三条の一番小さなお兄様

 翠の蓮が清浄な池にたゆたう本丸であるために、その本丸は翠蓮本丸と呼ばれていた。
 いまは冬の連隊戦の最中で朝も夜もなく短刀たちが戦いに駆り出される。であるため、特に短刀が多い粟田口は大変だ。一期一振は乱藤四郎にねだられて髪を梳かしながら励ましの言葉を口にして、鳴狐は秋田藤四郎や包丁藤四郎に休憩用の菓子を手渡す。鬼丸国綱も言葉少なに後藤藤四郎や信濃藤四郎の頭を撫でて去っていく。
「だ、そうですよ」
 粟田口の様子を見てきた今剣は大きな弟たちに向かって、弟たちを支える粟田口の献身について滔々と話した。
「それは、一期も大変だなあ」
 最初にのんびりと返したのは新聞を読んでいる小狐丸の背中にへばりついている初の姿の三日月宗近だった。今剣の眉間のしわが増える。
「まあ、あそこは皆が助け合う一派だからね」
 内番姿の石切丸が三日月に続いて穏やかに言う。今剣のしわがもう一つ増えた。
「三条で唯一の短刀である、今剣は大変だな。俺たちは夜戦が不得意であるため戦場には出られんがお前は頭数に入っている」
 同じく内番姿の岩融がしみじみとした様子で頷く。今剣は感情が限界に達したのか、一本の指をくつろいでいる三条の面々にびしりと向けた。
「そこですよ! おまえたちは、ぼくだけさむいなかたたかっているのに、いたわりのひとつもなしですか」
「それは……申し訳ありませんでした」
「みかづきのあごをなでながらいってもせっとくりょくがありません。こぎつねまる」
 落ち込む初の出陣姿の小狐丸に返す今剣の声は鞭のようだ。
 今剣を除く三条の面々としては、確かに素っ気なさすぎたという反省が生まれる。三日月は小狐丸に構われるのに忙しかったにしろ、小狐丸は三日月を甘やかすのに忙しかったにしろ、石切丸は年末年始の加持祈祷に忙しかったにしろ、唯一、岩融だけが今剣を気にかけていた。
 今剣は体は小さいが心の容量はたくさんある。そのため、また慣れによって今回の連隊戦も今剣に任せておけば大丈夫だろうと呑気に構えていた三条の面々だが、肝心の今剣は粟田口が互いに労りあう姿を見ていて羨ましくなったようだ。それは当然の心理といえる。
 寒風吹き荒ぶ夜の中で行軍している最中、仲間たちは同派からもらった菓子を片手に話しながら励まし合っているというのに今剣の手には何もない。戻ってきても三条の面々が駆け寄ってくることもない。岩融は毎回出迎えてくれるが石切丸はたまにであり、小狐丸は三日月にじゃれつかれて忙しく三日月は待たれることは慣れていても待つなどという甲斐甲斐しさは小狐丸にしか見せようとしない。
 そのため、今剣の怒りの矛先は主に小狐丸と三日月に向かっていた。
 相手の感情に聡い小狐丸は己の失態を悟っているが、三日月はまだのんびりとしている。「兄様、ご立派だ」と今剣の頭を撫でようとして避けられた。
「いまのつるぎー。出陣だぜ」
 連隊戦の隊員の一振りである太鼓鐘貞宗が、派手できらきらしい出陣衣装と共に三条の部屋にやってきた。今剣は立ち上がって戦場に赴くことになる。
 もう何も言わない。じっとりとした目線を向けて今剣は部屋を出ていき、戦場に向かった。
 残された三条の刀たちは息を吐く。
 自分たちはなんだかんだであの小さな長兄に頼りきっていた。今剣だって甘やかされたい時はあるだろうに。
「今剣さんのために何ができるだろうね」
「ここまで来ましたら、出迎えるだけでは許してもらえないでしょうしね」
 後悔の溜め息を落としあう石切丸と小狐丸の耳に呑気に笑い声が届いた。視線を向けると口に袂を添えて三日月が呑気ににこにこにしている。状況がわかっているのかと小狐丸が腕の中にいる三日月をもなもなにして髪を乱していると、三日月はまだ笑う。
「なに。してしまったことは仕方がない。できるのは誠心誠意尽くすことだけさ」
「とはいっても三日月はされる側だろう?」
「当然だ。だからこそ、どう甘やかされるのかは嬉しいかがわかっている」
 思いがけないところから垂らされた救いの糸に石切丸も岩融も、小狐丸もつい手に取ってしまった。
 三日月は小さな口を開いて語る。

 今日の戦場を終えて、頬を赤くしながら今剣は本丸に帰参する。
 あの甘ったれで不器用で自分勝手で協調性があるのかないのかわからない弟たちに無理を言ったかもしれないという呆れはあるにはあった。三条を打った父の気性を受け継いだのか、それとも地に足がついていない刀剣が多いのか。特に、小狐丸が一番どこか浮世離れしている。小狐丸は誰にでも優しいのだがそれはとても上から目線の気配りであって他の刀に心を砕くなどといったことができる刀ではない。だからあの三日月すらも小狐丸に一方的に甘えているように見えるが結構な気を遣っている。嫌われないように。諦められないように。小狐丸が現世から離れないように必死に引き留めている。
 石切丸も刀は現存しているが育ちが曖昧で悟るまで苦労しているだろうし、岩融と自分はいるのにいないのに、ここにいるという厄介な自己を保ち続けなくては成らない。自由で優雅な三条もなかなか大変だ。
 だけれど。
 今剣は本丸の入り口を見渡す。今日の戦場で共に戦った、太鼓鐘貞宗、乱藤四郎、薬研藤四郎、謙信景光、小夜左文字、など各刀派の打刀や太刀が出てくる。手に布を持つなどしてくるみ、本丸の中へと連れていく。
 今剣は別にそういった、年下に対する甘やかしをされたいわけではなかった。自分で着替えて湯に入り、食事を摂ることもできる。
 それでもたまには「おかえり」と出迎えて欲しかった。
 曖昧だから。自分は、義経公の刀だけれど同時に違っている。主のために戦うのは大切だが、それだけでは支柱が少ない。
 極になった今剣を保つのは三条であり、主の刀であるという誇りだった。
 白い息を吐いて、ぼんやり立ち尽くす。中に入る気はなかった。怒った弟たちに顔を合わせるのがなんとなくだができなかった。
「今剣」
 呼ばれた。聞き覚えのある声に顔を上げる。視線の先には岩融がいた。寒いだろうに内番の格好のまま笑顔で手を振っている。
 普段なら飛び込めたかもしれないが、いまはそうすることは気が引けて、てぽてぽと近寄るだけになる。
 その次の瞬間だ。
 岩融の後ろに暗い花が咲いた。
 最初は驚き、身を引くのだが、花が弟たちとわかると急に力が抜けてくる。岩融と同じく緑の内番衣装の石切丸と、青い初の姿に身を包んでいる三日月と、ただ一振り次の進軍に向かうために白い極の衣装で飾っている小狐丸といった面々が今剣を迎えていた。
 その顔には揃って微笑みが浮かんでいる。手には何かを持っている。
「今剣さん、いつもご苦労様」
 言って、石切丸は暖かな布で今剣を包んでくれた。手触りが良いが軽い布は冷えた体を寒さから守ってくれる。
「俺はまだまだ戦えないのだが。兄様が守ってくれるから毎日楽しくやっているのだぞ」
 三日月が差し出したのは湯呑みだった。手に取ると少しばかり温くなっている。それは気遣いのなさというよりも待っていた時間を教えてくれて、口に含むと甘さが広がった。抹茶に甘いものを足したようだ。ならば作ったのは三日月ではないだろう。そういった器用さは三日月には皆無なのだから。
「今剣の兄上。至らぬ弟で申し訳ありません。ですが、三日月と同じく感謝しています」
 最後に小狐丸が差し出したのは白い包みに覆われた菓子だった。溶けやすく、甘い、すぐにでも食べないとなくなってしまうもの。
 それは弟たちの感謝と同じ存在だった。
 今剣は黙り込む。まさか、あの三日月の世話を焼くことばかりに熱心な小狐丸が、小狐丸の気を惹くことばかりに懸命な三日月が、穏やかに見守るだけの石切丸が、そしていつも自分の傍にいてくれる岩融がこんな気遣いを見せてくれるなんて。
「ぼくをたばかるつもりですか」
 口から出るのは可愛げのない言葉だ。それに、弟たちはわかっていたと言わんばかりに笑ってくれる。
「そんなことはありませんよ」
「連隊戦、お疲れさま」
「私も兄上に負けないようにつとめますから」
 口々に返ってくる言葉に、ようやく、ようやく笑うことができた。
 小狐丸から渡された包みを開けて薄茶の塊を口の中に放り込む。ほろほろと甘く溶けていった。
 胸にわだかまっていた苦い感情と共に。
「もう、おまえたちはほんとうにしかたないですね!」
 目に見えて安堵の表情を浮かべる弟たちを見ながら、今剣はまだまだ自分もしっかりしないとだめだなあと考えていた。
 弟たちはこんなに背丈が大きくなったというのに、まだ自分を怖がっているのだから。


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