43.ぬくもり

 幻想郷にて霧立ち込める中、そびえる一角。
 紅魔館。
 古くから生きている幼き吸血鬼を主とした館であり、館の中には怠惰な賢者や冷徹なメイドなどが静かに、時に騒ぎに乗って暮らしている。館の周囲には赤い薔薇が絶えず咲いていた。
 夜も更けて吸血鬼のための時間へと時計の針が移った頃、十六夜咲夜は仕事を終えて、一人で庭に佇んでいた。常と変わらずメイド姿のままで、一本のナイフを撫でている。
 幻想郷での異変など、巫女に任せればよい。
 今回の幻想郷で起きた花の怪異の解決に乗り出したは良いのだが、咲夜は事態の中身を知るにつれて解決することを放棄した。正確には、手を出すことを止めた。
 これは私の範疇ではない。
 そう、判断した。
 自身がすべきことは幽かな霊を慰めることではなく、主のためにメイドとして務めることだ。赤き血をすする怪物、だけれど、外見は見目麗しい幼き娘という主の日々が安らかであるように働き続ける。
 だけれど。
 ナイフは冷たく鋭ければ鋭いほどよい。
 しかし、人間というものは温かで柔らかなものなのだろうか。果てに出会った緑の髪の少女の言葉が細い棘となり、心臓の手前の肋骨に引っかかっていた。脈打つ場所に刺さってはいない。それでも、不快感が残っている。
 咲夜がナイフをしまうと同時に、声をかけられた。
「咲夜」
 すり鉢状の庭の下に咲夜はいたので、声をかけてきたレミリアを見上げる形となった。
「どうしました? お嬢様」
 レミリアは答えない。階段を下りていき、咲夜がナイフに触れていた手を取った。そして、自分の頬に押し当てる。
「私、咲夜の手は好きよ」
 何も知らないはずだというのに、どこから見ていたのだろう。どこまで気付いているのだろう。吸血鬼の幼き末裔はいつも咲夜の不調を見逃さないでいる。
 咲夜は人間としての不安定を気付かれたくないというのに、レミリアも普段は気付かないまま我儘を言うというのに、いまのような瞬間だけは、レミリアから逃れられない。
 それでも意地は張らせてもらう。
「お好きなのは手だけですか?」
「あら? 気に入っているのは咲夜の全てなのに。それでもまだ、物足りないの?」
 優雅に返せば生意気に言い返される。
 咲夜はレミリアの柔らかな頬から手を放して、全身を抱きしめた。
「はい。お嬢様に全てを求められても、まだまだ足りません」
 柔らかな絹の服に包まれた、冷めた体を抱きしめて、咲夜は答えた。レミリアも距離を詰めて、一層強く抱きしめられながら、呆れた声を出す。
「いつのまにか図々しくなっちゃって」
 ざあ。ざあ、さあ。
 風が吹く。花咲く紅魔館を揺らして、過ぎ去っていく。掠れた音に耳を傾けながら、皮膚の感覚はいま抱きしめている主に集中させていた。
 私は、お嬢様にしてみたら温かいのだろうか。
 訊いてみたかった。だけれど、それは過ぎたことのようで言葉にできない。抱きしめる力だけをまた強くする。
「あのね。私のことではないというのに、咲夜が心を揺れ動かしているというのが、気に入らないの」
「なんのことでしょう」
「人の為ではないと言いながら、結局見捨てられはしないのでしょう? 咲夜は結局、人間なのだから」
 ああ、そうか。
「拗ねていらっしゃるのですね」
「拗ねないわよ、私は」
 言い返しながらも、顔を背けてつんと済ましている。咲夜は小さく声を上げて、笑ってしまった。
「お嬢様」
 咲夜はレミリアを自身の視線と合う高さまで持ち上げる。小さな翼がはためいた。ドレスの裾が風を受けて形を変えた。
「私は貴方が思うよりも、私が思うよりも、人間だったようです。ただ、ナイフのように冷たいままの存在ではいたくない。冬が来たのなら貴方を暖めたいですし、自分だけ都合良く毒をはねのけることも、これからはしないでいたい」
「これまではしていたというのにね」
「だから、反省しているんです」
 わかってください、と続けた。
 上弦よりも少し膨らんだ白い月に照らされる、赤い主を見上げた。
「お嬢様は、冷たい私と温かな私でしたら、どちらがよいですか?}
「どちらでも構わないわ」
 レミリアの手が伸びてくる。今度は、咲夜の頬に触れられる。
「咲夜が咲夜でいるのなら。それでいい」
 断言の言葉は囁き程度の声量だが心地よく、咲夜は目を閉じた。




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    こぎみかとリクサラを主に、世界を大切にしつつ愛し合うカップリングを推しています。

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