会うのは、二回目になる。
八島知美は前回でのやり取りを思い出し、少々緊張しながら駅の改札を出たところにあるビルの前で、石長姫子を待っていた。スマートフォンを取り出して交換したNeinを見るともう少しで到着するという連絡が届いていた。
一瞬悩んだ後に犬のスタンプで「わかった!」と返す。リュックにしまいながら今日はどういう一日になるだろうかと考えてしまう。
知美は名前の読み方も知らなければ女性に聞こえてしまい、外見もボブカットに加えて長い丈の青鈍色のズボンスカートから、性別を混乱させてしまうことも多い。だが、れきっとした男だ。いまの自分を気に入ってもいる。
「まあ、顔面国宝級の神作画らしいしね」
いま待ち合わせしている少女の発言を思い出すと笑ってしまう。顔が整っている自覚はあるが、面と向かって言われたのは初めてだ。
石長姫子。
少々、そう、少々。自分とは違った意味で変わった外見の少女だ。甘いフリルとピンクで彩られたロリータ服だけならそういう趣味もあるだろうで済むが、残酷な事実として彼女は異形だった。知美から見れば、過去の面影を切り取ったように懐かしい造作なのだが、姫子は違うと叫ぶ。
『私は醜女なのだ』と。
確かに自分も最初の頃は普通ではない姿に驚いた。だけれど、あのイベントの時に一緒に過ごしただけで、姫子が夢見がちな愛らしい少女だと知った。
とんだどたばた騒動もあったけれど、それもうやむやになるくらいに楽しい時間を、家族を喪ってから初めて過ごせた。
早く会いたかった。
目を閉じる。長い前髪の下にある怯えきった瞳が浮かぶ。
本来の君の輝きはそんなものではないよ、と伝えたかった。
「あの、ともみん?」
目を開けると、眼下に今日は黄色いショートケーキを身にまとった姫子がいた。
「おはよう。Chiruru」
「おはよう。待たせちゃった?」
心配そうな顔で見上げてくるので首を横に振った。待ち合わせの時刻にはぴったりだ。
ほっとした顔を浮かべられ、そういったさりげない仕草が可愛らしいのに、と胸に切なさを覚える。姫子が浮かべる表情はいつだって天真爛漫だ。
「じゃあ、行くぞ! 限定グッズが売り切れてしまうのじゃ」
「はいはい」
今日は二人揃って追いかけているグループの新作グッズが数量限定で発売される。そのために整列するチケットも購入しているので、あとは並ぶだけだ。
歩く。
知美は普通に、姫子は小走りで。
緩める。
姫子の速度に合わせて、知美は歩幅を縮めて速度を落とした。そのことに気付いたのか、姫子は言う。
「ともみん、本当に背も高いし顔面も神作画で。いいなー」
「そうでもないよ」
「持つものだからそう言えるのじゃ!」
黒狐の宿というアプリと同じ、老嬢の口調で腕を振り回される。それをあやしながら、姫子の手が周囲にぶつからないように押さえた。
触れ合った熱に頬が赤くなる。それにくすりと微かな笑みを見せれば、大いにむくれられた。
もうすぐ、ショップに着く。
無事に知美も姫子も欲しかった商品を買い終えて、両手に荷物を提げながら歩く。
昼食も近くのイタリアンレストランで済ませたから、あとは遊ぶだけだ。
「どうする? 行きたいところはある?」
「んー。水族館とかはどうかの?」
近くの高層ビルの中に、確かに水族館はあった。荷物をロッカーに預けて、ゆっくり見て回るのは遊びに来た展開として適当な答えだろう。
だけれど知美は視線を逸らし、高いビルの群れと青い空を見ながら言い淀んでしまった。
「ごめん。水族館は苦手で」
その後に続くであろう、「なんで?」という純粋な質問に答えられるだろうか。
知美は悩む。
いままでも聞かれてきたが、はっきりとは言えたことはなかった。だけど、姫子にごまかしも告げたくない。
「そうなの。じゃあ、どこにしようか」
あっさりと。
札幌ラーメンの塩味かと思うほどに、姫子は追求しなかった。
「他にはどこがいいかなあ。猫カフェとか? それともショッピング……はお小遣いが足りないし」
癖なのか、頭の横に指を当てて悩む姫子に知美は呟いてしまう。
そんな反応なんて予想していなかった。
誰もが「やっしーに苦手なものがあるなんて意外!」などと言いながら傷をやさしさでさすってきたのに、姫子は少しも気にしていない。
「気に、ならないの?」
小さく溢れた声で尋ねたら、姫子は不思議そうに首を傾げる。その仕草は愛らしい少女のするもので、姫子の行動はいつだって小さな動物のように細々と愛らしかった。
「だって、嫌なものは嫌じゃろ? 嫌いになる理由がわかったって、好きになれるわけないんじゃから。……それは、わしもよく知っているんじゃぞ」
終わりがけの小さな声に、姫子の痛みを感じた。
石を投げられてきたという。はずればかりの人生だったという。
これほどにも優しく、愛らしい少女だというのに、姫子の周囲の人間は簡単に傷つけられる生贄として姫子を選んだ。
「さ、いこう」
手を差し出して、微笑する姫子の無垢な笑顔に、知美は降参せざるをえなかった。
これほどまでに愛しい存在にもう一度出会えるなんて、考えたこともなかった。自分は大切な存在を失った傷を抱えながら当たり障りなく、科学の道に生きると信じていたのに。
「Chiruru」
「え、きゃ!」
普段の冗談めかした老人の口調ではなく、知美の腕の中で姫子は少女に舞い戻った。
顔を近付ける。普段は長い前髪に隠された、小さく真っ直ぐな瞳が見える。以前、取り出して見せた光の石すらもかすむ輝き。彼女の中心には眩い光が宿っている。
自分だけ知っているのはもったいないのに、誰にも教えたくない。矛盾が知美を支配する。
「私は君の好きなものを知りたいよ」
両頬を押さえながらささやくように言ってみせれば、姫子の顔が沸騰したように一気に赤くなっていく。
「ね、Chiruru。君の好きなものを私に教えて。きっと、私もそれを好きになれるから」
「ち、近い! ともみん、近いよ!」
「いいじゃない。私はもっと、Chiruruの心に近づきたいんだよ」
だから、と微笑んで首を傾げる。この笑顔に逆らえる人がいたことはこれまでにない。それほど、顔面国宝級の神作画を濫用した。
姫子はぱくぱくと小さな口を動かして、そのまま知美に倒れ込んできた。軽やかな重みを受け止める。いまにも湯気を出してしまいそうな、それほどぐでぐでになってしまっている姫子が愛おしい。
ああ、私もまだ人を愛することができた。