23.傷口

 山姥切国広が走る。
 黄藤が風に揺らされる情緒など全く気にもしないで走るために、通りがかった浦島虎徹は呆然とし、蜻蛉切は注意しようとするのだが、その前に山姥切は角を曲がっていなくなった。
 一目散に駆ける内番姿の山姥切を止めたのは、兄弟分である山伏国広だ。
「どうした、兄弟。冷静さが保てていないぞ」
「長義が傷を負ったと聞いた」
 簡潔に答える。これで用は済んだかとばかりに山姥切は足踏みを繰り返していた。山伏もこれ以上引き留めることは酷であることを察したので力強く頷いた。代わりに「廊下は走ってはならないぞ」と短刀にもしない注意をする。注意をされた山姥切は自身がそれほど急いていたことにようやく気付いた。反省する。
 山伏に頭を軽く下げて、歩いて手入れ部屋へと向かう。走ろうとはしない。しかし、早足なのは変わらなかった。音も立てないため、途中で小竜景光にぶつかりそうになった。
 紆余曲折はあったが、山姥切国広は手入れ部屋にたどり着く。
「長義!」
 勢いよく、扉を押して山姥切は手入れ部屋に飛び込む。
 そこには誰もいなかった。山姥切は静かに扉を閉じた。向きを変えて考え込む。
 長義は手入れ部屋に行ったのではなかったか。
「何してるのさ」
 始まりの一振り仲間である極の出陣衣装をした加州清光に声をかけられる。
「長義が、手入れ部屋にいないんだ」
「そりゃそうでしょ。いま、手入れは一瞬で終わるんだから。資材はかかるけどね」
 なるほど全くその通り。
 山姥切は頭に被せている布で羞恥により赤い頬を隠した。加州はというと山姥切の照れ隠しを面白がって、笑っている。布の下からじろりと睨んでも態度は変わらない。修行をした刀はこれほどまでにたくましくなるのだろうか。
 それでも、未だ山姥切国広は修行をこなしていない。修行に旅立てる練度には十分たどり着いていても、心が追いつかない。
 長義。
 心の中で呟いてしまう。劣等感の塊であった自分を解放する端緒となるのが、彼の存在だ。どうしても意識せざるを得ない。また、いつでも旅立てるのならば彼を置いて修行に向かいたくはなかった。例えば、小狐丸が三日月宗近の成長を待っているように、山姥切も限りなく間隔を空けずに長義の後か、先をいきたかった。
 それに、極になった俺よりもいまの俺の方が長義の極を感慨深く受け止められそうだし。などという、期待もあった。
 山姥切が一人でそこまで考えている間に加州はいなくなっていた。まあいいかと歩き出そうとする。
「偽物くん」
 声の先に視線を向ける。そこには傷一つない、内番姿の山姥切長義がいた。
「無事だったのか」
「無事だったんだけど、お前はどうして安心と絶望が入り交じった表情をしているのかな」
「気にするな。どこを、怪我していたんだ」
 さらりと話を流して問いかけると、山姥切が長義の話はわりときかないことを知っているのか、素直に答えてくれた。
 その前にため息を一つだけ吐くことは忘れなかった。
「左の腕だよ。ここ」
 そうして、長義は普段から裾をまくっているために見せている肘の近くの、細くしかし美しい曲線を指さす。そこには綺麗な皮膚だけが残っている。
 山姥切は安心した。
 そして、つい長義の腕を取ると、怪我をしたらしき場所を舐める。
 ぺろりと。
 長義はぞわりと肌を粟立てて、そのまま山姥切をこぶしで殴る。見た目と違ってぽかりと軽い音がした。
「何をするんだ!」
「いや、つい」
 山姥切は殴られた場所を撫でながら、長義に流れていた赤に思いを馳せる。普段、山姥切と長義は同じ部隊になることがないために、長義の戦う姿は手合わせでしか見られない。それは肩を落とさせるのに十分な措置だ。
 あの白い肌にぱっくりと開かれた傷口から赤い血が流れる様子は痛々しく、同時に、とても美しいだろう。
「というわけで舐めてしまった」
「犬か!」
 今日も長義の突っ込みは山姥切国広に対してのみ調子よく発揮されていた。離れて見ていた加州が「喧嘩するほど、ってやつかな」と呟くくらいには。


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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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