63.滅びた街

 桜が咲き、春の訪れを告げる季節になっても翠の蓮が代わり映え無く、慎ましやかに咲いている本丸がある。故に、その本丸は翠蓮の本丸と呼ばれていた。
 こちらの本丸では不思議な事例が多々見受けられるが、その一つとして、三日月宗近が女士として顕現されたことが挙げられるだろう。本刀は「あにさま」こと「小狐丸の嫁になるためだからな」と事態の重さを欠片も分かっていない。頭を痛めるのは小狐丸の仕事になっている。
 そうして、今日も昼餉を終えた三日月宗近は歯を磨いて、初の出陣姿でとったかたと呑気に歩いていた。起こしもしないで早朝に遠征に出てしまった小狐丸も帰ってくる頃合いだろう。いなかったら、今剣辺りに泣きついて面倒に思われながらも相手をしてもらおうと三日月は考えていた。
 三条では長く現世に残された刀とされながらも、翠蓮の本丸の三日月は三条派における一番下の妹という甘ったれ具合が全く抜けなかった。だから、小狐丸がまた苦労をする。
 三日月が強引に約を取り付けた、自身と小狐丸の部屋に戻ると、見慣れた白いもふもふを纏った小狐丸がいた。出陣姿から着替えてもいない様子で、あぐらをかきながら一枚の破れた紙をじいっと見つめている。
 三日月はとしん、と後ろから小狐丸にのしかかった。
「おかえり、あにさま。何を読んでいる」
「ああ、三日月。ただいま帰りました」
「ただいまではないだろう。遠征から終わってすぐに俺のところへ顔を出しもしなかったというのに」
 小狐丸の長い指に頬をくすぐられながらも、三日月が因縁を付けると、小狐丸は優しく苦笑した。理不尽な言葉を投げられたとあっても、小狐丸が三日月を怒ることは滅多にない。自身を引いて、三日月を立てる。
「失礼しました。今朝の貴方の寝顔が、大変愛らしかったものですから」
「流石に昼餉まで寝こけることはないさ。で、それは?」
 三日月は小狐丸が手にしているすり切れた紙を引っ張る。小狐丸は手を放しもせずに言った。
「とある廃村です。ここに、一振りの刀が祀られていたそうですよ」
「なんと。もしかして、あにさまか?」
「違います。無銘の刀であったそうです」
「そうか」
 三日月はあっさりと納得した。そうして、小狐丸の手の中から紙を破り取ると、くしゃりと丸めて、近くの箱に放り投げた。
 小狐丸はその様子を「行儀が悪い」と言いたげに眺めていたが、三日月が背中から移動して、小狐丸の膝の上に収まると、手を伸ばして抱きしめてきた。
 すでに慣れたことだ。
 千年という断絶があろうとも、小狐丸は三日月を抱きしめることに躊躇いはなく、三日月も小狐丸に甘えることに迷いはない。
 いまは肉の体によって温もりを感じられるということが、なんて贅沢なことか。
「あにさまは、いまどこにあるのだろうなあ」
「すでに、ただの屑鉄となっているでしょう」
 否定はできないが、自虐すらなく言われた内容に三日月は抗議の意を込めて、小狐丸の白い髪を引っ張った。
 三日月は信じていない。兄は、小狐丸はきっと天に引き取られたのだ。稲荷の神使と共に打たれた刀だから、乞うた帝が崩御したために返還されてしまった。
 そうであって欲しい。
「あにさまと、二振り並んで博物館とやらに飾られるのが俺の夢だったというのに」
「叶いませんよ」
「ああ。だから、いま、沢山甘やかしておくれ」
 三日月が小狐丸に目を閉じて顔を近づけると、額をばちりと弾かれた。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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