誠の一文字はいつだって傍らにあるのだから。
新選組の一員であった、沖田さんの「幕間の物語」になります。沖田さんの新選組で過ごした時間をダイジェストで振り返るといった内容でした。
「幕間の物語」の冒頭では新選組設立の立役者である芹沢さんも、子どもたちの相手をして意外と好かれていたようです。そこからの死、そして「遠くに行ってしまいました」と沖田さんが告げる展開は胸に痛みが走りますね。その後も山南さんが切腹し、子どもたちのところに来られなくなったのを、沖田さんはまた「遠くに行ってしまいました」と説明します。この様子が飄々としているので、沖田さんは痛みを感じていなさそうですけれども、きっと、ずっと寂しい感情は抱えていたでしょう。もしくは本当にあるがままを受け入れていたのかもしれません。沖田さんは自分が決断を下す者ではなく、上からの命令に従う存在であることを受け入れている印象があります。
ぐだぐだイベントが終わったいまになって、こちらの「幕間の物語」を読んだからこそ、「新選組の終わりとはなんだろう」と考えてしまいます。新選組から離れた者。途中で置いて行かれた者。死した者。新選組で在り続ける者。そして、新選組を語り続ける者。
いま新選組に触れられるのは資料と語り継がれる物語しかありません。それでも、多くの方がこの時代であっても新選組に対して浪漫を抱き、好意を持っています。新撰組の活動についての是非は分かれるのでしょう。ただ、時代の花であり徒であった魅力は燦然と輝いています。
その遠き将来の輝きを知らない沖田さんは結核により途中で新撰組を抜けてしまったことを長らく燻らせていました。病魔に冒された身は、素振りすら許しません。
沖田さんは素直な人です。だからこそ、新撰組についていけなくなることを諦めることもできなかったはずです。千駄ヶ谷で療養している場面の独白からは寂しさが伝わってきました。
そして、黒猫が通りがかったときに、沖田さんは白昼夢を見ます。それは沖田さんが亡くなり、藤丸立香のサーヴァントになった時のある出来事です。
土方さんが新撰組だと主張し続けるのに対し、藤丸が言い返します。「自分の隣が新撰組だ。沖田さんの戦う場だ」と。
沖田さんはそうして、人であった時の新撰組と一旦の別れを告げます。すでに人理の影法師となった身では、新撰組の沖田総司ではなく、マスターである藤丸立香の剣となることを選びました。
そうして夢から覚めた沖田さんは笑います。いつも通り、明るく朗らかに。
新撰組として最後まで戦えないまま病没していった沖田さんがサーヴァントとして藤丸立香のために刀を取れることは幸せであり、救いであることが伝わってくる幕間でした。
