青い桜が初夏を迎えても空に舞い散る本丸であるために、青桜の本丸と呼ばれている。
その本丸の三日月宗近はすでに極に至り、練度もめきめきと上げている。今日も異去の江戸の時代に出陣する命を受けて、出かけ、無事に本丸へ帰還した。異去の時代の敵は強大ではあるが、戦闘の数は少ないため、刀装が剥がれることはあまりない。以前はもう少し剥がれやすかった気もしているが、手心を加えられたのだろうというのが審神者の判断だ。
本丸に帰参した三日月が最初にすることは、着替えることだった。
極の出陣衣装は冠や束帯など、いたるところが豪華であるために、日常生活を送るには不便だ。主に近侍に命じられたのならば、極の衣装で借りてきた猫として大人しくしなくてはならない。だけれど、内番も近侍も任されていないのならば、まだ初の格好で一呼吸を入れたいところだ。三日月はその衝動に従った。
三日月は自室に戻り、少しだけおぼつかない手つきだが、一人で着られるようになった青い狩衣の姿へ変わっていく。そうして息を吐いた。
自分のことながら、どうしてあのような装束を選んだのかは不明だ。恋刀である小狐丸は目にも鮮やかな白い着物を堂々と着こなしているというのに。
その光景を思い出した三日月の頬が緩む。今日は遠征と出陣という役割分担により、離ればなれになってしまったが、小狐丸はいまどこにいるのだろう。早く抱きしめてもらって、温かな熱を分けてもらいたい。
三日月は小狐丸を捜すために歩き出した。左周りに本丸を移動している途中で、縁側にさしかかる。
白い日差しを受けながら、本を開いている小狐丸がいた。
まだ三日月の気配には気付いていないようで、はらりと頁をめくる。紙にかかる白い指先の長さに、自身を探られている時のことを思い出してしまい、三日月の体の奥がずくりとうずいた。
三日月は足音を立てずに、気配を潜めて、小狐丸に近づいていく。
「小狐丸」
上から囁かれたのは予想外のことだったのか、小狐丸の頁をめくる手が止まる。想像以上に露骨な驚き方だったので、三日月は不思議になった。
「どうしたんだ?」
「いえ」
小狐丸は振り向き、いつもの笑顔を向けながら本を閉じて床に置く。紙のかけられた本は題名も内容もわからない。
興味を惹かれた三日月は、何も考えずに本を取ろうとした。またも自然な動作で遠ざけられる。
つまらない、と表情で示した。しかし、小狐丸も折れない。よほど伏したい内容なのか、断固とした調子で言う。
「だめです」
「む」
いつもは砂糖漬けにした果物よりも三日月に甘い小狐丸が、「だめ」と言うことは珍しい。「やめてください」と頼むことはあっても、行動を禁ずることはめったにしてこない。それほど三日月は小狐丸に甘やかされている。
これは何かあるのでは。
いつもは互いを愛して尊重し、また縛り付けてやまない青桜の本丸の小狐丸と三日月が、珍しくにらみ合うことになった。
三日月が一歩迫ると小狐丸が一歩下がる。などと思っていたら、小狐丸は後退を止めて、三日月の迫るままにする。額がこつんと触れそうなほど、三日月が顔を寄せてみたら小狐丸は手を伸ばしてきた。
宝物に触れるよりも優しく、繊細に手を伸ばす。
「こんなにかわいい顔をして」
そうは言われても、三日月には自身がどんな表情をしているかなどわからない。威嚇、ではないのだろうか。
考えている間にも、小狐丸の顔が近づいてくる。止められない。止める気も無い。目を閉じる勇気も無いままに、小狐丸の端正な顔を見下ろし続ける。
唇を塞がれた。
肉厚な感触が粘膜越しに伝わってくると同時に顎を押さえてくる手の力に屈服してしまい、三日月は目を伏せた。ちゅぷ、と唾液が滲む音がする。最後に、舌で唇をなだめられて自由になった。
三日月は袂を合わせながら、小狐丸を見下ろしている。腰には手が添えられていた。未だ離さないと言いたげなほど、強く。
「ここ、公共の場じゃなかったっけ」
急に入り込んできた声によって、我を取り戻した。
赤い頬のまま、三日月が振り返ると、そこには姫鶴一文字と後家兼光がいる。かつての繋がりにより仲の良い二振りだが、いまのを見られていたと思うと倒れそうになった。
「二振りとも、熱いねえ。まあ、愛の戦士としてはもっとしていてもいいんだけどね!」
爽やかに言い放つ後家だったが、姫鶴に睨まれて黙った。
その間に、小狐丸と三日月はこそこそと移動する。小狐丸の左手には渦中となっていた本があった。空いている右手は三日月とつないでくれている。
これ以上、本の内容について問いただすのは無粋だと理解して、問いただすことは止めにした。
「お主はよく、本を読んでいるな」
「人の機微に疎いですから、勉強をと思いまして」
「俺にはとても、よくしてくれているのに?」
純粋な感想であるのだが、小狐丸は珍しく渋い顔をした。
「だから、そういうことは言わないでください。いついかなる時も、抱きしめたくなるのですから」
「そういうことならいつだってして構わないぞ」
両手を広げたら、即座に抱きしめられた。
可愛い顔して触れたくなる
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