適当に蓄えている食材を、どれほど柔らかくして、強引に食べさせていたかの苦労話はあまりしたくないので、伏せる。
 三日月宗近は傷ついていた。普段はそれを欠片も表に出さないというのに、漆羽の本丸に来た頃の三日月はただただぼんやりするだけだった。
 それが、いまは小狐丸を翻弄してくれる。だから、小狐丸はいくらでも道化になった。滑稽な舞で三日月を笑わせる。
 しばらく、睦み合っていた二振りだったが、ふと異質の気配を感じた。
 漆羽の本丸には、たまに迷える審神者や刀剣男士が迷い込む。いつまでもいられては迷惑なため、小狐丸は適当に話を聞いているのだが、それだけですっきりとした顔になっては立ち去っていく。
「行くぞ」
 三日月に声をかけて、小狐丸は広間へと向かっていく。
 大抵、迷い込んだらそこにいるのだ。

 広間に着くと、呆然としている男がいた。顔に白い面をつけているのだから、おそらく審神者だろう。
 三日月との二振りだけの愛巣に知らぬ男の匂いが紛れこむだけでも、苛立たしい。早期に追い出すために、小狐丸は三日月を抱きかかえながら、広間の奥に鎮座した。三日月は小狐丸の左膝の上にちょこんと収まっている。
 小狐丸は言い放つ。
「それで、何があったんじゃ」
「あなたは、小狐丸?」
「呼び捨てにするな」
 冷えた声で三日月に言われて、男は哀れなくらい震えた。同情する気持ちは二振りにはなかった。
 もう、審神者という存在に慕情を抱く優雅さなど捨てている。主でもない審神者は小狐丸にとっても、三日月にとっても、ただの人間でしかない。
 審神者は戸惑いながらも、自身の悩みを告白した。
「刀を、折ってしまったのです」
 それが申し訳なくて、本丸にいることができなくなった。いや、実際は苦痛と悲哀をこらえて自身の本丸にいたはずなのだが、気がついたらここにいた。
 一度でも本丸を離れると帰ることが怖い。他の刀剣男士から向けられる、憐れみと蔑みを思い出すだけでも身がねじれる。
 審神者はそう訴えた。
 小狐丸にも三日月にも、心底どうでもいいことだった。刀を折ったのは紛れもなく審神者の責任だ。
「お主が真に、本丸を束ねる主であるというのならば。その痛みを永劫背負って、償い続けるしかなかろう。折れた刀は戻ることはないのじゃからな」
「わかっています」
「ならよかろう」
 そうして、あとは放置する。
 小狐丸の九本ある尻尾に三日月が手を伸ばした。くすぐったいと遮れば、駄目かと上目遣いで頼まれる。それを否定できるほど、小狐丸は厳しくない。三日月は小狐丸の尻尾に触れて、小狐丸はその三日月の頬を撫でていた。
 審神者はしばらく、打ちひしがれていたが、すごすごと立ち去っていった。
 二振りだけになる。
「小狐丸」
 呼びかけられた三日月の声を聞いて、小狐丸は苦笑する。
 こうなることはわかっていた。容赦はないが優しい刀であるために、三日月はあの審神者ですら放っておかない。助けになるというのなら、自身の手を差し出す。結果として、その手を悪意という刃物で引き裂かれようとも、何度でも弱者に手を差し伸べる。
「三日月は甘いのじゃから」
「お主のおかげで、そうなれたんだ」
 言って、三日月は小狐丸から離れた。床に下りて、ゆっくりと審神者の後を追っていく。
 小狐丸は壁によりかかって、目を閉じた。三日月が何を言うのかは、大体は予想が付く。それにあの審神者は救われるのだろう。
 しかし、三日月に救われることはできても、締め付けの強い糸からあの三日月を救うことができるのは、この小狐丸だけだ。
 だから、許せた。
 そうではなかったら、三日月には刀一本、人一人すら近づけないだろう。
 いまは髪の下には隠れていない耳を澄ます。
 三日月の声がする。言われた、審神者は息を吞む。
 小狐丸はゆっくり笑んだ。
 三日月の意地の悪い、だが的確な言葉にあの男も目を覚ますだろう。
『刀を折ることは罪だ。刀を解くことも罪だ。その罪の重さから逃げるのならば、我らはいずれ力を貸すなどしなくなるだろう』
 そうだ。
 刀剣男士は主たちに「好き好んで手を貸している」に過ぎない。修行をして、極に至り、主に心酔する刀もいるが、もとは人の手に渡って流れていくだけの物でしかないのだ。刀剣男士は愛される対象であり、彼らからの愛を永遠などと受け取るのは傲慢に過ぎない。
 審神者の答えを聞く気は無く、小狐丸は三日月がてぽてぽと戻ってくるのを待っていた。
 慣れた足音を聞かせて、三日月は小狐丸のところへ還ってくる。小狐丸は両腕を広げて迎え入れた。
 三日月は小狐丸の腕の中に収まる。顔を隠そうとするので、見せてくれと頼んだ。
 うつむいた顔が見える。
「折れる、か」
「ああ。折られる側にしてみれば理不尽であり、遺されたものの苦痛は、なおさらだ」
「じゃが、折る側も辛いことは知っている」
 三日月が顔を上げた。
 真白い髪に、肌に、小狐丸が染め上げた。それでもなお、唯一色彩のある瞳。その瞳に見上げられる瞬間の幸福は、自身だけが享受できるものだ。
 愛しい番の頬に手を添えながら、小狐丸は断言する。
「痛みを知っているお主を、私は守る。この場所で、たとえ全ての安寧を引き換えにしてでも、な」
「嬉しいなあ」
 へにゃりと笑う三日月の、その笑顔のためならば、小狐丸は何にだって犠牲にできる。



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