16.夕焼け

 金木犀が盛りを過ぎてなお可憐に咲いている本丸であるために、その本丸は金木犀の本丸と呼ばれていた。
 物語られるその日は戦力拡充計画という政府が催す修行の場に駆り出される日々を過ごす中での一日になる。計画は終わりの時期に近づいて、目標である八十回の回し車も終えたところだ。
 第一軍として超難の場を巡っている小狐丸と三日月宗近が他の仲間たちと共に本丸に帰参すると、もう日は暮れかかっていた。
 空は赤い。地平線の端は燃え盛った後の残照を残して、上澄みは暗闇を漂わせる蒼黒に染まっている。
 三日月は隣に視線を転じた。その空よりも小狐丸の目は黒く赤く彩られていた。最後の最後で振るうことになった真剣必殺により、手も脚も密集した毛が埋め尽くしている。
 痛みを抱えていながらも平然としている小狐丸を三日月はじっと見つめた。
 その視線に気づいた小狐丸はわざわざ身をかがめて視線を合わせてくれる。そういった気遣いはどこで覚えたのだろう。自分以外にもしているのならば相当にたらしだ。
「どうしました?」
 何も言ってやらない。ただ、見つめるだけだ。静かに凪いだ瞳で、じっと獣に近しい姿の番を責めるのでもなく困惑するのでもなく、見る。
 周囲の帰還して迎える声も、迎えられる声も気にならない。
 三日月の内心で反響するのは小狐丸が変化するたびに抱く疑問だ。
 このまま小狐丸は強くなるごとに変わっていくのだろうか。人の姿から離れて、本来の神たる稲荷明神の化身に近づき、戻っていく。
 そうなっても、小狐丸は小狐丸でいてくれるのだろうか。
「お主はたとえ夕焼けが世界を染め終えても、俺のところには来てくれないのだろうな」
 諦めが胸に押し寄せてくる。
 小狐丸は首を傾げて、三日月の唐突な心情の吐露に耳を傾けていた。いまは三角の獣の耳がぴこぴこと動く様は愛らしい。それが、儚い。
 黄昏時には消えてしまう。そうして朝にこの刀はいる。狭間の夜には存在しない。
 その事実が無性に寂しくて、普段の三日月ならば滅多にしない、刀前だというのに小狐丸に寄りかかって体重を預ける。いきなりの重みであっても、受け止める側はきょとんとしながら支えてくれた。
「消えるなよ」
 自己完結の言葉の意味は伝わらないだろうが、それでも良かった。内心の切なさがはっきりと伝わったらそれこそ恥ずかしくて相手の首を絞めてしまう。
「三日月殿」
 声は、わからないという。
 三日月が何を言っているのかわからないという。
 それでもわからない中であってさえ、わかっていると伝えてくれていた。
「貴方の言葉は私の台詞でもあるのですよ」
 小狐丸の穏やかな心臓の音が聞こえる、静寂の中に響く音はそれだけだ。続く言葉はなく三日月も何も言わない。
「お二人とも。どうかしましたか?」
 現実に引き戻すのは同じ部隊である堀川国広の声だ。本丸の入り口で立っているため何事だろうと気に掛けられた。
 小狐丸も三日月も互いを見ない。
「どうもしませんよ」
「ああ。どうもしないさ」
 それだけを返して並びながら本丸へと足を向ける。
 もう、どうしようもならないのだ。
 それでも傍にいたかった。



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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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