素直に敵意や反感を向けられるだけ山姥切長義は格が上だ。そうするに値する自信があるということなのだから。
それに比べて修行へ行っていない山姥切国広というものは随分と得している。長らく臆病の殻に閉じこもっているというのに、少し相手の刺々しい言動に言い返すことや、他人を思いやるだけで存在価値を認められる。
だから、長義が自分に不満を抱くのは当たり前だ。長義はまだ本丸に来て間もないのだから目に見えやすい実績を積めるはずがないというのに、山姥切国広は先に顕現しただけで認められ、山姥切の刀と認知されている。
それがいつも引け目になってしまう。
青い桜の舞い踊る本丸にいる山姥切国広は白くすすけた布を被りながら一人で廊下を歩いていた。昼食は済ませている。内番も振られていないため、何をして過ごすのも自由だ。
どこに行こう。できるのならば、一振りになりたい。いまは周囲の優しさが辛かった。
向かう場所を考えるが、いまは満開である青桜の園は他の刀も集まっていることが多い。川のほとりでぼうっとしていようか。
そうして川に足を向けようとした先に、庭で小狐丸と話している長義が目に入った。浮かべられている表情は穏やかで、普段の自分が向けられる冷ややかな眼差しなどない。
これはまた。
驚きと、これからの展開を予想してしまい、足が止まる。
いま長義と話をしている青桜の本丸の小狐丸には三日月宗近という番がいるのだが、彼は数珠丸恒次と手合わせをしているのだろう。だが、それが終わったらすぐにでも小狐丸の胸に擦りよって腕に囲い込まれるはずだ。
その瞬間に長義がいたら些少ながら面倒だ。
なにせ、青桜の本丸の三日月の嫉妬深さや仄暗い執着といったら加減を知らない。山姥切もいくらか、いくらか迷惑を被ってきた。長義に同じ思いをさせたくない。せめて、自分といる程度の不都合で勘弁してもらおうと呼びかけた。
「長義」
呼びかけたらすぐに気付く。淡い青石の瞳は、いつだって山姥切国広の存在を追ってくれる。そのことに最初は申し訳なさを覚えてうつむいていたが、いまは素直に胸がさざめき前を向かせてくれていた。
顔を上げないと長義の目を見つめられない。
整った微笑からうんざりとした表情へ変わりながら、それでも近づいてくれた。長義は縁側の近くに立つと、見下ろされているというのに全く反対の立場を取りながら言ってくる。
「なにかな。偽物くん」
「写しは、偽物じゃない」
そこは大事なので言っておいた。
「知っているよ。毎回律儀だね」
呆れたように笑われる。どうやら関心は小狐丸から自分へと移ってくれたようで安心した。これで三日月に凄まれるという事態を避けられる。長義の身の安全は確保できた。
「毎回同じ反応をされるのが嫌なら、そう言うのは止めてくれ」
憎まれ口の次の反応が意外だった。
じっと、山姥切を見上げてくる。普段なら「偽物くんが言うじゃないか」と不愉快そうに、時に楽しそうに言うというのにいまは先ほど小狐丸に向けていたのと近い、気遣いの色が滲んでいる。
「本当に、嫌なのか」
ぽつりと洩れた言葉には今後の進退が込められていた。これから先、長義におかしな気を遣われて相手にされなくなるのは山姥切の恋慕の道に大いに関わってくる。
山姥切国広は山姥切長義に好意の矢を向けている。長義の敵に死を手向ける姿は凜々しく、畑を嫌う姿は愛らしい。自分の存在意義に関わる存在がこれほど美しくて可愛らしいというのに惚れないでいるということは難しかった。
嫌われていてもいいからせめて、相手にされたい。
そのために山姥切は慌てて言う。
「本当に嫌ではないから困っているんだ」
「しゃがめ」
突然の命令に、困惑しながらしゃがむ。地面に立っている長義よりも目線が下になる。細い腰だと眺めていると、額に衝撃が走った。
黒い手袋が目の前にある。額を押さえながら見上げると、丸めた指と共に呆れた表情を浮かべられていた。
長義は言う。
「なら、自信を持て。お前は俺の写しであり、国広第一の傑作なんだろう」
「………」
「どうした」
「手袋は外さないのか」
出陣であっても、内番であっても外されない黒い革製の手袋にふと疑問を覚えた。いまの温かい季節でも長らく着けていて蒸れないのだろうか。手が蒸れた長義、というのもぐっとくるが。
山姥切の内心を読んだわけでもないというのに、長義は言い放つ。
「偽物くんのえっち」
「な!?」
心外だった。
「確かに、少々過激な物言いでしたね」
眺めていた小狐丸にまで言われる。三日月の魔の手から守ろうとしたというにそう言われるとは、今度はいくら二振りが困ろうとも助けないことに決めた。
振り返ってみるが、自分はそれほど破廉恥な発言をしたのだろうか。わからない。ただ、長義に手袋を外すときがあるのかと尋ねただけではないか。
それでも長義の頬が少しだけ赤くなっているが、それは暑さのためではないことを察することはできた。
もう一つ。先ほどの山姥切長義がいわゆる「はしたないおにいさん」という存在のようだったということも。
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