7.手を繋いで(とうらぶ/こぎみか/金木犀本丸)

 叶うのならば、手を、繋ぎたい。
 使命を預けた刀の代わりに私の手を取ってくれたならば、どれほど幸福になれるだろう。
 そんなことを考えていた。
 ここは一年のあいだ、絶えず金木犀が揺れる本丸だから金木犀本丸と呼ばれている。
 その本丸の日当たり良い縁側に座りながら、内番姿のままの小狐丸は悩んでいた。その悩みは当刃にとっては重いものだが端で聞いたものは「またそんなことで悩んでいるのか」と呆れてしまう。そういった類のものだった。
 小狐丸は同じ本丸に属する矜持が高くて気の強い三日月宗近に惹かれ、相手も手を取ることを許してくれたために番になった。
 なったのだが。
 それでも小狐丸は「はたして自分は三日月殿に愛されているのだろうか」という卑屈な悩みを抱えていた。
 鶴丸国永あたりが聞いたら「今更だな!」と笑い飛ばし、一期一振が耳にしたら曖昧な苦笑で困惑しそうな、三日月の好意が外から見える刀には些少極まりない、当刃だけが真剣に煩悶している悩みだった。
 番の約束はしてもらえたのだが、自分は三日月のものであっても三日月が自分のものだという自覚を持つことができなかった。あの美しい刀を己が所有するのは傲慢の極みにしか至らない。かといって三日月が自分以外のものになるとしたらおおいに妬心するだろう。紛れもなく、この本丸の三日月を最も愛している刀は己なのだから。
 空を見上げる。今日も快晴だが、もう少ししたら夏に備えて涼しい景趣になるのだろう。陽の光が穏やかであるのも残りわずかで、また苛烈な太陽が顔をのぞかせる季節が来る。三日月と番になって二度目の夏だ。
 今年はどれだけ進展することができるだろうかと目をつむると、足音が聞こえてきた。音のする方角に顔を向けると、今日は内番がなく、出陣衣装も手間がかかるためか、青い狩衣姿の三日月がさらりしゃなりと近づいてきた。小狐丸は声をかける気になれず、視線だけで追う。そのまま三日月は通り過ぎていった。
 そうか。自分は落ち込んでいても気に留められないほどに軽く見られているのか。
 小狐丸は軽い絶望に囚われた。首が傾いて、背筋が曲がっていく。
 暗い影を背負っていると、とん、と叩かれた。ゆるゆると振り向いてから呼吸が止まりそうになる。視線の先にいるのは先ほど過ぎていった三日月だ。
「どうした」
「あ、いえ」
 いくら疑心の闇に堕ちかけている小狐丸とはいえ、三日月に直接「私のことが好きですか」と尋ねるのははばかられた。言い淀んでいるあいだにも隣に正座される。その澄ました様子がまた愛らしかった。膝の上に置かれた手に目をやる。
 繋ぎたい。
 私の番とは信じられないほどに美しい、この刀の手を取りたい。
「あの、三日月」
「ん?」
「て、て」
 変な顔をされた。何を言いたいのかという視線に気押される。
「天気がいいですね!」
 見事に日和った。三日月は月の宿る夜の瞳に睫毛を重たそうに乗せながら、空を見て頷く。
「そうだな。だが、もうすぐ夏になる」
「ですねえ」
 どうしてこうも自分はへたれてしまうのか。
 三日月は凛々しく、時に素直ではないため時に手を焼かされるが、常に気高く背筋を伸ばしている。自分もその隣に並ぶのにふさわしい刀でありたいというのに、気性のせいかそれとも希少性のせいか、どうにも格好がつかない。存在しているのが現世であるか、幻世であったかというだけでこんなにも差が生まれるのだろうか。
 もしも、己の本身が失われずに存在し現世で三日月に寄り添えていたら。こういった悩みも抱えずに、同じ誇りを持てたのだろうか。
 ふに。
 突如、変な感覚がした。頬に尖ったものが当たっていると思えば、三日月の黒い籠手に覆われた人差し指で触れられている。
「何を悩んでいる」
「あ、いえ」
 誤魔化そうとすると、また何度も突かれる。本当のことを言えと急かされて小狐丸は溜め息ひとつ、吐いてから言った。
「私も現世で貴方と共にあれたらよかったのに」
「愚かだなあ」
 ぐっさりと、鋭い矢が小狐丸の心臓を貫いて透明な血を流させる。もう泣きたい。
 三日月は小狐丸の頬を突くのを止めるとそのまま寄りかかってきて、穏やかな様子で笑いながら話す。
「俺だってそう願っていた時はあったさ。だけどな、歴史は変えてはならない。変えようがない。過去の積み重ねで現在があるのだから、俺はお主と共にあれなかった時代ごと守ろうと決めた」
 言葉は途切れる。さまよっている三日月の手が小狐丸の手を掴んで、強い力で繋がれる。
「いまは、失われたお主と共に戦場を駆けながら、穏やかに時を過ごせることが至福なんだ。くだらないこと、取り戻せないことを考えるな。そんな暇があるのなら、もっと俺の相手をしろ」
 そう言って真昼の白い月の微笑を浮かべる三日月の美しさに言葉を失った。
 ああ、この刀が決して振り向かなかろうとも、私は永遠に恋焦がれていただろうと、そう確信させるに十分すぎるほど、綺麗で、そして小狐丸への愛に満ちた微笑みが三日月のかんばせには浮かんでいた。
 小狐丸も情けなく、だけれど目を細めて笑う。
「はい。私に、貴方の相手をさせてください。そして、できるのなら私以外にはさせないでくださいね」
「どうかなあ」
 つれないことを言いながらも、三日月から手を繋いでくれているということは、当然小狐丸を幸せにした。
 離さない。離れない。
 もうずっと、飽きるまで傍にいる。
 たとえ、貴方が私を愛さなくなっても、私の貴方への愛は二度と失われることなどないから。


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    創ることが好きな人。
    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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