秋の盛りにあるために金木犀の薫りが本丸のいたるところへ満ちていく。そうではなくとも一年中金木犀が咲いている本丸ではあるが、秋は我が主役とばかりに色づいている。
星の数ほどある本丸の中でも、一際金木犀が優美である本丸であるために、この本丸は金木犀の本丸と呼ばれている。一応は熟練の域に達している。
金木犀の本丸にも当然ながら三日月宗近はいる。だが、当の刀は憂いを滲ませていた。
用事が終わった主の部屋から立ち去るまではよいのだが、足の行く先は定まっていない。捜している刀があるのだと窺える。
刀剣男士も百を超えて拡張されていったために、本丸は広大な様子となっている。初めて訪れた刀は迷路と錯覚するほど入り組んだ本丸で、たった一振りの刀を見付けるのはさぞかし困難であろう。
初の出陣姿の三日月も厨や食堂を除いては、当然いないと溜息を吐いている。畑にもいなかった。
さて、次にどこを捜すかと三日月が思案していると、後ろから声をかけられる。
「三日月殿!」
弾んだ低音に対して三日月の表情は浮いたものではない。正面から陰鬱を目の当たりにした小狐丸はびくりと体を震わせた。
金木犀の本丸の小狐丸と三日月宗近は番である。惹かれ合い、思いを通じ合わせている。三日月の態度が恥ずかしさによりつれないこともままあるけれども、小狐丸は満足している。素直ではない三日月も可愛いためだ。
極に至ったが、三日月と同じく「楽だから」という理由で初の出陣衣装のままでいる小狐丸は三日月の顔をのぞき込む。さっと避けられる。
「三日月殿? どうかしましたか。消費期限の切れたおまんじゅうでも食べてしまわれましたか」
「お主は俺を何だと思っている。ではなくてな」
三日月はこほんと一つ咳をした。言いづらいことをこれから話すのだと、雰囲気が語っている。小狐丸も当然身を硬くする。
「明後日だが、出陣が決まった。だから、一緒に団子を作ることができなくなってな」
些細な約束と言われたらそれまでだ。しかし、三日月は以前からの約束を破ることを気にしていた。団子を作る約束は三日月から持ちかけたのだからなおさらだ。
申し訳なさもあってしょんもりとしている三日月に、小狐丸はきょとんとしたあと爽やかな笑顔を向けた。
「出陣は名誉なことではないですか。この本丸も戦力が増えて中々機会を得られることがありませんのに。私など、もう一ヶ月も出陣していませんよ」
「それはお主が最高練度に達したためだろう」
一足先に極となり、太刀の主戦力として出陣していたため、小狐丸の練度はすでに頭打ちだ。そのこともあって、三日月は小狐丸と出陣ができなくなったことを寂しく思っている。思っているが、言えない刀が三日月宗近だった。
小狐丸はといえば、三日月が落ち込んでいることを珍しく思っている。何があれども堂と構える刀だ。まさか、約束の一つを破るくらいでこれほど申し訳なさを抱くとは予想していなかった。
対し、三日月は俯いたままだ。途中で手を引かれたので顔を上げる。小狐丸は躊躇無く進んでいく。
向かった先は小狐丸と三日月の自室だ。
小狐丸は三日月を部屋の中へころりと転がして、襖を閉める。逆光を背にすると影に狐が浮かび上がりそうだと三日月は不意に思ってしまった。
畳の上でへたり込んでいる三日月に小狐丸も視線を合わせながらしゃがみこみ、言う。
「そんなにお気になさらないでください。私は、三日月殿が満たされていればそれだけでよいのです」
愛ばかりが込められた小狐丸の言葉に三日月の胸が甘く疼いた。だけれど、素直ではないから表情にも態度にも出さない。
「お主は……本当に、俺が好きだな」
「それはもう」
「さらに、優しい」
珍しく素直に賞賛の言葉を投げかける。小狐丸も受け取り、笑顔のまま首を傾げていた。
「少し違いますよ」
どういう意味なのかと、三日月は視線で問いかける。
「おそらく、私は私のせいで、わがままで、三日月殿を幸せにしたいのです。もし貴方を幸せにする相手が鶴丸殿や大包平殿であるのなら、一刻も我慢がきかないでしょう。だから、三日月殿が噛みしめる幸せは全て私が与えるものにしたい。全ては私のためですよ」
小狐丸が話した内容を噛み砕くのは三日月には難しかった。どうにかわかるのは、結局小狐丸は三日月のことばかり考えているのだと、呆れてしまうことくらいだ。
小狐丸だけが三日月を幸せにしたいとわがままを言うくらいに、三日月は小狐丸に慕われている。自覚するだけで首が熱を持って、顔を見られることが恥ずかしい。
三日月がいつもの癖で袂で顔を隠そうとすると、小狐丸が先に両手を伸ばして三日月の頬を覆う。
紅い瞳に宿る愛おしさに、三日月はまた頬を紅くした。
94.利己的
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