成瀬のこぎみか理論

目次

序論

 こちらのレポートはゲーム・舞台・ミュージカル『刀剣乱舞』に出てくる小狐丸と三日月宗近に焦点を当てたものになります。二次創作・同性愛的表現もありますので、ご了承の上でお読みください。
 また、こちらのレポートではキャラクターとしての「小狐丸」と「三日月宗近」を扱っており、演者の方々とは切り離していることを前提としています。その点もご承知おき下さい。

 こちらのレポートはゲーム・舞台・ミュージカル『刀剣乱舞』に出てくる小狐丸と三日月宗近に焦点を当てたものになります。二次創作・同性愛的表現もありますので、ご了承の上でお読みください。
 また、こちらのレポートではキャラクターとしての「小狐丸」と「三日月宗近」を扱っており、演者の方々とは切り離していることを前提としています。その点もご承知おき下さい。 今回の主題は「『刀剣乱舞』の三日月宗近の分岐は小狐丸の有無によって起きるのではないか」というものです。 
 『刀剣乱舞』はゲームから始まったコンテンツですが、派生作品であるミュージカル『刀剣乱舞』(以下ミュージカル)と舞台『刀剣乱舞』(以下舞台)を主に、そしてアニメ『刀剣乱舞-花丸-』なども少しだけ加えつつ、比較・考察をしていきました。

 これまで筆者が観劇した作品は、ミュージカルは以下になります。
 『阿津賀志山異聞』(Blu-ray)
 『阿津賀志山異聞 ~2018巴里~』(戯曲)
 『つはものどもがゆめのあと』(Blu-ray・戯曲)
 『江水散花雪』(舞台)

 舞台は以下になります。
 『序伝 燃ゆる本能寺』(劇場版)
 『義伝 暁の独眼竜』(劇場版)
 『ジョ伝 三つら星刀語り』(劇場版)
 『天伝 蒼空の兵ー大坂冬の陣ー』(劇場版)
 『无伝 夕紅の士ー大坂夏の陣ー』(劇場版)
 『悲伝 結いの目の不如帰』(劇場版)

 できるだけ作中に忠実に論じますが、覚え違いや演出の違いにより誤りがありましたら、申し訳ありません。
 それは、以下に個人的な考えを述べていきます。

本論

1【ミュージカルと舞台の違い】

 刀剣乱舞という作品は「本丸ごとの違い」を大切にしていて、メディアミックスによっても構成するキャストや話が大きく異なります。
 ゲームは2022年4月に「大侵寇」(以下防人イベント)という大きなイベントがあり、話が進みましたが、それまではあまりストーリーの展開はありませんでした。
 ですが、ミュージカルと舞台は大きく独自の話が動きます。
 その中で今回論じたい、小狐丸の扱いは明確に違います。

 ミュージカルでは初期の『阿津賀志山異聞』から小狐丸はメインキャストに名を連ねています。
 ですが、舞台ではまだキャストとして登場しておらず、さらに本丸の仲間たちを紹介する『无伝 夕紅の士ー大坂夏の陣ー』で鶴丸国永と三日月宗近が語る場面では、劇場版だと小狐丸の名前も出てきませんでした。ここで「他の公演では小狐丸もいたよ」となると一気にこの論が崩れるのですが、現時点では舞台だと顕現していない前提で進めていきます。
 ぐだぐだで申し訳ありません。

 どうして小狐丸というキャラクターの有無にこだわるのかというと、舞台の三日月宗近はかつての主であった高台院に頼まれて介錯をし、足利義輝も歴史の流れと死を変えることはしませんでした。
 その点、ミュージカルになりますと『つはものどのがゆめのあと』で源義経を生かす、舞台風に言えば「逸話の世界に逃がす」といった行動に出ます。
 これは大きな違いだと私は思いました。
 歴史という絶対の流れを変えてしまう行為を許さない、舞台の三日月宗近と、もう一つの歴史として源義経が生き残る道を許したミュージカルの三日月宗近がいます。
 ここの大きな違いは、舞台の三日月宗近は小狐丸と言葉を交わした描写が作中ではありませんが、ミュージカルの三日月宗近は小狐丸と衝突はしますが、源義経を逃がす前に和解します。
 三日月宗近にとって、同じ三条宗近に打たれたとされる小狐丸という存在は何かしらの思うところがあると感じさせる演出です。

 その小狐丸の存在の有無ですが、いくつか舞台では「小狐丸」という刀自体が存在しないのではないか、と思われる描写があります。
 それについては次から述べていきます。

2【小狐丸の有無】

 ミュージカル『阿津賀志山異聞~2018巴里~』の戯曲では、小狐丸が初めて出るときに「向かう槌音」という、小鍛治をモチーフにした曲を小狐丸と三日月宗近が舞う描写があります。
 これはミュージカルでは小鍛治という物語があり、そこから小狐丸という伝承が生まれて語られ続けて、刀剣男士として顕現したという流れになります。
 ですが、舞台はもしかしたら小鍛治が語り継がれなかった世界の物語であり、つまり小狐丸という刀自体が顕現できない状況にある設定では、と考えました。想像の飛躍がすごいですね。
 けれど『悲伝 結いの目の不如帰』で足利義輝が日本神話であるコノハナサクヤヒメと狂い咲いた桜をかけて話したときに、小鍛治にも出てくる天叢雲剣=草薙の剣にも触れていました。(この辺り、今日(9月23日)に見たはずなのにどちらの名前が出たかうろ覚えです。すみません)
 あえて神剣に触れていたところで、気になりました。小鍛治では天叢雲剣=草薙の剣に並ぶとされる小狐丸が舞台のキャストとして出てくる雰囲気がありませんから、もしかしたら舞台では小鍛治も小狐丸もなかった歴史が進んでいるのでは。
 そして、それはもしかしたら歴史改変の結果でもあるのではないかと考えてしまいました。同じく『悲伝 結び目の不如帰』で「歴史は揺るがない。何と戦っているのかもわからない」と言う三日月は、それを知っているのか、それとも知らないのか。三日月宗近の中でも、小狐丸という存在があるのかどうか。そのあやふやさは、同じ三条派とゲームでくくられている今剣と岩融の持ち主であった、義経主従が出てきてより深い疑問になりました。

3【今剣と岩融は存在しない】

 舞台で山姥切国広が三日月宗近という結いの目、歴史という糸の絡まり、裂け目に呑まれた時の最初のシーンは、源義経と武蔵坊弁慶が初対面であるシーンでした。ですが、そこではまだ手にしていないのか、それとも存在していないのか不明ですが、今剣も岩融も明示されていません。ですが、その持ち主である源義経と武蔵坊弁慶は三日月が証明しています。

 そして、ミュージカルですが今剣と岩融は存在していないと『つはものどもがゆめのあと』で明言されています。
 ですが、今剣と岩融は本丸に顕現しています。
 これをここでは「虚構証明」と呼ばせていただきます。今剣と岩融は現実にはない。だけれど物語としての虚構は証明されているためです。
 これと同じことが、まだミュージカルでも舞台でも、小狐丸では論じられていません。
 小狐丸は今剣と岩融と近しい現存が確認されていない、特に物語の小鍛治に依る虚構としての側面が強いというのに、虚構証明はどちらでもされていません。されるときが、実はいまからとても恐ろしいです。この論もすぐ破綻します。
 あと、石切丸の扱いもよくわかっていません。彼は一応、「壽音曲乱舞祭」のビデオメッセージから察するに現存している刀の部類へ、ミュージカルでは入っていますが、舞台ではどういう扱いでしょう。もしかすると、舞台では三日月宗近以外の三条がいない世界の可能性も、もう一度もしかすると、ありえるのではと怖くなりました。

 まとめに入りますが、小狐丸という存在がいるミュージカルと、いない舞台では三日月の行動や立ち位置が大きく変化しています。
 その理由の一端に、小狐丸がいる歴史といない歴史があると考えるのは小狐丸×三日月宗近が前提なのでお許しください。

考察

 ここからは短いですが、考察です。
 「どうして小狐丸の有無で三日月の行動が変わるのか」。
 その点は愛の力と言い切りたくもなるのですが、今回は小鍛治という物語に焦点を当てたいと思います。
 ゲームの時から、私は小狐丸は三日月宗近より先に打たれていたと考えていました。なぜなら、三日月宗近という名刀を打った刀匠が、また思い悩むのだとしたらそこに触れていないのは不自然だという印象を抱いたからです。
 三日月宗近を打てるほどの刀匠としての腕を、小狐丸を打ったことにより得たと考えた方が自然になります。
 ですので、小鍛治を経験していない三条宗近の打った三日月宗近はどこかほころびがあるのではないかというまたも想像の飛躍です。

 小鍛治では表と裏に三条宗近、小狐丸と二つの銘を刻みます。
 その経験により、三条宗近の刀匠としての腕は確立して三日月宗近を打てたのではないでしょうか。小鍛治がある世界とない世界では、三日月宗近という存在自体にも違いがあるという考えです。
 「向かう槌音」でもあります。「表と裏」「夢と現」。
 もしかすると、舞台は表でありますが、同時に夢。
 ミュージカルは裏で在りながらも、現。
 私たちの世界でも小狐丸(太刀)の有り様は小鍛治という物語を根拠になっていますが、「過去にあったとされる物語は確かにある」というのもまた、虚構証明です。
 小狐丸という刀はないけれど、ある。
 それは確かです。
 現存して展示されている三日月宗近という刀の物語の強度を高めるのにも、小狐丸という存在は大きく寄与しているのではないでしょうか。

 また、他の小狐丸の有無のあるメディアミックスの話に移ります。
 原作であるゲームでは、防人イベントを経て三日月は「再現できなかった活路」であり「未来」に繋がったと言います。これははじまりの一振りの功績も大きいですが、小狐丸がいる前提もあります。
 アニメの『刀剣乱舞ー花丸ー』は「僕たちの本丸は、いつも花丸」というキャッチコピーがあるように、楽しくあります。ここにも小狐丸はいます。またよく一緒にいて、販売促進活動でもセットにされていることが多いです。
 『活撃 刀剣乱舞』にも小狐丸はいます。ここでは三日月宗近もメインではないですが、和泉守兼定に助言できる程度には余裕があります。
 最後に『刀剣乱舞無双』ですが、小狐丸の姿はありません。漂流する以前の本丸にいたのかどうかも不明ですので、割愛させていただきます。
 個人的な印象も強いのですが、小狐丸がいるメディアミックスの方が三日月宗近は安定する側に回っている気がします。

結論

 小狐丸という存在が三日月宗近にとってどういう位置にいるのか、意味を持つのかはまだどのメディアミックスでもはっきりと表現はされていません。
 ですが、小狐丸がいるかいないかによって、三日月宗近の行動と現状そして未来が変化しているのは、いまの時点ですとミュージカル、舞台、アニメやゲームから感じ取れます。
 小狐丸という存在は三日月宗近を読み解くにあたり、重要な要因、キーパーソンであると私は考えました。

 ただ、どのメディアミックスが良いかを判断するものではありません。
 今後のゲームやそれ以外のメディアミックスの展開でも、小狐丸という存在が三日月宗近を救ってくれたら、とても嬉しいです。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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